イエスの生き様

今日の勉強2

文藝春秋スペシャル2015夏から、「考古学でわかったイエスの正体」の要約。著者は立教大学の長谷川修一准教授。

イエスは実在したのか。
タキトゥスは、ポンティウス・ピラトゥスに処刑された「クリストゥス」に言及し、それは処刑の時と処刑者が『新約聖書』の記述と合致している。

歴史背景
古代、パレスチナはアケメネス朝を破ったアレクサンドロス大王に支配され、その後プトレマイオス朝エジプトとセレウコス朝シリアが争い、セレウコス朝がプトレマイオス朝を退けた。プトレマイオス朝もセレウコス朝もユダヤ人共同体の自治をある程度許容していたが紀元前175年に即位したアンティオコス4世はゼウスの崇拝を強要し、拒否するユダヤ人を処刑した。そしてマカバイ戦争が起きてユダヤ人は神殿とエルサレムを奪還し、ハスモン朝が興った。

ヘロデ王
ヘロデはユダヤ教に改宗してローマからユダヤ王に認められた。アレクサンドロスの征服によりユダヤ人はギリシャ思想に出会った。その中で終末待望論が生まれ、新たな秩序残されて到来が期待されるようになった。終末待望論はハスモン朝で一時退潮したが、ヘロデの戴冠で再び勃興した。

イエスの処刑
ヘロデ死後10年、ローマはパレスチナを属州とした。ユダヤ教はサドカイ派、パリサイ派などに分かれたが、義人と罪びとにユダヤ人を分ける二元的人間観は共通していた。これは貧しい人や病人を共同体の保護から締め出すことを是認し、このことにイエスは異を唱え罪びとのレッテルを貼られた人々に寄り添った。そしてユダヤの体制派とローマから大規模な武装蜂起への発展を懸念され、処刑された。

イエスとは
考古学の研究結果から、ガラリアは辺境に過ぎないことがわかっている。他方、エルサレムでヘロデが作ろうとした神殿は壮麗で、富裕な祭司たちは豪華な暮らしをしていた。そしてそれを支えたのは貧しい民衆だった。ハスモン朝時代、貧富の差が拡大し、階層分化が進んでいた。イエスはこれら二元論的人間観に挑戦した。
福音書が伝えるイエスの像は理想化されたイメージに違いないが、イエスの凄まじいまでの生き様と妥協することのない批判的眼差しが反映されている。

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