先天性心疾患の子どもを育てる親の不安と、子どもから見えていた日常
「元気に育ってほしい」
親なら、きっと一度は願うことなんじゃないかと思う。
大きな夢じゃなくてもいい。
元気でいてくれたらいい。
笑って過ごしてくれたらいい。
友達と遊んで、学校に行って、
少しずつ大人になっていってくれたら。
でも気づけば、
周りと同じようにはいかないことが、
少しずつ増えていく。
休みが多かったり、
説明が必要な日があったり。
元気そうに見えるのに、急に動けなくなることもある。
周りと同じように時間が流れている。
それなのに、どこか少し違う。
比べたくないのに比べてしまうし、
周りの家族を見て、
胸がきゅっと苦しくなる夜もあるかもしれない。
「この子の将来、大丈夫なんだろうか」
静かになった部屋で、
不安だけが少し大きくなる夜もあると思う。
もし、そんな時間を過ごしたことがある人がいたら。
僕は、そういう「違う普通」の中で育ってきた。
今日は、その記憶を少しだけ書いてみたい。
普通が少し違って見えていた頃
僕は、生まれつき心臓にハンデがある。
子どもの頃から、体のことはずっと近くにあった。
病院に行く日もあれば、
思うように動けない日もある。
教室では同じ授業を受けて、
同じ宿題をして、同じ空間の中にいた。
でも、土台だけは少し違っていた気がする。
同じ景色の中にいるのに、持っている地図だけ違う。
今振り返ると、そんな感覚に近い。
みんなが当たり前に走っていく道を、
自分だけ少しゆっくり歩いているような感じだった。
出来ないことがあって、
少し置いていかれる感覚もある。
でも、子どもの頃はそれをうまく言葉に出来ずに、
自分でもよく分からないまま、ただ飲み込んでいた。
最初からこの身体だったから、
「そういうものなんだ」
と思っていた部分もある。
正直、あの頃の自分が何を感じていたのか、
今でもうまく言葉に出来ない。
悔しかったのか、寂しかったのか、
それすら曖昧なまま残っている。
だからこそ、近くで見ていた親は、
もっと不安だったんだろうなと思う。
子どもが
「なんで自分だけなんだろう」と感じるのも、
きっと自然なことなんだと思う。
うまく言えなかった気持ち
見た目では分かりにくいハンデだったこともあって、
伝わらないこともあったり、きつい言葉を向けられたこともある。
正直、傷つかなかったわけじゃないし、
悔しかった日もある。
でも同時に、
「仕方ない」
そうやって、飲み込んでしまうことも多かった。
今思うのは、
子どもって、大人が思っている以上に、
いろんなことを感じているのかもしれない、ということ。
黙っているから平気、ではない。
ただ、言葉に出来ないだけで、
どう説明したらいいか分からないだけなのかもしれない。
そんなことも、きっとある。
病院の中にあった小さな日常
入院していた時期もあった。
病院って、
外から見るとつらい場所に見えるかもしれない。
もちろん、不安な日もあったし、苦しいこともあった。
でも、それだけじゃなかった。
友達とくだらない話をして笑っていた時間や、
好きなことに夢中になっていた時間、
外の空気を吸って少しだけ気持ちが軽くなる瞬間もあった。
病気があるからって、
毎日が病気のことだけで埋まるわけじゃなかった。
ちゃんと、「好き」もあったし、
安心できる時間もあった。
今思うと、
それってすごく大事なものだった気がする。
親は、きっとたくさん心配していたと思うし、
疲れていた日もあったと思う。
でも、子どもの世界って、
意外と病気だけでは出来ているわけじゃなくて、
好きなゲームのことや、友達のこと、
今日の給食のこと、少し笑えたこと。
そういう時間も、ちゃんとある。
だから、
全部を背負いすぎなくてもいいのかもしれない。
強い子でいようとしていた日々
「頑張っていて偉いね」
そう言われた記憶はあるけれど、
嬉しかった気持ちの奥で
どこか「強い子でいなきゃ」と思っていた気がする
泣かない方がいい。
我慢した方がいい。
迷惑をかけない方がいい。
気がついたら、そうやって背負っていたのかもしれない。
あの頃ずっと、
うまく言葉にできなかった
「強くいなきゃ」という気持ちについて、
もう少しだけ書いたものがあります。
でも今なら、
あの頃の自分に少し違う言葉をかけたい。
「無理して強い子でいなくても、いいんだよ」と。
頑張れた日だけが、大事だったわけじゃない。
動けなかった日もあったし、休んだ日もある。
病院で、ただ時間が過ぎていった日もあった。
でもその中で、笑えた瞬間や、
少し安心できた時間もちゃんとあった。
だから今は思う。
あの時間全部が、
「頑張れなかった日」だったわけじゃない。
今振り返って見えるもの
「普通」と同じ土台で生きられないことは、悔しい。
比べてしまう日があってもいい。
僕も今でもある。
「このままで大丈夫なんだろうか」
そんな不安が急に大きくなる夜もある。
でも、
振り返ると、不安だけだったわけじゃなかった。
好きなことに夢中になった時間もあったし、笑えた日もあった。
だから今、
親として不安な夜を過ごしている人に、
ひとつだけ伝えたい。
子どもの世界は、病気だけでは出来ていない。
しんどい日があっても、
思うようにいかない日があっても、
その中にちゃんと笑える時間がある。
大きな希望じゃなくていい。
そんな日が、ひとつでもあったなら、
その時間はきっと、あとから支えになって残っていく
僕は今も、そう信じながら生きている。
麗川アキ
「子どもの世界」と「親の不安」の間で揺れながら、
僕自身はずっと「不安」とどう一緒に生きるかを考えてきました。
その不安は、
今も完全に整理できているわけではありません。
それでも、
どう向き合えば少しだけ楽に生きられるのか。
その途中で見えてきた考えを、別の記事に書いています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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