「なぜ私たちは、スマホを置けないのか?」パスカルが350年前に見抜いた、年末の「退屈」と「幸福」の正体
クリスマスが過ぎ、大晦日まではあと数日。
12月27日の今日、あなたはどんな時間を過ごしていますか?
「年末の休みに入ったのに、なんとなくスマホばかり見てしまう」
「特に用事はないのに、予定を詰め込まないと不安になる」
もしそう感じているなら、それはあなただけではありません。
人間という生き物は、350年前からずっと「何もしない時間」を恐れ続けてきました。
17世紀のフランスが生んだ早熟の天才、ブレーズ・パスカルは、遺稿集『パンセ』の中で、人間が抱える不幸の根本原因を、たった一行で言い当てています。
人類の不幸は、部屋にじっとしていられないから
「人間のあらゆる不幸は、ただ一つのことから起きている。それは、部屋の中で静かにしていられないことだ」
ドキッとする言葉です。
私たちは、孤独や静寂、そして自分自身の内面と向き合うことを極端に恐れます。
なぜなら、一人静かに考えてしまうと、自分の弱さや、人生の虚しさ、死の恐怖といった「見たくない現実」と直面してしまうからです。
「気晴らし」という名の逃避
だから私たちは、必死になって**「気晴らし(ディヴェルティスマン)」**を求めます。
パスカルの時代で言えば、それは戦争であり、賭け事であり、狩猟でした。
現代で言えば、終わりのないSNSのスクロールであり、過剰な仕事であり、ネットショッピングです。
パスカルはこう指摘します。
人がウサギ狩りに熱中するのは、ウサギが欲しいからではない。
「ウサギを追いかける」という騒がしい行為によって、自分自身について考える時間を消し去りたいだけなのだ、と。
「彼らが求めているのは、彼らが自分のことを考えるのを妨げ、彼らを面白がらせてくれるような騒ぎなのである」
私たちが年末の忙しさに身を任せたり、テレビや動画を流し続けたりするのも、実は「静寂への恐怖」から逃げるための無意識の防衛本能なのかもしれません。
人間は「考える葦」である
しかし、パスカルは「逃げるな」とただ説教をしているわけではありません。
彼は、人間が弱く、頼りない存在であることを認めた上で、こう宣言しました。
「人間はひとくきの葦(あし)にすぎない。自然の中で最も弱いものである。だが、それは考える葦である」
宇宙の広大さに比べれば、人間は一滴の水、一吹きの風で死んでしまうほど弱い存在です。
しかし、人間は「自分が死ぬこと」や「宇宙が広いこと」を知っています。
考えることができる。その一点において、人間は偉大なのです。
年末こそ、スマホを置いて「思考」する
2025年も残りわずか。
今日、ほんの10分でいいので、スマホを置いて、テレビを消して、「部屋の中で静かに」してみませんか?
「気晴らし」でごまかすのをやめて、静寂の中で自分自身と向き合うこと。
「今年、自分は何を感じたのか」
「本当はどう生きたいのか」
最初は不安や退屈が襲ってくるかもしれません。
しかし、そこから逃げずに考え抜いた時、あなたは「ただの葦」から、尊厳ある「考える葦」へと変わります。
外側の騒がしさ(気晴らし)に幸福を求めるのは、もう終わりにしましょう。
真の安らぎは、静まり返ったあなたの部屋と、あなた自身の思考の中にしか存在しないのですから。
