『レストラン』 −後編−
僕も花も、ボタンが多くて首が苦しくなるシャツを着た。嫌だったけど、マナーなら仕方がない。
お父さんもネクタイを締め、黒いピカピカの靴を履いている。お母さんも普段は履かないスカート姿だ。
ホンダの赤い小さな車。助手席を前に倒して後部座席へ乗り込んだ。お父さんがエンジンをかける。
「さあ、行くぞー」
いつもと違う空気に僕はワクワクしていた。いよいよだ。念願の高級レストラン。
車は目的地へ向かう。赤信号で止まるたびに「早く青にならないかな」と思い、前の遅い車には心の中で「早くー」と叫んだ。
二十分ほど走り、ついに着いた。
看板には「Johnny's」とある。
何て書いてあるのだろう。
車から降り、お父さんを先頭に店へ入る。重たいガラスの扉を開けられると、中は明るくてキラキラしていた。
「いらっしゃいませ。何名様ですか」黒いズボンにベストを着たお兄さんが声を掛けた。
「四人です」
「こちらのお席へどうぞ」
窓際のテーブル席へ案内され、僕と花が並んで座り、向かいにお父さんとお母さんが座った。
僕は店内に響かないよう小声で言った。「ナプキンないよ」
「…⋯何?聞こえない」
少しだけ声を大きくする「ナプキンがない」
「まあ、そういう店もあるんだろう」
練習はナプキンから始めたから調子が狂う。
花は店に入ってから口をギュッと閉じたままだが、目だけはいつもより大きく開いていた。
テーブルの隅には塩や赤いソース、爪楊枝が置かれている。
しばらくすると、先ほどのお兄さんが水を運んできて、大きなメニューをお母さんに渡した。
「お決まりになりましたらベルでお呼びください」そう言うと、お辞儀をして去っていった。
お父さんとお母さんが見たあと、僕と花もメニューを開く。どれも美味しそうだ。
二ページ目に「ハンバーグステーキ」があった。見た目はハンバーグと同じだ。何が違うのだろう。
「恵ちゃんはハンバーグステーキでいいのよね。花ちゃんは?」
「うん、僕はハンバーグステーキ」
「花もお兄ちゃんと一緒」
「全部食べられるかな?」
「食べれるー」
「う〜ん、⋯分かったわ」
お母さんがお父さんを見る。「ベルを押してください」
チーン。
乾いた音が鳴ると、お兄さんがやって来た。「お決まりでしょうか」
「シーフードパスタとチキンドリア、それにハンバーグステーキを二つお願いします」
「ハンバーグステーキはパンかライスをお選びいただけます」
「僕はライス。花は?」
「お兄ちゃんと一緒」
「ソースはデミグラスソースかオニオンソースになります」
デミグラスソース……オニオンソースって何だろう。困っていると、お母さんが教えてくれた。
「お肉と野菜で作った濃いソースと、玉ねぎで作ったさっぱりしたソースよ。どっちがいい?」
「お肉の濃いソース」
「花もお兄ちゃんと一緒」
「かしこまりました。デミグラスソースを二つですね」
お兄さんはメニューを持って戻っていった。
「お父さんとお母さんは、何でハンバーグステーキじゃないの?」
「写真を見たらドリアが美味しそうでな」
「私はパスタが食べたかったの」
「そうなんだ。二人もハンバーグステーキを食べると思ってた」
「そんなことはないぞ」お父さんは優しく笑った。
料理を待つ間にも、お客さんが次々と入ってくる。
隣の四人組はジーパンにTシャツ姿だった。あっちの通路を歩いている親子もボタンのシャツを着ていない。
僕は小声で言った。「ねえ、お父さん。あの人たちジーパンだよ」
「マナーを知らないんだな」
僕は勝ったような気持ちになった。
やっと、お兄さんが小さなかごを持って来た。「こちら置いておきます」
中にはフォークやナイフ、スプーンがたくさん入っている。料理の左右に並んでいると思っていたけど違った。
「ここから取るんだね」
「そうみたいね」
そして、いよいよ料理が運ばれてきた。
「ハンバーグステーキでございます」
僕の前には、茶色いソースがたっぷりかかったハンバーグステーキ。横にはじゃがいも、いんげん、人参。ライスとスープも並んだ。
僕はフォークで押さえ、ナイフを入れた。とても柔らかく、すっと切れた。
中は少し赤く、肉汁があふれてくる。家で食べるハンバーグとは違う。
夢中で切っていると、皿とナイフがカチャカチャ鳴ってしまった。花はもっと大きな音を立てている。
恐る恐る隣の席を見る。でも話に夢中で誰も気にしていなかった。
安心して一口食べる。
ソースと肉汁が口いっぱいに広がる。
「恵汰、どうだ?」
「うん、とても美味しい」
「花もお兄ちゃんと一緒〜」
「そうか、良かった」お父さんもお母さんも笑っていた。
花は家ではフォークにご飯を手でのせて食べていたけど、今日はフォークだけで食べていた。僕は苦手な人参も食べ、全て食べ終わるとナイフとフォークを揃えて置いた。
「もうお腹いっぱ〜い」花のお皿には少し料理が残っていた。それをお父さんが食べ、家族全員が完食した。
「お父さん、最後のマナーしようよ」
「最後って何だ?」
「美味しかったからシェフに感想を言わなきゃ」
「⋯ああ、そうだったな」
お父さんはベルを鳴らした。
「お呼びでしょうか」
「シェフを呼んでいただけますか」
「シェフですか?」
「ええ、すいません、お願いします」
しばらくすると黒い制服のおじさんがやって来た。
「申し訳ありません。料理長は調理中のため参れませんので、代わりに私が参りました。店長の和田と申します。何かございましたでしょうか」
「いえ、料理がとても美味しかったので感想を伝えたくて」
僕も言った。「ハンバーグステーキ、美味しかったです」
「左様でございましたか。大変ありがとうございます。料理長にも伝えておきます」おじさんは笑顔で戻っていった。
ふと、隣の席の人達を見ると、僕たちを見てクスクスと笑っていた。
何で笑っているんだろう。
「よし、行くぞ」お父さんが白い小さい紙を持って立ち上がると、お母さんもほぼ同時に席を立ちレジへ向かった。
レジの近くにはおもちゃが並んでいた。花は夢中になって見ている。僕も欲しくなったけど、おねだりは我慢した。
「ごちそうさまでした」
お父さんとお母さんに続いて、僕と花も言う。
重いガラスの扉を開け、車へ向かった。
「ありがとう。本当に美味しかった。ハンバーグステーキってハンバーグと似てるけど違うんだね」
お母さんが笑った。「恵ちゃん、それね、お友達に聞いたら同じものなんだって。正式にはハンバーグステーキって言うけど、みんなハンバーグって呼んでるの」
「えっ、そうなの? 家のハンバーグとは違ったよ」
「このお店が特に美味しかったのよ」
「そうか……。ハンバーグステーキって、ハンバーグだったんだ。」
帰り道、僕は後部座席で、和也たちにどうやって自慢しようかと考えていると、お父さんとお母さんが小さな声で話しているのが聞こえてきた。
「お父さん、ありがとう。最後は恥ずかしかったでしょ?」
「ハハハ。いい思い出になるさ」
「お母さん、何が恥ずかしいの?」僕が口を挟むと、お母さんは少し照れたように笑った。
「あ〜、何でもないのよ。それより、恵ちゃん、お誕生日おめでとう。まだ言ってなかったわね」
「うん、ありがとう。また来られるかな?高級レストラン」
「そうだな。次は花の誕生日に来るか」
お父さんの言葉に、僕も花も顔を見合わせて喜んだ。
「ただし、次は普通のレストランに来ような」
お父さんはネクタイを緩めた。
―おわり―

