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AIと「勘」

生成AIが作る文章を読んで、違和感を持つことがあると思います。

内容は正しい。構成も整っている。でも、どこか他人の言葉で書かれたような居心地の悪さがある。こんな文章は使わない。

その違和感は、センスの問題、それも良いとか低いではなく、自分の持つ感覚の問題ではないかと考えました。

自分自身のセンスというのは、正解を選ぶ力ではなく、何を残して、何を捨てるか。その判断の積み重ねが、少しずつオリジナルな形になったものだと思います。

長い時間をかけて、失敗しながら、試しながら、気づけば自分がどちらを選ぶかが、傾向としてできている。

AIにはそのプロセスがなく、迷い、選び、捨てるという行為がない。だからアウトプットは整っているけれど、回答に体温がない。それは正確でまともそうに見えるけれど、少なくとも最初にでる回答は明らかに自分のものではない。

AIと対話していると、自分がどんな言葉に反応しやすいのかに気づきます。

どの表現を「違う」と感じるか。どこで「そうじゃない」と思うのか。その反応そのものが、自身のセンスの輪郭です。

AIの出力を使うのではなく、出力に反応する自分を見る。その往復が自分の選び方のクセを少しずつ明らかにします。それは磨くというよりきれいに見やすくするものです。

センスをAIに磨いてもらうことはできない。でもAIとの問いの繰り返しの中で自分のセンスとは何かを知ることはできるかもしれない。

人の「勘」は、AIを通じて研ぎ澄まされる。そのスキルはまだ誰も名前をつけていない未知の領域かも知れないと思っています。

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