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AI企画書の完成度と違和感

AIでスライドを作ってみました。(ジェンスパークやGoogle Notebooklm)

正直、すごいと思いました。これまで積み重ねてきた自分のディスカッションや思考が、きれいに整理構築されている。論点も流れも美しい。ぱっと見れば、完璧な企画書です。

でも、同時に違和感が残りました。
間違っているわけではないし、足りないわけでもない。でもたぶんこれは「通らない」。

「これは自分か」と聞かれると首をかしげてしまう。よくできているのに、自分の声がしない。そんな感覚です。

中身は、たしかに自分が考えてきたことのはずなのに、語り口が違う。迷いやためらい、途中で立ち止まった痕跡が消えていて、あまりにも整いすぎている。

その整い方が、「自分ではない」と感じさせているのかもしれません。

ただ、「ここから先がある」というサインをだしてくれているようにも感じました。

人によってこれを突き詰めていけば、極めて自分の企画書になりそうだ、という直感もある。

大事なのは、「これは自分の企画書か」と白黒をつけることではなく、「この企画書のどこに、まだ自分が入っていないか」を見つけることなのだと思います。

なぜこの順番なのか、本当にこの言い切り方でいいのか。説明しすぎていないか、逆に削りすぎていないか。このスライドを前に、自分が話すところを想像できるか。

そうやって違和感に触れていくと、AIのアウトプットは完成品ではなく、自分の感覚を浮かび上がらせるためのスタートになります。

あるいはこのスライドが「第三者からみた今の提案の評価」かもしれません。つまり、これがわかりにくければ自分の提案がわかりにくいのです。

だから、AIスライドを使うべきかと聞かれたら、答えはこうなります。使うべき。ただし、完成度ではなくそこから考えるために。

例えばもしこの企画書が、誰か別の名前で提出されるとしたら。そのとき、どこに一言、口を挟みたくなるでしょうか。
その一言こそが、企画書を「自分の声」に変える入口だと思います。

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