脳みそを焼かれた漫画の話 〜HELLSING〜
30という歩むにはまだまだ短い人生で何作か、
「これに出会ってしまったせいで性癖と美意識が歪んだな」
って作品がある。
その一つが、
HELLSING
である。
作者は、あの異様なテンションと台詞回しの魔術師、平野耕太。
初めて読んだときの感想はシンプル。
「何これ、意味わかんない、言葉にできない」
いや違うな。
悪辣の中にある美しさ。
脳みそが理解を拒む格好良さ。
脳を焦がす強い閃光。
吸血鬼。
ナ〇残党。
英国国教騎士団。
飛び交う血飛沫。
残弾数どこいった?と言ってはいけない銃。
宗教。
思想。
全部ごちゃ混ぜ、ヒラコーワールド全開。
なのに、全部が“様式美”として成立してる。
主人公アーカードは吸血鬼。
敵を蹂躙する。
圧倒的。
若い時の俺から見たら残虐。
笑う、嗤う、慈しむように。
煽る、人間なら、人間じゃないならできるだろうと。
なのに、下品じゃない。
むしろ、気品がある。
あの長広舌。
あの芝居がかった台詞。
あの
「戦争だぞ」
感。
脳が焼ける。
心が沸騰する。
特に有名な少佐の演説。
あれを読んだとき、
「狂気や執着って、こんなに格好良く書けるのか?」
って本気で思った。
戦争が好きだと高らかに宣言するあの演説。
倫理的に見れば完全にアウト。
でもフィクションとしての完成度が高すぎて、肌があぶく立つ。
“思想の熱量”をエンタメに昇華するって、こういうことかと。
そして忘れちゃいけないのが、我らがインテグラ。
誇り高い。
ちゃんと人間。
そう、人間臭いのだ、あの怪物にオーダーを求められ、怪物という最強の暴力装置のトリガーを引く覚悟をしたシーン
下品なんだけど、心がいきり立った、思わずガッツポーズして叫びたくなった。
婦警がセラスに代わり、やっちまいましょうした時、
神父が哀れな怪物に成り下がってしまった時、
人間が、怪物を打倒するため全てを売り払った時、
そして何より
「素敵だ、やはり人間は素晴らしい」
あれで性癖が歪まなかったオタク、いる?
銃声と血飛沫の中で、信念が、信仰ぶつかる。
誰も正しくないんだろうな。
でも全員、己の“美学や信念”だけは曲げない。
それがHELLSING。
正直、ストーリーの整合性がどうとか、細かい理屈はどうでもよくなる。
だって読んでる間ずっと、
「うわ、カッコいい……」
しか出てこないから。
画面が黒い。
ベタが重い。
影が濃い。
線が荒い。
なのに、ページをめくる手が止まらない。
“圧”がある漫画。
自分はこの作品で、
「悪役が一番楽しそうな作品は名作」
って価値観を植え付けられた。
ヒーローが正義を語るより、
狂人が笑いながら信念を語る方が、何倍も刺さる。
そして何より。
HELLSINGは、手加減しない。
読者にも。
キャラにも。
物語にも。
容赦なく殺す。
盤外で裏切る。
容赦なく終わらせる。
その潔さ。
“売れるための安全運転”じゃない。
“描きたいから描いている”狂気。
それがページから滲み出てる。
だから脳が焼かれる。
「これくらい振り切っていいんだ」って、
価値観を壊される。
自分が創作する側に回ったとき、ふと思う。
中途半端にウケを狙うくらいなら、
いっそ狂った美学を通したほうが記憶に残るんじゃないか?
そう思わせてくれた作品。
HELLSINGは、万人に優しくない。
血も出るし、思想も濃いし、倫理観も容赦なく踏み倒す。
でも、
刺さる人には、深く、深く刺さる。
脳みそを焼かれるってのは、
多分こういうことなんだと思う。
読後、元の感性には戻れない。
あの演説を、人の生き様を、汚さを、怪物の悲哀を、美しさを知ってしまった時点で。
もう俺たちは放たれた銃弾のように戻れないんだよ。
厨二病を“芸術”に昇華した怪作。
もしまだ読んでいないなら、
覚悟して読んでほしい。
貴方の美意識、ちょっと歪むから。
悪役が好きになる。
人間の醜さに、なぜか拍手したくなる。
でもそれ、多分悪いことじゃない。
むしろ、最高だ。
なぜなら人間は美しいのだから。
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