タテマエの法治国家――本丸は、法学ではなく人間学にある
日本は「法治国家」であると広く語られる。法によって為政者を縛り、法によって行政を運営する国家である、と。だがこの認識はタテマエにすぎず、現場の運動原理とは一致していない。現実の日本社会を動かしている力は、法ではない。そこにあるのは「空気」と「立場」である。
日本の行政現場、警察、検察、裁判所において、判断の多くは法の目的から逸脱している。運用者自身の保身、組織内部の力関係、部署間のバランス、メンツ、事なかれ主義。こうした圧力を私は「空気」と呼ぶ。法は本来「目的を実現する手段」であるはずだが、現場では「自分たちの行動を説明するための後付けの道具」として扱われる。法の条文は、行政被害者に対する説明装置であり、免罪符にすぎない。
この構造は制度の欠陥ではない。人間の欠陥の反映である。人は恐怖によって行動する。恐怖とは、孤立し排除されることへの恐怖である。人は立場によって自己を守る。だから「正しさ」より「所属」が優先され、「法」より「立場」が優先される。この心理が制度の主原動力となる。
その結果、日本は法治国家としての外形を保ちながら、内実は「立場国家」として動いている。立場を守るために法が使われる。立場の維持のために条文が捻じ曲げられる。この逆転こそ、現在の日本の制度問題の核心である。
制度を変えるとは、条文を書き換えることではない。条文を運用する人間の心理と、その心理を形成する教育に手をつけることである。「空気への従属」という日本人固有の社会的学習。これを断ち切らない限り、法治国家は永遠にタテマエのままで終わる。
制度改革の本丸は、法学ではなく人間学にある。ここを直視する勇気こそ、日本の停滞を突き破る最初の一歩となるだろう。
