【展示】TOPコレクション 明日の食卓
東京都写真美術館にて2026年7月2日〜9月21日まで開催している「TOPコレクション 明日の食卓」展に行って参りました。この「TOPコレクション」展は東京都写真美術館が収蔵する約39,000点の写真や映像作品を様々な切り口で紹介する定期展示です。「食卓」という誰にとっても身近であり、それゆえに他者や社会とのつながりを実感しやすいこのテーマで、この展示はどのような視点でどんなことを立ち現せるのでしょう。
展示構成
この展示は、第1室「あのとき、あの食卓で」、第2室「食と地域のあいだに」、第3室「環境のなかで」、第4室「明日の食卓」といった4つのセクションで構成されており、全ての作品が日本の作家で統一されています。また、この展示には写真だけでなく、第1室で川内倫子さん、第3室で岩井優さん、第4室で折元立身さんによる映像作品も含まれています。第1室が「食」への個人的な視点から始まり、次へ進むにつれて社会的な視点へ移ると同時に、「食」から「いのち」へとその眼差しを展開させています。
第1室「あのとき、あの食卓で」
ここでは、野口里佳・原美樹子・潮田登久子・島尾伸三・川内倫子さんの作品を展示しており、特に潮田登久子さんの「冷蔵庫」と島尾伸三さんの「生活 1980-1985」を中心に構成されています。2人の作品が対を成すように向かい合わせで展示されており、なおかつその中央には娘さんを含めた家族が使っていたオモチャや食器がレイアウトされていました。さらに、展示されている写真の量もこの2人に大きく偏っており、第1室全体がほとんどこの家族の生活をめぐる展示であるかのように感じられました。こうした構成は他の作家とのバランスを考えると、いささか過剰な演出だったのではないでしょうか。
とはいえ、どの写真にも娘さん自身やその痕跡が写っている島尾さんの夫というより父親としての視線には、愛情だけでなく養育への責任感が見て取れます。もっとも私が興味を惹いたのは、おめかしした娘さんが二足の靴を持ち、どの靴にしようか迷ってカメラを構える島尾さんを向いている姿の写真でした。洒落っ気付き始めた娘の姿に愛おしさを感じると共に、そうした女心の発露を驚きと喜びをもってシャッターを切ったように感じます。
潮田登久子さんの「冷蔵庫」は、1980年〜1990年代に撮られた作品、つまり昭和後期の一般家庭の食にまつわる様々な事柄を読み取ることができます。例えば「ビール瓶はないから旦那さんは家で晩酌しないのかしら」「瓶詰めの常備菜が多いから奥さんは仕事をしているのかしら」「パン粉を冷凍室に入れると湿気らずにフライが美味しくできる」とか「紙パックのアイスがあるからきっと子供は2人以上いるはず」などとつい邪推しては、当時の家族の在り方に懐かしさを覚えました。冷蔵庫を見るだけでも、当時の社会構造の一片まで読み取れるのです。そういったことを冷蔵庫を通じて写真に残すことを決めた彼女の未来への眼差しは、結果としてどんなに時が流れて家族の形が変わっても生活と社会が地続きであることを私たちに気付かせてくれます。

ところで、ここでも川内倫子さんの作品が「まなざしの奇跡 日本女性写真家の冒険」展と同様に写真ではなく映像作品だったのですが、偶然なのか何かの理由からだったのか気になりました。今回の展示で、彼女の「Cui Cui」が紹介されていました。13年間に渡るある家族の記録には、生と死のサイクルの中にある「ハレ」と「ケ」が立ち現れており、日本の食文化がこの二つの感覚と密接に関わっていることを思い出せてくれます。
第2室「食と地域のあいだに」
ここでは、奈良原一高・山田實・宮本隆司・竹谷出さんの作品を展示しています。奈良原一高さんは街の中の食、山田實さんは沖縄の食、宮本隆司さんは産業としての食を、そして竹谷出さんは北海道の大地と沖縄の海の食を見せてくれています。
街の中の食には、小料理屋や寿司屋の店先の描写を通じて商業の表(オモテ)の側面だけでなく、店の裏側と見られる商業の裏の側面を見せることによって、私たちが外食を利用する際に必ずついて回る、見てはならないもの・見たくはないものがあることを突き付けられます。


山田實さんによる「手をつないで 糸満漁港」からは、漁を生業とする親子の姿にノスタルジーを感じるだけでなく、この展示の文脈の中においては、私たちが普段口にするものがどこから来るのかだけでなく、その周辺にどんな営みがあるのかを思い出させてくれます。また、「塩田で働く少女 与根 豊見城」では、食の生産には必ず労働が伴うという忘れがちな現実を目にすることになります。

この中で、宮本隆司さんのサッポロビール恵比寿工場のシリーズがどのような位置付けなのかと最初は分からなかったのですが、これは近現代に発現した「食の産業化」を象徴しているのではないでしょうか。なおかつこれらの写真に写された、工場が解体されていく様子を目にすると、現代の世界的な食糧危機まで連想してしまい、現在の食をめぐる問題の多さとその将来に静かな戦慄を覚えます。ただ、彼の作品が「地域=土地の食の関係」として読むならこの位置付けは理解できます。しかしその場合でも「産業」という別の重要な側面がこぼれ落ちています。ちなみに、後のサッポロビール恵比寿工場につながるこの醸造場は、日本麦酒醸造会社によって1889年10月(明治22)に竣工しました。ドイツから醸造設備や技師を招いて建設された近代的な工場であり、日本におけるビール産業の近代化を象徴する存在でもあります。
第3室「環境のなかで」
ここでは、宮崎学・土田ヒロミ・楢橋朝子・岩井優さんの作品を展示しています。宮崎学さんの作品からは、食を媒介として人間と野生動物の生息圏が地続きで時には干渉し合う様を写し出しています。ここから、私たちがどんなに開発して自然の脅威から遠ざけ快適さを追求しても、時として自然環境がふとしたきっかけでそれを押し戻そうとする事実に、どう向き合うべきかを考えさせられます。

土田ヒロミさんの作品「フクシマ 2011-2017」のシリーズは、自然と人間の共生が崩壊した様子ばかりではなく、再びこの共生を再構築しようとする復興の様子を定点観測で写し出しています。唯一残念だったのが「芦原の耕作禁止区域水田(福島県相馬郡飯舘村芦原)A」の、大きく引き伸ばした写真のデジタル処理が良質ではなく目に刺さる感じがしたことです。
このように、このセクションでは人間と自然との関わりを様々な形で見せていますが、環境という言葉を「自然」だけで説明しようとせず、もっとストレートに食にまつわる環境─先述の産業・流通・そして現在グローバル化された「食」といったものを取り上げた方が、より立体的になったでしょう。
第4室「明日の食卓」
このセクションでは、折元立身さんによる2つの映像作品が紹介されています。日本とポルトガルで高齢者を募り、共に食事をする様子をコミュニケーション・アートとして紹介しています。それまで3室で複数の作家によって広げてきた「食」の多面的な問題意識を、最後に「共に食べる」という彼の肯定的な実践へ収束させてしまうこと、つまりそれまでのセクションで示されていた食に関する多様で複雑な問題に対して、その回答があまりにも小さく感じます。そもそも、私たちの未来の食卓は、本当にそれだけ多くの人を一つの場所に集めることによって成り立つのでしょうか。
なぜ今「食卓」なのか
第1室において、現代の私たちにとって適度なノスタルジーを感じられる時代の食の歴史から始め、都市と地方に目を向け、更に直近の社会問題にまで触れています。こうした、「食」から「生きること」へ、そして個人的な記憶から社会・未来へという構造上の物語は理解できます。ただ、その物語を鮮明に訴えかけるセクションごとの深さや強度、作品間の接続が弱く見えました。例えば第1室では島尾伸三さんと潮田登久子さんの作品が中心的に扱われていますが、その他の作家の作品との接続が弱く、ひとつの「食卓」というテーマのもとに作品が並んでいるという以上の広がりを感じにくいものでした。また、第4室の「明日の食卓」のセクションで「孤食」についても触れていますが、観る人にその切実さやリアリティ、今日性を感じさせるほどの作品の展開や強度に欠けていました。
第1室には「食卓」があり、第2室には「食卓に届くまで」、第3室には「食卓を成立させる環境」、そして第4室には「これから誰と食卓を囲むのか」といった、「食卓」という中心軸があったはずなのに、途中で「食」という大きすぎる概念に拡散してしまいました。第4室で再び「食卓」という軸が中心に戻ったものの、そこではその問いやメッセージが閉じられ狭いものになってしまいました。
「食卓」という誰にとっても身近な場所から出発したからこそ、そこから私たちの社会がどこへ向かい、何と接続していくのかを考えるきっかけを用意して欲しかったです。
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