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親子は南仏のアパルトマンで四角いオムレツを囲む | 創作大賞応募フードエッセイ

◼️旅のきっかけ


「生まれ変わったらフランス人になりたい」

フランスと食器とおしゃれが大好きな母がくも膜下出血で倒れ、フランス人に転生しかけたのは、68歳のとき、今から7年前のことだ。

自身の親の介護を終えた母の希望で、パリに小さなアパルトマンを借りて、けんかを繰り返しながら、ブルゴーニュやジヴェルニー、コルマールなどの小さな田舎町を母娘で旅してから、2年が経っていた。

身体の麻痺などの後遺症こそ残らなかったものの、退院後の母は、出血した左目奥が起点の目の不調から、体調不良で横になる時間が増えた。
それでも、三途の川の番人に「私は三途の川じゃなくてセーヌ川を見たい!」と言ったか言わないか、死の淵から生還した母は、何かに急かされるようにフランス語の勉強を始め、今度は弟や父をともなって、何度もフランスに出かけて行った。

海外旅行に行けない時期には、手術を繰り返している目の痛みで「携帯の画面もよく見えなくなってきた」と嘆いた。好きな読書があまりできなくなっても、お気に入りの旅系ユーチューバーの動画に心酔しながら、たくましくフランスに想いを馳せた。

コロナ禍があけた頃、母は71歳となり、父は73歳の誕生日のメッセージに「ありがとう。平均寿命まであと10年です」と返信して家族を焦らせた。

父と母は2人でのんびり過ごせるリゾート地への旅はしていたけれど、やれ旅先で転んで怪我をした、やれクレジットカードを無くした、父の運転技術が怪しい、話を覚えていない(これは母の小言を聞き流しているだけだと思うが・・・)など、歳を重ねているのが原因と思われる心配事は、日常生活でも増えていく。

それでも次々に行きたい土地に自分たちで航空券やホテルを手配して出かける姿は、身体の衰えや不調と共に失っていく自信を、旅に出ることで取り戻そうとしているようにも見えた。



両親2人だけで海外旅行に行かせることに不安を覚えるようになってきた頃、「最後に1ヶ月くらい、南フランスを暮らすように旅したい」と言い出した。

焼きたてのクロワッサンを食べたいと言うパン好きの父に、「生のムール貝」や「牛タルタル」など、私との母娘旅でおいしかったものも食べさせたいと、一緒に行こうと誘われた。

この時、私は自身で立ち上げた、地方の食の取り組みの手伝いをする小さな会社が多忙を極めていた。

「最後に」という言葉に心がざわざわし「いいね」と返事をしたものの、本当に行けるのか心配になってきた時、仕事にかまけてスキップしていた健康診断で婦人科系の病気が見つかった。年齢的に更年期かな、とやり過ごしていた身体の不調にはちゃんと原因があったことを知った。

ちょうどベトナムを旅行中だった両親に話すと、電話越しにもわかるくらいに母は取り乱した。すぐに命に関わる病気ではないとなだめたが、その日予定していたメコン川下りはキャンセルして落ち込んでいたらしい。

両親の狼狽える様を見て、家族のためにも、自分を大切にしてこなかったことにショックを受けた私は、年度替わりのタイミングで、仕事のペースを快速から各駅停車に乗り換えることにした。

40代の後半に入り、日々、必死にアウトプットを繰り返した私の鍋は、もはやカラカラに煮詰まっていた。
知らない土地に身を置いて、知らない文化にじっくり触れたら、より日本の地方を客観的にみることができるし、もっといいアウトプットができるようになるかもしれない。
ピーター・メールの『南仏プロヴァンスの12か月』を読んで憧れた、春から初夏にかけて南仏が最も美しく輝く時期に、のんびりと、煮詰まった思考とこの状況に、ピリっと効果的なエスプリを足したいと思った。

皮肉にも、病気の発覚をきっかけに、両親とのフランスの旅が一気に現実的になったのだった。


◼️旅先自炊という選択


旅が決まると、ホテルステイではなく、個人が所有するキッチン付きのアパルトマンを借りることを提案した。

出張の際に両親の家に立ち寄り、外食に誘っても、コース料理を最後まで食べられないほど、母は食が細くなってきていたし、父も外食より、家でゆっくり、自分のペースで食事とお酒を楽しむことを好んだからだ。

フランスはレストランが開くのが19:00以降の店が多く、夕食が遅いことや、恐ろしい速度で進む円安も手伝って、自炊は長期滞在における節約の面からも、とても現実的な選択だと思った。

幸い、フードコーディネーターとして地域の「おいしい」を形にする仕事をしている私は、趣味が仕事になったようなところがあって、料理を作るのも、食べるのも、買い出しをすることだって楽しい。

仕事に煮詰まると、時間がないのに手の込んだ料理を作りたくなるし、海外に限らず、初めて訪れる土地のスーパーやマルシェは、私にとってはテーマパークや食の博物館のよう。食を通じて、その土地を知ること、それを誰かと共有することに幸せを感じる。


提案にのった母は「2人で旅した時にパリで作ってくれたうさぎのソテーをまた食べたい」と言い、父は「毎朝、焼きたてのクロワッサンを買いに行く」と張り切っている。

さて、母と旅したパリやブルゴーニュで、フランス料理といっても、地域によって味付けや使われる食材が大きく違うことを知った。

うさぎがあるかはわからないが、プロヴァンス地方は羊が特産だ。私のレシピでは欠かせない、ラムと相性抜群のエルヴ・ド・プロヴァンス(プロヴァンスのハーブミックス)も、本場のものはどんなに香りが良いだろう。
イタリアだったこともある南フランスならではの、トマトやオリーブオイル、レモンや魚介類を使った地中海料理も、こってりとした重いフレンチより、今の2人の口には合いそうだ。

いったん旅の妄想が現地の食に結びついてしまうと、もう止められない。
いそいそと、ニース行きの航空券とフルキッチン付きのアパルトマンを探す。
地中海料理の色鮮やかなレシピ本を眺めながら、気持ちはもう南仏のマルシェとキッチンに飛んでいる。


◼️旅の準備は調理道具から


日本から持参する調理道具は、仕事でも使っているキャンプ用のテンマクデザインの布製ツールロールにくるくると巻いてスーツケースに入れる。

使い慣れたグローバルの小型の包丁に、よく切れる飯田商店のピーラー、上下どちらも使える両菜箸、木ベラ、おたま、100均のキッチンばさみなどの基本的な道具に加えて、現地の料理や食文化を調べてから決める。

フルキッチン付きのアパルトマンには、大抵のものは用意されているが、暮らすように旅をしたいのであれば、普段から使い慣れた道具を連れていきたい。

フランスでの暮らしに欠かせない道具は、バゲットを切るためのギザ刃のパン切り包丁に、軽い木製のバターナイフ。
ワイン好きの父と飲むために、愛用しているラギオールのソムリエナイフは留守番させて、無くしても泣かなくて済む100均のワインオープナーを連れて行く。
チーズ大国のいろんなチーズも試したいので、チーズナイフと小型のグレーターも忘れずに。
最後まで迷ったが、フランス料理のスープやソース作りで使うと思われるハンディブレンダーも特別に持って行くことにした。

その土地ならではの料理に使う、特別な道具や、日本に持ち帰っても使えそうな調理道具は、現地で探すのも楽しい。

今、私の自宅兼仕事場のキッチンには、フランスで見つけたオリーブの木のヘラに、ラザニアを取り分ける専用の木のスプーン、タイのお土産の、先端がゾウの形に掘られたサラダ用トング、スリランカのココナッツの殻で作られたおたまなどがあって、賑やかだ。

「足りないものは現地で探せば良い」というくらいの心づもりが、ちょうど良い。


消耗品で忘れてはならないのは、なんといってもラップ。現地でちょうど使い切るくらいを見計らって、使いかけを持っていく。柔らかくて切りにくく、皿にぴったりくっつかない海外のラップを経験すると、日本のラップほど優秀なものは世界中、どこを探してもないと確信する。

食品保存だけでなく調理にも活躍するジップロックやアイラップなどの保存袋は、箱から出して多めに持っていく。
食洗機がついていないアパルトマンであれば、使い切れる量の食器用洗剤とスポンジがあると安心。泡立たない洗剤にペシャンコのスポンジを使うストレスから解放される。

現地で消費するもの、持ち帰るお土産物などを考えると、出発の時点ではスーツケースの1/3は開けておきたい。


調味料、とりわけ塩と酢と油は、現地で調達することにしている。

日本の軟水でないと、昆布から良い出汁が取れないように、フランスは硬水だからこそ、バゲットはおいしく焼け、煮込み料理の味が深まると聞く。ゲランド、カマルグなどの塩の産地がたくさん存在するフランスの水に合い、その土地で育った食材を引き立てるのは、やはりフランスの塩なのだと思う。

オイルもまた然りで、南仏は、イタリア料理の影響を強く受けていることもあって、動物性のバターよりも、植物性のオリーブオイルをよく使う。その国独自の食文化が背景にある油を使うと、料理が一気に本場の味になる。

穀物酢、赤・白ワインヴィネガー、バルサミコ酢、レモンやライムなど、酸味の付け方は地域によってそれぞれだが、ちょっと良い酢を買っておくと、料理がグッと格上げされる気がする。

どれも使い切れる量を購入するよう気をつけたいところだけど、帰国してからも、旅に思いを馳せながら使う楽しみもあるので、珍しいものを見つけるとついつい、増やしてしまうのが悩ましい。

その他に、個人的にはあまり使わない砂糖、ソテーする食材にまぶしたり、スープのとろみ付けに使う小麦粉など、少量しか使わない調味料は、ラップに小分けにして日本から持っていけば完璧だ。

キッチン付きのアパルトマンには、必ずと言っていいほど、かつてそこを利用した人たちが、余った調味料を置いておく棚があった。賞味期限にさえ気をつければ、どこの国から来た人がどんな料理を作ったのだろうと、想像しながら拝借するのも、なんだか楽しい。

後日、フランスのアパルトマンのおしゃれなキッチンには、私がこうして考えに考え抜いて現地で厳選したフランスの調味料の横に、母が持ち込んだ、だし醤油と和風ドレッシング、流行りのろくすけ塩が並んだのだが、もう気にしないことにした。


◼️キッチンから見える生活の息づかい


この旅では、ニースと、滞在期間が長いアヴィニョンに2軒、エクス・アン・プロヴァンスの3つの街にアパルトマンを借りた。

毎度、お約束のようにトラブルが発生するセルフチェックインを乗り越え、部屋に着くと真っ先にチェックするのはキッチンだ。

最初のアパルトマン、ニースのキッチンは、開放的な明るい光に包まれた、スタイリッシュな最新のアイランド型だった。調理道具は十分に揃っているのに、なぜかカトラリー類が一切なく、最終日のホテルステイで使おうと持参したわずかな割り箸や使い捨てフォーク、スプーンを洗いながら使うハメになった。

鍵が置いてあるガレージに続くスロープに閉じ込められ、アラフィフの私がミッションインポッシブルのイーサンハント並みの壁ごえを披露してやっと辿り着いた2軒目、城壁の町、アヴィニョンの少し古いアパルトマンは、4口コンロのちょっとレトロな黄色の、かわいらしいキッチン。
食器棚の器も、レトロな柄で、使うゲストの問題か、欠けているものも多かったけれど、きっとこの部屋の前の持ち主が大切に使ってきたことが想像できた。

3軒目は、昔、テーブル・インテリアコーディネーターとして仕事をしていた母の好みをたっぷり考慮した、アヴィニョンの旧市街にある、センスの良いアンティーク家具にあふれたアパルトマン。4口のIHキッチンは黒でシックにまとめられていた。
フライパンの間に敷かれたフェルト生地のプロテクターと、冷蔵庫に冷やされていた私たちへのプレゼントのワインを見つけた時、ここのオーナーのマダムは、インテリアセンスもさることながら、料理が上手で、絶対、食べることが好きな人だと確信した。母とも気が合いそうだ。

石井好子さんのエッセイ『バタをひとさじ、玉子を3コ』には、こんなことが書いてある。
フランス人は、男女関係なく食べることを大切にするし、常においしいものを食べたい、おいしい料理を作りたいと思っている人種らしい。
男女関係なく、姦しく食べ物の話をし、ダンナ様が、恋人が、父親がおいしいものを食べたがるから、女性は良き料理人にならざるを得ない。そして実際フランスの女性は大てい料理がうまい、と。

どの宿のキッチンからも、そんなフランス人のエスプリが伝わってきて、早くマルシェから食材を持ち帰って作りたいと、気持ちがはやる。

旅先でのキッチンは、開けてびっくり、多種多様で、感動することの何倍も不便なことは多いけれど、旅先での食事に「自炊」という選択肢が加わると、観光だけでは見えない、その地域の食の豊かさや文化、そこに暮らす人々の生活の息づかいを感じられる。

自炊することに疲れたら、買ってきたお惣菜を温めて、チーズとワインだけでも良いし、たまには外にふらっと食べに行ったって良い。

大切な人たちと、旅先の食材に溢れた食卓を囲むことは、なんと自由で贅沢なことかと思う。


◼️うちの朝ごはんと四角いオムレツ


思えば、普段は東京と九州で離れて暮らす両親と1ヶ月もの間、寝食を共にするのは、私が小学生の時以来だ。

単身赴任していた父が帰ってきて、家族全員が揃うたまの機会の朝食には、母は父のためにパンと目玉焼きの洋食を作り、和食派の私と弟にはご飯を炊いて、長崎の少し甘めの麦味噌の味噌汁と、甘くふわりとやわらかい卵焼きの、和洋2種類の朝食を用意した。

長い単身生活が終わり、福岡のマンションで、何十年ぶりかに両親が一緒に暮らすようになって以来、自分で作るときはいつも、焼きすぎの食パンと、目玉焼き、お湯で溶かすインスタントコーヒーが定番だった父の朝ごはんに、クロワッサンやシナモンロール、ゆで卵やスクランブルエッグ、旬のフルーツといったバリエーションが加わった。

鉄瓶を使って豆から挽いたコーヒーを入れ、すぐ近くに住む小さな孫のために、ホームベーカリーで、ナッツなどをたっぷり使ったパンを焼いて届けるのが、退職後の父の仕事になっていることを知った時は、心底驚いた。



ニース滞在中の朝、まだ時差ぼけが治らず3時に起床していた父と私は、6時に開店する店を探しては、焼きたてのクロワッサンとバゲットを買いに出かけた。
6月中旬、春から初夏に移り変わる時期のニースの朝の空気はひんやりと澄んでいて、店が近づくと焼きたてのパンの香りが涼やかな風にのって道案内をしてくれる。

おいしそうな店には、先客の鳩がいて、床に散らばったパン屑をつついている。店員にも、客にも追い払われることなく、当然のような顔をして朝食を取っている鳩を踏まないようにレジを進み、これだけは覚えておいたフランス語で注文をする。

「Bonjour ! Deux croissants et une baguette tradition, s'il vous plaît.」
(おはよう!クロワッサン2つと、バゲットトラディショナルを1本ください)

まだほんのり温かいクロワッサンとバゲットを抱えて、嘘みたいな色をしているニースの海を横目に見ながら、母の待つアパルトマンに帰る。

「フランス人は買ってすぐに一番おいしいバゲットの端っこをかじるらしいよ」

本当か都市伝説か、地元住民からみると、単に行儀の悪い外国人観光客なのかもしれないが、私の気分は上々だ。



朝ごはんは、前日にマルシェで買ったぺしゃんこの桃やブラックチェリー、プラムなどの旬の果物を数種類、少しずつ皿に盛った。
スーパーで買える食材も、個性的で便利だった。何種類もの葉物野菜がミックスされた袋入りのサラダ用野菜は、洗わずに使えるので、ニースの専門店で買ったレモンオリーブオイルと、塩で和えるだけで素敵なサラダができた。
クリームチーズのように濃厚なヨーグルトには、母が選んだオーガニックの桃のジャムで甘みを足す。
私たちは、フランスのスーパーにはフィルターパック付きのドリップコーヒーが存在しない事をこの旅で初めて知り、父は私がラテ用に日本から持ってきたデカフェのインスタントコーヒーを、初めて使うかのように信じられない濃さで淹れて、母に怒られていた。

毎朝、タンパク質を摂るために玉子を食べるという両親に、石井好子さんのエッセイ『巴里の空の下 オムレツのにおいは流れる』を思い出しながら、バゲット用に買った発酵バターをたっぷり使って、オムレツを作った。

旅先の宿の調理道具は、テフロンがはげていてこびりつくことが多い。念の為、現地で捨てても惜しくない、日本で使い古した、でも焦げ付かないギリギリのラインのフライパンを持っていったのだが、それが卵焼き用のフライパンだったものだから、南仏滞在中のオムレツは、だし巻き卵のように四角に焼いた。

オムレツを、中身はふわりと、格好良く作るのはいまだに苦労するけれど、朝ごはんは和食派の私は、だし巻き卵を巻くのはお手のもの。
自分の好きな分だけ取り分けられるように、切らずに皿にのせた四角いオムレツを見て「変な感じがする」と両親が笑う。

朝の主役はもちろん、焼きたてのクロワッサンとバゲットだ。

クロワッサンをかじると、パリパリと外側の薄い層が弾け、中のしっとりとした層に歯が触ると、バターの芳醇な香りと生地の甘みが口の中に広がり、思わず惚ける。
焼きたてのバゲットには、噛むとガリッと音がするくらいの大きさの、塩入り発酵バターをたっぷりと塗って食べる。外皮はカリッと、中はむっちりしたバゲットを噛み締める度、押し殺した罪悪感の代わりに、小麦の良い香りと幸福感が湧き上がる。

毎朝、違う店のクロワッサンとバゲットを食べては、「昨日のクロワッサンの方が、バターの香りが強かった」「鳩がいる店のバゲットが一番美味しかった」「私は全然覚えていない」「明日はどのお店に行こう」などと、家族でパン談義を繰り広げた朝の時間は、日本のいつもの朝よりもゆったりと長くて豊かだった。
朝が待ち遠しい心持ちなど、久しぶりだった。


帰国後、家族全員、見事にそれぞれの店の味や特徴の違いを覚えていなかった。noteを書くにあたっては、都度、メモに残していなかったことを悔やんだけれど、父と出かけた朝の空気や、胸に抱いたバゲットのほんのりした温かさ、家族で囲んだ朝の食卓の多幸感は覚えている。

ところで、母はスーツケースに米とフリーズドライの味噌汁を忍ばせてきていた。すっかりバゲットの朝食にはまっていた私は、荷物を減らしたい母がニース最終日に握った塩むすびとフリーズドライの味噌汁を渋々食べた。

朝は和食派の私のために持ってきていたのかもしれないと、今になって気がつく。     

🇫🇷RECIPE①四角いオムレツ

<旅先自炊POINT>
調理道具がままならない不便も楽しむ

【材料】
・玉子 3個
・生クリーム(なければ牛乳)大さじ3
・塩 ふたつまみ
・罪悪感を上回る量のバタ 30g

【作り方】
1.ボウルに玉子を割り入れ、生クリームを加えてよく混ぜ合わせる。
2.塩を加えて味をととのえる(塩入りバタを使う場合は少なめに)
3.テフロン加工された卵焼き用フライパンに、罪悪感を上回る量のバタの半量を入れ、中火で溶かす。
4.2の玉子液を1/3量加え、強火でとろとろにかき混ぜたら、だし巻き卵の要領で手前に巻く。
5.残ったバタと玉子液の半量を加えて、かき混ぜながら手前に巻く。(トマトやチーズ、マッシュルームなど、加えたいものがあればこの時に一緒に巻く)
6.残った玉子液を全部加えて焦げ目をつけないように中火で巻き、フライパンの角で形を整える。
7.必ず焼き立てを食べる。


◼️ニースで見つけた太陽の味 ごろごろ野菜のラタトゥイユ


「リビエラの女王」と称される南仏最大のバカンス地、ニースのマルシェは、観光地化していて物価も高かったが、青い空の下にずらりと並んだ野菜たちは、内側から発光するように色鮮やかで、美しかった。

旅の最初は、専門店やスーパーで少しずつ、必要な調味料を揃えながら、自炊料理にバリエーションを加えていく。

ご当地スーパーで父と私が歓喜したのは、50m走ができそうな長さの棚にずらりと並べられた、南仏特産のロゼワイン。特にプロヴァンス地方は、世界で最も高品質のロゼワインの産地で、生産量も消費量も世界一を誇る。

魚には白ワイン、肉には赤ワインと、ワインは料理の色に合わせると良いとはよくいうが、淡い桃色から、深みのあるサーモンピンクまで、プロヴァンスのロゼは、魚にも肉にも合わせられる万能選手。
白ワイン好きの父と、赤ワイン好きの母の、ちょうど間を取り持ち、1本3ユーロからという、お手頃価格も手伝って、旅の期間中の自炊料理の引き立て役もこなす、平和的で心強い存在となった。


マルシェやスーパーで買い物をするのは楽しいが、観光だってしたいので、自炊がままならない日のために早いうちに見つけておきたいのが、現地の気の利いた惣菜店だ。

ニースの旧市街の端に佇む「Maison Ghibaudo-Pottier」は、それはそれは素敵だった。
1924年創業で、100年以上にわたって地元住民に愛されるシャルキュトリーの名店には、定番のパテや、豚の足のゼラチンを固めたピエ・ド・コションなど、肉を使ったフランス伝統料理を筆頭に、フランスの家庭料理の惣菜が豊富で、タブレやキッシュなどが華やかにショーケースに並ぶ。
ズッキーニの花の詰め物や、フリットなど、レストランでしか出会えないと思っていたニースの郷土料理にも遭遇し、小躍りしたくなるほど。

見つけた日以来、ひっきりなしに訪れる地元客に混じって毎日通っては、どれも抜かりなくおいしい惣菜を、自分たちのペースで、かつ、レストランで食べるよりもお得に楽しんだ。

中でも、母と私が気に入ったのが『ラタトゥイユ』だ。日本でもお馴染みとなっているフランス家庭惣菜だが、この店のそれは、赤パプリカやズッキーニ、ナスやトマトが大ぶりに切られ、クタクタに煮込まれることなく、みずみずしい光をまとっている。
煮込まれていないはずなのに、野菜の一つ一つが、しっかりと煮詰めた野菜の旨みを纏い、口に入れると程よく残った野菜の食感が楽しい。それぞれの野菜が凝縮した、太陽のような明るい旨みが広がる。

なんて元気になる味だろう。野菜たちは時間差で加えられていそうだ。材料を揃えてすぐにでも試作をしたくなって、うずうずする。

南仏滞在中は行く先々で、まずこのラタトゥイユを作り置き惣菜として仕込んで、肉や魚料理の付け合わせにしたり、残ったバゲットにチーズとのせてブルスケッタを作っては、ロゼワインのつまみとして楽しんだ。

こうして持ち帰りに成功した味は、秋にはきのこ、冬にはれんこんやごぼうといった根菜、春には空豆と、旬の食材に差しかわりながら、我が家の定番レシピになっている。

🇫🇷RECIPE②太陽のラタトゥイユ

<旅先自炊POINT>
冷蔵庫で冷やすと翌日に味が深まる
自炊旅の作り置き惣菜にぴったり

【材料】
・赤パプリカ 1個
・黄パプリカ 1個
・にんじん 1本
・ズッキーニ 1本
・茄子 2本
・玉ねぎ 1個
・ミニトマト 8個
・にんにく 1かけ
・赤唐辛子 1本
・エルヴ・ド・プロヴァンス 大さじ1
・塩、エクストラバージンオリーブオイル 各適量

※エルヴ・ド・プロヴァンスの代わりにタイムとオレガノでもOK
※塩はゲランド、カマルグなど、おいしい塩を使う。ろくすけ塩も◎

【作り方】
1.パプリカは種とヘタを除いて大きめの乱切り、にんじんは一口大の乱切りにする。ズッキーニは1.5cm幅の輪切り、茄子は大きめの乱切りにして水にさらす。玉ねぎは大きめのくし切りにする。
2.口が広めの鍋に多めのオリーブオイル、つぶしたにんにく、赤唐辛子を加えて、香りが立つまで炒める。
3.パプリカとにんじんを入れて軽く塩を振り、5分ほど炒める。
4.ズッキーニを加えて2分、なすを加えて2分炒める。
5.蓋をして弱火で5分蒸し焼きにし、水分が出てきたら蓋をとって火を強め、水分を飛ばす。
6.玉ねぎを加えて混ぜ合わせ、塩を振って再び蓋をし、弱火で3分蒸し焼きにする。
7.蓋をとって野菜から出た水分を火を強めて飛ばしながら、煮詰めた煮汁を野菜にからませる。
8.最後にミニトマトとエルヴ・ド・プロヴァンスを入れ、蓋をして1分間弱火で温めたら、蓋をしたまま粗熱をとる。
9.塩で味を調え、冷蔵庫に入れて味をなじませる。

※手間はかかるが、冷やした際に出てきた水分は、別鍋で煮詰めて、野菜の旨みを凝縮させたソースとして野菜に絡めることで、お店の味に近づける。


◼️新旧サラダニソワーズ


マダム・エリザベットが指定した、赤い外壁のクラシカルな建物『Le Grand Café de France』は、再会の場所としてはあまりにも完璧だった。

ジャンメドサン通りを店に向かって歩いていると、いち早く私たちを見つけたエリザベットが笑顔でテラス席から立ち上がり、両手を広げた。
両頬にフランス流の挨拶のキスを交わし、「あなたたち全然、変わらないわね!どうなってるの!?」と、お世辞を言いながら、エリザベットは母と私の腕を掴んだまま、席になだれ込む。

ニースを最初の滞在先に選んだ時から、私たちは8年前にブルゴーニュでフランス料理を教えてくれたエリザベットとの再会を楽しみにしていた。


日本人の久美子さんとパートナーのポールが経営する、ブルゴーニュの雄大な自然の中に佇むシャンブルドット(日本の民泊のような宿)に滞在しながら、私たちは実に濃い3日間を過ごした。

地元のスーパーでエスカルゴの買い出しから始まり、大きな窓から緑が一面に広がった庭が見えるキッチンで、ランチとディナーの2回に渡って、伝統的なフランスの家庭料理を教えてくれた。
久美子さんの通訳を挟みながら、料理の最中も、食べる時間も、「日本にはこの食材はある?どう料理する?」と、日本の料理にも興味津々のエリザベットとの料理談義は止まらなかった。

翌日は、ロゼワインとおつまみを持って湖畔へピクニックに行ってアペロを楽しんだ。夜になっても昼間のように明るい森の中で、私たちにロゼワインのおいしさを教えてくれたのもエリザベットだ。

久美子さんの運転で遠出をして、エリザベットお気に入りのフォアグラパテのお店に立ち寄ったり、ご主人が勤めるマルサネ村のドメーヌでワインの試飲をしたり、ロマネコンティの葡萄畑を見に行ったり…ブルゴーニュでの美しい思い出の全てに、彼女たちの姿がある。

その後、母が弟と行ったパリで再会した久美子さんから、エリザベットがニースに移住したことを聞いた。また母と訪れるフランスで、それもニースで再会できるなんて思いもしなかった。


母より5歳〜10歳ほど年上だと思われるエリザベットは、変わらないどころか、若返ってすら見えた。ブルーのストライプシャツに黒のカーディガンを羽織り、スキニーデニムにスニーカーがよく似合っていて、「矍鑠とした」という表現がぴったりだ。

英語を話さないエリザベットとは、8年前にはなかった「Google翻訳アプリ」を通じてフランス語で会話をする。
勧められた甘いコーヒーを飲みながら、ブルゴーニュの思い出話と、ここではニースの郷土料理の話で盛り上がる。
話の間もずっと、エリザベットと母は、お互いの腕を握り合っていた。

「まだおいしいサラダニソワーズを食べていない」と伝えると、おすすめの店にランチに行こうという。

赤いカフェを後にして案内してくれたのは、ニースの海を思わせる青が印象的な店だった。

外は珍しく雨なので店の中の席にしてもらったら、Google翻訳が使えなくなり、メニューを決める段階でエリザベットとの会話が完全に詰んだ。
結果、フランス語で勧められるまま、私と母が頼んだサラダニソワーズは、ビビットな赤い皿にたっぷり、それぞれ、4人分はまかなえそうなサイズで現れた。

エリザベットはしっかり半量のミニサイズ。

カリッと痩せているエリザベットに、私らぽっちゃり母娘はどれだけ食べると思われてるんだろう。

ニースの郷土料理の『サラダニソワーズ』の日本語訳は『ニース風サラダ』。
トマト、ゆで卵、アンチョビやツナ、ニース産の黒オリーブが入っていて、オリーブオイルとワインヴィネガー、塩、こしょうのシンプルなドレッシングで和えてある、旅先自炊にもおすすめの簡単メニューだ。

伝統的なサラダニソワーズだと生野菜のみが使われ、茹でたジャガイモやインゲンが加えられているものは、現代風にアレンジされたものらしい。そういえば、私が食べたサラダニソワーズはじゃがいも入りで、濃厚なバルサミコ酢がかかっていた。

8年前「ブルゴーニュ風エスカルゴのパセリバター」に、「コックオーヴァン(鶏の赤ワイン煮込み)」、「鴨のパルマンティエ」など、クラシカルなフランス料理を教えてくれたエリザベットおすすめのサラダ二ソワーズは、やはり、生野菜だけの伝統的なタイプ。
黒オリーブは丸ごと、ツナにアンチョビ、ルッコラ、小ネギの茎みたいなものも入っている。


食事の間、プツプツと途切れるWi-Fiを捕まえながら、エリザベットが、ご主人が亡くなったのを機に1人でニースに移住したことを知った。
大好きだったはずのロゼワインも、注文しなかった。ご主人はワインに関わる仕事に携わっていたことを思い出す。

エリザベットとの再会を繋いでくれた久美子さんからも、会い行きたいけれど、パートナーの病でシャンブルドットを閉め、いまは違う国で単身で仕事をしているのだと聞いて胸が痛んだ。

皆、確かに歳を重ね、遠くに住む家族を気遣い、思い出や有限の時間を抱きしめながら生きている。

エリザベットとこうして一緒に食事ができるのは、きっと最後なのだろうなと、寂しい気持ちになっていると、エリザベットが言った。

「そうそう、来年、息子と一緒に日本に行くわよ!」

「その時は私も福岡から東京まで会いにいくね」と、母も再会を約束して別れた。エリザベットの前向きな姿に元気をもらったようだ。

30代までは、旅の主語はいつも自分だった。どこに行くのかも、何を食べるかも、思いのままに決めていた。
40代も後半にさしかかり、忙殺される毎日の中で、なんのために働いているのかを考えるようになった。

いつの間にか「家族とおいしいものを食べて、行きたいところにいつでも一緒に行ってあげるための時間とお金を得るため」と、主語が変わっていることに気が付く。


◼️鍋はアヴィニョンで機嫌よく


母娘が揃ってスリ未遂に遭うほど治安が悪いニースから、城壁の街、アヴィニョンに移った。ニースは海が美しく素晴らしい街だったが、暗くなったら出歩けない。昼間でも、いつも心のどこかで周囲を警戒して過ごしていた私たちは、アヴィニョンの長閑さに心の底からホッとした。

アパルトマンのリビングの窓からは大きな糸杉が見えた。キッチンの横にあるこぢんまりとしたバルコニーにはテーブルと椅子が置いてあって、毎朝、そこで朝食を囲んだ。
驚くほど背の高い木々と城壁に囲まれたバルコニーは、中世のおとぎの国にあるようで、「私はこういうところが一番好きだ」と母は喜んだ。


アヴィニョンでは、毎週土曜日に旧市街で屋外マルシェが開かれるのだが、常設の屋内マルシェ『レ・アル・アヴィニョン』もあり、自炊をするにもうってつけの環境だった。

屋内マルシェの正面玄関、北側の壁面の『垂直庭園』は、プロヴァンスの気候に適した100種類以上の植物に彩られていた。

美術館や、ビルなどでも緑の壁を見ることができるけれど、アヴィニョンでは、それがマルシェという形で住民の日常生活と周辺環境に溶け込んで、他にはない素朴な親しみを感じられるのが素敵だと思う。

大きな森のような美しい建物に足を踏み入れた瞬間、私は心に誓った。

「アタシ、マイニチココニカヨウ、ゼッタイ!」

思わず片言になるほど、そこには、ブーランジェリー、肉屋、魚屋、八百屋、チーズ、惣菜、スイーツ、ハーブ&スパイス、ワイン、バーやカフェ、レストランなど、40以上のユニークな専門店がワンフロアに軒を連ねる楽園が広がっていた。

プロヴァンスのベーカリーのパンは、オリーブオイルとオリーブが練り込まれるフガスや、ナッツがたくさん入った、素朴なものが多い。
ジャガイモの専門店や魚屋の貝のコーナーには、見たこともない種類の食材が並び、Google検索で調べては、試してみようと持ち帰った。

ちょうどアヴィニョンは、春から夏への移り変わりの季節で、日に日に太陽の光は少しずつ強さを増していたが、このマルシェに行くと、昨日あったアスパラソバージュが今日は消えていて、果物屋には突然、スイカが現れるなど、季節の移り変わりが火を見るより明らかで、愉快だった。

アヴィニョンのマルシェから連れ帰った、生命力に溢れた力強い食材を料理していると、体の中から元気が溢れ出てくるような気持ちになった。

そして、プロヴァンス特産のミックスハーブ『エルヴ・ド・プロヴァンス』をまとったラムや、ひと振りして肉に練り込んだトマトのファルシ、ポルペッティのおいしさたるや。
そうか、私の求めていたエスプリはエルヴ・ド・プロヴァンスだったのか。

アヴィニョンの環境の良さも相まって、私のカラカラに煮詰まっていた鍋には、たっぷり、アヴィニョンの硬水が注がれ、みずみずしい野菜や食材に満たされてきていることを実感する。


フランス旅の間に、父について初めて気がついたことがあった。

父は寝る時間以外、絶対に横にならないのだ。

母に聞くと、コロナに感染していると判明する前に一度だけ昼間に横になっている姿を見たことがあるという。いまだにお風呂に入る前に腕立てをする以外にも、若い頃から父の身体に染み付いている驚きの習慣があったらしい。

それでも、長期間にわたるこの旅は、体力のある父にも堪えるようで、父が夜、立ったまま寝ているのを見て以来、22時を過ぎてもなお昼間のような明るさが残る初夏の長い夕暮れに、私は早めに夕食の支度に取りかかる。

「アヴィニョンの橋の上で」をハミングしながら、鍋は今日も機嫌よくふつふつと煮えている。


◼️後悔と苦い鶏の煮込み


旅の中盤の拠点をアヴィニョンにおいたのは、母が憧れる小さくて美しい町や村が周囲に点在していて、電車やバスでのアクセスが良かったからだ。

母の体調を気遣い、1日1カ所、夕食の準備を見越した17:00には部屋に帰ることを決め、日帰りの旅に出た。

アヴィニョンからバスで40分のサン・レミ・ド・プロヴァンスでは、ゴッホが描いた「糸杉のある麦畑」や「アイリス」の風景を辿り、鉄道で25分のリル・シュル・ラ・ソルグでは、清流に囲まれた美しい町で開かれるアンティークマルシェとブロカントの店を冷やかした。

しかし、この辺りから、帰りの時間を気にしながら徒歩で町を回る日帰りスケジュールに、母の疲れが見えはじめる。不穏な予感が決定的になったのは、3つ目の目的地、アルルだった。


ユリウス・カエサルのローマ時代にイタリアの植民地となったアルルは、町のど真ん中に世界遺産の円形闘技場が鎮座し、ロマネスク様式とゴシック様式が同居した、回廊の円柱の美しい彫刻が有名なサン・トロフィーム教会、ヤマザキマリさんの『テルマエロマエ』に出てきそうな共同浴場の遺跡など、ローマ時代の名残が町に点在していて、歴史好きにはたまらない魅力に満ちていた。

それに加え、アルルにあるいくつもの美術館に出入りができると言われて周遊券を買った父に罪はない。

早足で美術館を巡り、やっと母が観たがっていたゴッホの『夜のカフェテラス』のモデルとなったカフェに辿り着くと、なんと脱税で営業停止になっていた。
その上、階段や段差が多い遺跡に、石畳の足の裏に当たる硬さ、照りつける強い日差しは、容赦なく母の気力と体力を奪っていた。

「遺跡には興味がない」と噴水の淵に座り込み、私たちだけを送り出した母を振り返ると、明らかに拒絶のオーラを放っている。


アヴィニョンの部屋に帰り着くと、母はベッドに崩れ落ちた。

「こんなのは私が思い描いていたアルルじゃない」

のんびりと景色を見たり、カフェに入ったり、お店をのぞいたりしたかったと涙ながらに父を責める母の言葉を聞きながら、私の胸に冷たい怒りが宿る。

遠征の前日は、母が寝た後、父は遅くまでパソコンで行き方や時間を調べ、ガイドブックを読み込んで予習していた。それでも不安なときは、わざわざ英語のカンニングペーパーまで用意して、街の観光協会に出向いた。

母への献身を知っていた私は、怒りの矛先が理不尽に父に向くことを理解できないと母を咎めた。

「3人で旅をしているのに、わがままが過ぎるよ」

服用している薬の副作用による更年期症状を言い訳に、冷たい正論で母を突き放し、孤独に追い込んだ。

今ならわかる。母の苛立ちは、自分自身の衰えへの恐怖だったのだろう。

地獄のような無力感と、放ってしまった強い言葉への後悔は、だまりこくる母を目の前にしてなお、消えずに頭の中をぐるぐるとかき混ぜてきて、ピリピリと頭痛がした。


その日の夕食は、アルル遠征のために前日から仕込んでおいた「骨付き鶏もも肉とうずら豆の煮込み」を温めたが、母は、この旅で初めて食卓に姿を見せなかった。

見た目はよくできていたが、次の滞在先への移動前に消費しようと、たくさん入れてしまったマスタードのせいで、ソースが異様に苦かった。

毎晩の晩酌を楽しみにしていた父は、この夜、ワインに口をつけず、私たちはほとんど無言で、苦々しい気持ちと苦い鶏肉を流し込んだ。


◼️料理に隠す気持ち

最後の滞在地、エクス・アン・プロヴァンスは、水と芸術の都。100を超える噴水や水場がいたるところに点在している、画家セザンヌが生きた町だ。

1年のうち300日は晴れると言われるプロヴァンスにあって、この日は不穏な気配すらする魔物が出てきそうな曇天だった。

地方への遠征後、またしても母の地雷を踏んだ。

脳と心が思い出すことを拒絶しているのか、今となっては何がきっかけだったのかすら覚えていないのだが、言葉にしないまま、日々積み重なったわだかまりが、この日の空のように不気味にくすぶり続けていたのだろう。

母は朝になっても寝室から出てこない。


両親と1ヶ月の旅をしたと話すと、「親孝行だね」と言われるが、この旅を振り返ると、少し違うと思う。

母が倒れて集中治療室に入っていた2週間は確かに母に尽くした。

震える声で父から電話があった途端、私は東京から飛行機に飛び乗って泣きながら実家の長崎に戻り、母が退院するまで父と2人で帰りを待った。

この時は、神様がいるとしたら、忙しい私に家族と過ごす時間をくれたのかもしれないと思った。
1年ほどは母が何をしても腹が立たなかったが、家族というものはどうにも厄介だ。

距離が近い故に、親が死にかけるという一大事を経てもなお、時間が経てば気恥ずかしさが先に立って、気遣いや感謝を、言葉や態度で表すことを忘れてしまう。

旅という特別で、有限の時間でさえ、他愛ない会話で埋めるばかりで、本当に伝えたいことを後回しにする。


午後になっても、母は寝室から出てこない。


地獄のような空気に耐えられず、本気で先に帰国しようとして調べたチケットがあまりに高額で諦めた私は、気晴らしにマルシェに出かけた。

「高いお肉でも食べなきゃやってられん」と、精肉店で、日本では見たことがないサイズのかたまり肉をまじまじと見ながら、ふと、子供の頃、家族が揃う特別な日にステーキを焼くのは、なぜかいつも、普段は台所に立たない父の仕事だったことを思い出した。

この日の夕食は、ステーキフリットを作ることにして、思い切って、3cmくらいの厚さに切ってくれと伝えた。
肉が焼けるいい香りで、母を寝室から炙り出す作戦だ。

私は、言葉で感情を伝えるのが苦手だ。

嬉しいことがあれば、おいしいものを作ってお祝いし、元気がない人がいれば、何かを作って食べさせて元気づけたいと思う。
出張先で旬のものを見つけたら、誰かと季節を共有したくなって、現地から食べ物を送りつける。意中の相手は、最近はもっぱらかわいい甥っ子たちであることが多い。

「元気ですか?」も、「ごめんね」も、「ありがとう」も、いつも食べ物の中に隠してきた。

フランスのステーキフリットは、塩、こしょうで味付けした赤身肉を焼いてバターを乗せ、ポテトフリットをたっぷり盛り付けたシンプルなビストロの定番料理だが、あの頃、父は、バターと醤油で味をつけた。

父のレシピでは、ステーキ肉に軽く塩、こしょうをふり、フライパンで高温で焼いたあと、バターをじゅっと溶かし、最後に醤油をまわしかける。
プロには邪道のレシピかもしれないが、焦げたバターと醤油の香りが食欲を誘う。
私と弟は、今は甥っ子たちに引き継がれたミッキーマウスがついたフォークとナイフを使って、少しよそ行きを装って食べた、家族全員で過ごした特別な日の思い出の味だ。

この日も、焦げたバターと醤油の香りが、アパルトマンの中の空気を塗り替えていく。


立ち上る良い香りにつられたのか、母が寝室から出てきた。

「おいしそうなお肉が安かったから」と、ちょっとだけウソをつく。
母はろくに食べずに籠城していたので「うどんもできるよ」と声をかけたが、一緒にステーキを食べると言って食卓につく。

父の味付けだとは言わなかった。きっと、それぞれみんなの「ごめんなさい」も、家族で一緒に食事を囲むこの時間が代わりに伝えてくれる。

🇫🇷RECIPE③ごめんねのステーキフリット

<旅先自炊POINT>
厚めのステーキ肉を使う場合は、
バター醤油ソースはあとがけが◎

【材料】
・赤身牛ステーキ肉(1.5cm〜2cmの厚さが◎)1枚(250g)
・じゃがいも 2個
・ズッキーニ、にんじん、いんげんなどお好みの野菜 適量

・塩、こしょう 各少々
・オリーブオイル 適量
・バター 15g
・醤油 大さじ1
※有塩バターの場合は、塩の量を調整する

【作り方】
1.肉に軽く、塩、こしょうをふる。
2.フライパンにオリーブオイルを熱し、肉の両面を好みの焼き加減に焼く。(肉を押した時に弾力が出てくるくらいが◎)
3.肉を取り出して皿に上げ、焼いた時間と同じ時間、アルミホイルに包んで休ませる。
4.フライパンは洗わず、食べやすい大きさに切った付け合わせの野菜を焼く。
5.アルミホイルにたまった肉汁をフライパンに戻し、バターと醤油を加えてひと煮立ちさせ、ソースを作る。
6.皿に肉と付け合わせの野菜を盛り付け、ソースを添えて召し上がれ。


◼️旅の終わり


さて、冒頭に出てきた四角いオムレツだが、1ヶ月ちょっとの旅の間、次の滞在先に移るまでに使いきれそうにない発酵バターを使って、朝食以外でもよく作った。
プロヴァンス名物の、刻んだトリュフのオイル漬けをひと匙入れると、父は「ロゼワインのつまみに良い」と喜んだ。

旅の終わりに、残っていた玉子とバタで、最後のオムレツを焼いた。
捨てるつもりで持ってきた四角いフライパンは、オムレツがまだまだキレイに巻けるので、急に捨てるのが惜しくなった。
アパルトマンの利用者が使いきれなかった調味料を次の人のために置いていくように、調味料と一緒に置いていこうかとも思ったが、日本に連れて帰ることにしたら、旅の終わりの寂しさが少し和らいだ。



帰りの飛行機は、一ヶ月の旅を無事(?)に終えた私たちへのご褒美のように、アップグレードされていた。
見慣れない、ゆったりとした座席のせいだろうか。隣の席に沈んで眠っている母が小さく見えて、ふと、涙が出た。
旅を大きな事故なく終えられた安堵と、優しくできなかった日があったことへの後悔が押し寄せる。

母が集中治療室にいた2週間、1日も欠かさず病院に通い、休みを取った父に3食の食事を作った。
退院が叶った夜、リビングに敷いた布団で、疲れて死んだように寝ていた私の頭を撫でている母に気がついた。私は寝たふりをして、母にわからないように枕に涙を逃したことを思い出す。

旅の終わりの今、母が、病気の後、父や弟、そして私と3人でのフランス旅を、立て続けに願った理由がわかったような気がした。

離れて暮らす両親との時間が、私にはあとどれくらい残されているのか、旅の最中は何度となく、そして旅が終わった後も考える。

両親には、行きたいところ、見たい景色をまだまだ諦めてほしくない。ままならなくなったことや、不便なことは、知恵と思いやりで補い合えばいい。食べたいものは、私に任せて。どこの国の料理でも、外に食べに行けなくなっても、私はきっとなんでも作れる。

帰りの飛行機の中、最後の旅の愛しい愛しい時間をぎゅっと力いっぱい抱きしめた。



フランスから帰国すると、渡航中に遠慮されていた仕事の連絡がどっと押し寄せ、一気に現実に引き戻された。
日本の治安の良さや、白ごはんのおいしさに感動して私は日本人でよかったとしみじみしながら、南仏で過ごした穏やかな時間をずいぶん遠い昔のことのように感じ始めていた頃、家族のグループラインにメッセージが届いた。



「来年、フィンランドにシナモンロールを食べに行かない?」



「南フランスが最後じゃなかったんかーい!」とつっこみながら、私はまたいそいそとヘルシンキ行きのチケットと、キッチン付きの宿、フィンランド料理のレシピを探している。

フィンランドはバターや生クリームなどの乳製品もおいしいらしい。そうだ、また四角いフライパンを持っていこうか。


◼️エピローグ


日本に帰国してすぐ、父が動画の編集教室に通い出した。
1ヶ月後、『フランス旅ニース編』というタイトルで、覚えたてのギガファイル便にのせて送られてきたのは、旅の前半、ニース滞在だけを収録した、なんと2時間半の超大作だった。

視聴開始から30分たってもまだ、羽田空港から出発していないときはどうしようかと思ったが、撮った動画を几帳面に繋いで、父らしい、ちょっと硬めのテロップが入った動画は、写真には残っていない細かな景色や会話などが思い出されて、意外なほどおもしろかった。

母は自分のすっぴん映像もお構いなしに取り込んだ父にたいそう怒っているそうで、その後の『アヴィニョン編』と『エクス・アン・プロヴァンス編』は、母には内緒で送ってきた。

帰国以来、父の好物のワインは、白ワインからすっかりロゼワインに変わって、足繁くロピアに見つけたロゼワインを買いに出かけているという。



一方の母は、帰国後、目の不調に引きずられ、南仏の明るい太陽から遠ざかるように沈んで行った。心の風邪をひいていたことがわかった時、私たち家族は全てのことに納得し、治療ができることに心から安堵した。

グループラインのアルバムに写真を入れる方法を何度教えてもすぐに忘れるので、半ば諦めていた母が撮った写真は、両親の近くに住む弟の助けで半年後にもらった。

アヴィニョンの美しい木や、公園に咲く名前もわからない花、小窓が可愛いらしいアパルトマンの外観、水辺に逆さに映る建物や、カフェテラスで気だるそうに主人を待つフレンチブルドッグなど、写真に映し出された、母ならではの感性が変わらず素敵だった。

私を撮った写真もたくさん出てきた。そういえば、盛大にけんかを繰り返した8年前のフランス滞在でも、母は一眼レフカメラで私をよく撮っていた。
8年前と変わったのは「目が見えなくてカメラが使えない」と、一眼レフから持ち替えた携帯カメラで写した、私の写真のほとんどに、母の指が写り込んでいたことと、貫禄を増した被写体の私。

でも、旅に出る前、「疲れた」が口癖で、眉間には深く皺が刻まれていたときよりも、私の鍋がおいしく仕上がりそうな期待に満ちていて、表情はとても穏やかだ。


父が作った動画と母が撮った写真を見て、終わると、さらさらとすごいスピードで遠くにいってしまう、この旅で作ったもの、出会った食、見たもの、心が動いた時間を、私は"書くこと”で留めたいと思い、30泊32日の旅を1日ずつnoteに記録することにした。

参考に、母がフランスに行く前から熱心に読んでいた、小さな南仏の地域が美しい写真と共に紹介されている、町田陽子さんのガイドエッセイをかりた。
ページをめくると、アルルに、ルールマラン、セザンヌの丘など、母の希望で訪れた先々のページには、草や小さな花が押し花になって挟まっていた。

美しい景色、鮮やかなマルシェの食材、滞在したアパルトマンのキッチンで作った料理。
私の記憶はいつも味と繋がっていて、時系列で綴ったり、その時作ったレシピを再現していると、南仏の太陽のように明るい味と一緒に、後悔で苦々しい気持ちで過ごした日まで思い出す。
書くことは、楽しいばかりではないけれど、母がこの文章を読むことがあるかもしれないと思うと、こうして感情を文字にしながら向き合うことは、母が私に課した宿題のように思う。


◼️親子旅の自炊アルバム

指入り写真/母
その他写真/筆者



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