赤毛のケリー
ロックンロールを聴いてると、こう思う時が
ある、どこにでも行ける!って。
演ってる側も聴いてる側も、
そう思えている時が一番幸せだ。
しかし、そんな幸せはずっとは続かない。
なぜならどこにでもなんて行けないって気づく時がくるから。言いかえれば行き場なんてない。
そのことに気付いてしまうと、音でどこへでも
連れて行ってくれたロックンロールが、
今度は行き場のなさを鳴らすようになる。
そんな行き場のなさが鳴らされた
「赤毛のケリー」は、ミッシェル後期
屈指の名曲だ。
この曲が収録されたアルバム
「ロデオ・タンデム・ビート・スペクター」の
ジャケットに写っているのはチバ一人だ。
今までのジャケは、メンバー全員で写っていた。
このジャケの写真は、この時のチバの歌声と
バンドのサウンドとの関係性を物語るかのようだ。
アベが繰り広げる凄まじいリフに応酬するような形で歌詞までリフ化してロックンロールに溶け込んでいた初期から中期にかけてのチバのボーカル。しかし、後期は、よりはっきり言葉にして
歌いたいことが表出してきたのだろう、
声がその欲求に抗えずとんでもない
歌声になってきている。
チバのボーカルがミッシェルのロックンロールを呑み込むかのごとく巨大化しているのだ。
この時期から始まったROSSOは、巨大化した
自分のボーカルの所在を探す意味合いもあった のではないだろうか。
「赤毛のケリー」は、まだどこへでも行けると
思っているバンドサウンドと、行き場なんてないと歌うチバの歌声が緊張感を生みだし、その差が切なさまでをも醸し出している。
「太陽と道が溶け合う場所の
先に広がるのは 凍りついた海
あの娘描くのは そこに住む魚
タツノオトシゴ アザラシの悲鳴
赤毛のケリー」
この「赤毛のケリー」がオープニングに流れる
映画が松本大洋原作、豊田利晃監督の「青い春」
冒頭、高校生の主人公、九条(松田龍平)がドアをピッキングしている。本来、立入禁止であろう
校舎の屋上へ行くためのドアだ。
この高校伝統の「ベランダゲーム」をするため、といっても彼らにとっては虚無な日々の暇つぶしでしかないだろうが。
生きることに執着がないように見える九条が、「ベランダゲーム」に勝利する。
しかし、九条本人は何の興味もなさそうだ、
単なる暇つぶしだから。
屋上から、どこまでも広がる空を眺めると、
どこへでも行けると感じるかもしれない、
しかし現実には行き場のない教室に
戻るしかない。
屋上から教室に戻る時、スローモーションになり「赤毛のケリー」が流れる。
そう、屋上へ向かうタイミングではなく、
屋上から教室に戻るタイミングで流れるのだ。
九条の幼馴染、青木(新井浩文)が戻ろうと
した時、不安そうに振り向き、九条を見る。
九条は、不安そうな青木に余裕の表情で微笑む。
青木は何に不安を感じたのだろう?
そして九条の余裕は、どこから来るのか。
ラスト、九条と袂を分かった青木が、
九条の記録を破るべく命がけで
「ベランダゲーム」を決行する。
その際、オープニングで見せた青木の不安げな
表情がインサートされ、
「九条、俺も連れて行ってくれよ」と訴える
青木のボイスオーバーが聞こえてくる。
九条は、
「自分が欲しいものを知ってる奴が怖いです」
と語っていた。
九条は、自分の欲しいものが何かわからない、
だから自分には何もないと思っていた。
行き場なんてない、と悟っていた自分にとって
「連れてってくれ」と、つきまとう青木は
うざかったのだ。
「自分一人で勝手に行けよ」と思ってたはず。
しかし、一人で「ベランダゲーム」に挑んでいた
青木に気づいた九条は、止めようと走り出す。
今まで見せたことのない決死の表情で。
ミッシェルの「ドロップ」が鳴り響く中、
屋上に辿り着いた九条は手を伸ばすが。。
九条は手を伸ばした先に何を見たのだろうか。
