「前科があるなら立候補時に公開すべき」は法的に妥当なのか―刑法・憲法・最高裁判例から考える―
近年、政治家の資質を巡る議論の中で
「前科がある者は立候補の際に前科を公開すべきだ」という主張が見られる。この議論は、被害者感情や世論としては理解できる面もある。しかし、国家制度として採用するかどうかは、感情や世論ではなく法理と法律制度の整合性に基づいて議論されるべき問題である。
刑事法、憲法、選挙制度は、長年の制度設計の中で形成されてきた。
そのため、この問題は単純な倫理論ではなく、
・刑罰制度
・プライバシー保護
・被選挙権
・民主主義制度
といった複数の法制度の関係から検討する必要がある。
本稿では、日本法の枠組みと最高裁判例を踏まえ、この問題を法制度として考える。
1 政治家の資質は法律で一義的に定義できるのか
政治家に求められる資質は多様である。
例えば
・政策能力
・人格
・経歴
・学歴
・説明能力
・組織力
・政治思想
・前科の有無
などである。
しかし、これらをどの程度重視するかは、有権者によって大きく異なる。
そのため日本の選挙制度は最低限の欠格事由のみ法律で定め、最終的な評価は有権者に委ねるという構造をとっている。
実際、公職選挙法は
・年齢
・国籍
・禁錮以上の刑
・選挙犯罪
などの場合に限って、選挙権や被選挙権を制限している。
つまり日本法は民主主義の制度を守るために必要な範囲の犯罪についてのみ立候補資格を制限するという制度設計を採っている。
2 犯罪歴は強く保護される個人情報である
犯罪歴は、日本法において極めて慎重に扱われる情報である。
この点について重要なのが、次の最高裁判例である。
最高裁昭和56年4月14日判決(前科照会事件)
この判決で最高裁は次のように述べている。
前科及び犯罪経歴は人の名誉・信用に深く関わる事項であり、
前科等のある者も、これをみだりに公開されない利益を有する。
つまり日本法は前科情報は原則として公開されるべきではない重要なプライバシー情報と位置付けている。
3 公益性がある場合には公開が許されることもある
もっとも、犯罪歴の公開が常に違法となるわけではない。
この点について重要なのが次の判例である。
最高裁平成6年2月8日判決(ノンフィクション「逆転」事件)
この事件では、過去の犯罪歴を扱ったノンフィクション作品について
・社会的関心
・表現の自由
・時間経過
・犯罪の性質
などを総合的に考慮し、公益性が高い場合には犯罪歴の公表が許される場合があると判断した。
つまり判例は
・犯罪歴は原則保護
・公益性がある場合のみ例外的に公開
という利益衡量の枠組みを採用している。
4 報道の自由と公開義務は別問題
ここで注意すべき重要な点がある。
犯罪歴の公開が問題となる判例は、報道の自由(憲法21条)との関係で判断されている。
つまり
・プライバシー
・表現の自由
の利益衡量である。
しかし「立候補する者は前科を公開しなければならない」という制度は、国家が公開を義務付ける制度である。
これは
・被選挙権
・プライバシー権
という憲法上の権利を国家が直接制約する制度になる。
したがって報道判例を根拠に公開義務を正当化することはできない。
5 刑罰は永久の社会的制裁ではない(刑法34条の2)
この問題を考える上で重要なのが
刑法34条の2(刑の消滅)
である。
この条文は、一定期間が経過すると刑の言渡しの効力が消滅すると定めている。つまり日本の刑事制度は刑罰を永久の社会的烙印にしないという考え方を採っている。
この制度の目的は
・更生
・社会復帰
を可能にすることである。
6 消滅した前科を公開義務にすると何が起きるか
もし制度として「立候補する者は前科を必ず公開しなければならない」とすると、刑法34条の2によって法的に消滅した刑であっても、選挙のたびに政治的制裁として再利用されることになる。
これは
・刑罰消滅制度
・社会復帰政策
と強い緊張関係を生む。
7 犯罪の種類を区別しない制度の問題
さらに、「前科」と一言で言っても
・殺人
・強盗
・詐欺
・公職選挙法違反
・交通違反の罰金
まで含まれる。
つまり犯罪の性質は極めて多様である。
現行の公職選挙法が
・禁錮以上の刑
・選挙犯罪
などに限定して資格制限を設けているのは、犯罪の性質と公職の関連性を考慮しているからである。
したがって前科の有無だけで一律公開を求める制度は制度設計として極めて粗いものになる。
8 政党の公認審査は別問題
政党が公認審査の過程で前科の申告を求めることは別問題である。
政党は憲法21条の結社の自由に基づく政治団体であり、候補者選定について一定の裁量を持つ。
そのため
・経歴
・不祥事
・犯罪歴
などについて申告を求めること自体は、内部審査として一定の合理性が認められる。
ただし、刑の言渡しが既に消滅した罰金刑などの比較的軽微な前科まで広く申告させる制度は、合理性に疑問が生じる。刑法34条の2は、刑罰を永久の社会的制裁としないという趣旨の制度であり、刑の効力が消滅した軽微な犯罪まで一律に申告対象とする制度は、
・刑罰消滅制度
・社会復帰政策
との関係で過度の制約となる可能性がある。
したがって政党の公認審査においても、刑の効力が消滅した軽微な犯罪まで無制限に申告対象とすることは合理的とは言い難い。
9 憲法上の問題(比例原則)
さらに重要なのが憲法上の問題である。
憲法は
・被選挙権
・プライバシー権
・人格権
を保障している。
もし「政治家は前科を必ず公開しなければならない」という制度を設ける場合、これは被選挙権の制約として評価され得る。
憲法上、権利制約が許されるためには
・目的の正当性
・手段の必要性
・制約の相当性
が求められる(比例原則)。
しかし刑の効力が既に消滅した軽微な犯罪まで一律公開させる制度は
・目的との関連性
・必要性
・制約の程度
の観点からみて、過度の制約と評価される可能性が高い。特に刑罰が消滅した後も永久に政治的制裁を受け続ける制度は、比例原則との関係で重大な疑問が生じる。
10 結論
「前科がある者は立候補時に必ず公開すべきだ」という主張は、被害者感情や世論としては理解できる部分がある。
しかし国家制度を設計する場合には、感情や世論ではなく法理と法律の整合性によって判断されるべきである。
日本法は
・前科情報のプライバシー保護
・刑罰消滅制度(刑法34条の2)
・被選挙権保障
・表現の自由との利益衡量
といった制度のバランスによって構成されている。そのため消滅した前科まで含めた一律公開義務という制度には、法制度全体との整合性に大きな疑問が残る。
民主主義において重要なのは、最終的には
有権者が総合的に判断すること
である。
法律が定めるべきなのは、その判断を支えるための最低限の公正なルールなのである。
