私は「姫カット」が言えない
美容院がニガテだ。
正確に言うと、美容院で美容師さんと楽しくおしゃべりするのが、ニガテ。髪を切っている間気さくに話しかけてくださるのは、美容師さんのサービス精神であることは重々承知なのだけれど、私はどうにもアレに抵抗がある。
まず、初対面の人にプライベートのことを根掘り葉掘り聞かれるのがダメ。普段から、仲良くなるのはゆっくり派の私にとって、初対面の―しかも自分よりとびきりお洒落でキラキラしている―美容師さんに自己開示をするのはハードルが高い。マンガやアニメが市民権を得た現代であれば、私のようなオタク趣味も受け入れてもらえるのだろうかと思いつつ、しかしやっぱり熱量の差で美容師さんに引かれるようなことがあっては困る。
仕方なく、置かれた雑誌をパラパラと眺めていると「占い好きなんですか~?」と急に言われて、なんで?と驚いたりする。ふと視線を落とすと、ちょうど占いのページを開いていた。こんなところまで見られているのかと思うと、おちおち雑誌も広げられない。ファッションのページを開いていて「こういうファッションが好きなんですか?」なんて聞かれようものなら……いや、やめておこう。想像するだけで寒くなってきた。身長も足の長さも、なんなら首の長さも足りない私には似合わないことが明らかなファッションに憧れていると思われることがもう無理だ。恥ずかしさで顔から火が出そう。
自意識過剰なのは分かっている。けれど、「好きなんですか?」と問われれば、「見るのは好きなんです。カッコイイですよね。似合わないって分かってるんですけど、でも素敵なお洋服はやっぱり見ちゃいますよね。いいな~こういうのが似合う女性になりたかった~!」と、長文早口でお気持ち表明を繰り広げてしまう。これはもう、私の確定演出。
そんな私の目下の悩みは「姫カット」が言えないことである。
姫カット―それは、サイドの髪を頬からあごのあたりで短く切りそろえた髪型のことである。平安後期~鎌倉・室町中期にかけて女性(貴族の娘=姫)の成人の儀である鬢削が起源となっているらしいこの髪型は、目元がハッキリするし小顔効果もあるうえに、“ちょっと個性的なワタシ”の演出にも一役買ってくれるという一石三鳥なカット。ついでに、私は髪の量が多くサイドの髪を耳にかけてもこぼれてしまいがちなので、姫カットにしておけばうざったい思いをすることもなく、かなり気に入っている。
だがしかし、私は美容院で「姫カットにしてください」と言えた試しがない。なんたって「姫」だ。このネーミングがよくない。絶対。自分から「姫」は言いづらすぎる。あまりにも柄じゃない。テレビで初めて安藤美姫を目にした時は、その名がこんなにも似合う人がこの世に存在することに驚くと同時に、自分がその名でなくて良かったと心底思った。父さん、母さん、私に美しさや可愛らしさを連想させるような名前をつけないでくれて本当にありがとう。
「姫カット」は、あくまで髪型のことを指す言葉であって、自分のことを「姫」と言っているわけではない。そんなことはもちろん分かっている。しかし「姫カットにしてください」は、私にとって「私をお姫さまみたいにしてください」と言っているようなものだ。かわいい女の子がオーダーするのならまだしも、こちとら社会の荒波に揉まれたOLである。無理だ、言えない。
きっと心優しい美容師さんたちは、有象無象の客の一人である私のオーダーなんて何も気にしていないだろう。それでも脳内では「お前が姫カット?」と、もう一人の私があざ笑っている。誰だよ、この髪型を「姫カット」って呼び始めたの。平安のお姫さまがそうだったからって、そのまま「姫」にすることないだろ。っていうか平安のお姫さま由来で「姫」はあんまりピンと来ないだろ。令和だぞ、今。
なりたい髪型の写真を見せれば良いのでは?と言われたこともあるが、自分よりはるかに若くてキレイなモデルさんの写真を見せるなんて、できるわけがない。同じような髪型にしてもらった後に顔面レベルの差を感じるのはあまりにも悲しすぎる。せっかく美容院に行ったなら、少しでも「かわいくなったなぁ~!」と、気持ちよく帰りたいじゃないか。
結局「姫カット」が言えない私は「サイド(の髪)はどうされますか?」と聞かれて「少し、短めに…」と答えるしかない。
美容師さんから「このくらいですか?切りそろえますか?」と聞かれて、「あぁ~姫カットにしますか?って聞かれないってことはやっぱり姫カットしそうもない顔をしているんだろうな~」などと考えつつ、「そうですね、はい。はい。よろしくお願いします」と返事をする私。切られている間は「また言えなかった…」で、頭がいっぱいだ。
そんなことだから、最後に「仕上がりどうですか?」と鏡を見せられても「大丈夫です」と答えてしまう。いや、美容師さんの腕には問題がないので答えとしては合っている。美容師さんは大丈夫。大丈夫じゃないのは私のメンタル。
そうして帰宅後、私は自らの手で「姫カット」を仕上げる。洗面台の前でハサミを構え、自分の髪の毛と対峙する様子は、お姫さまになる儀式というよりむしろ禊だ。この髪の毛と同じように自意識ともスパッとサヨナラできたなら、もっと人生は楽なのに。
「次こそは…」そう思いながら刃を入れる瞬間は案外冷静で、ただひたすらに真っ直ぐ切りそろえることだけに集中している。慎重に仕上げた姫カットは、見た目よりも重たい。たぶん、念がこもりすぎているせいだ。
私と「姫」の間の溝は、とにかく深い。
ずっと、「意外にかわいいものが好きだよね」と言われてきた。別に気にするほどのことではないけれど、意外なんだと思ったら、なんとなく距離を感じてしまう。というよりも「やっぱりそうか」という気持ちの方が、大きかったかもしれない。「かわいい」と「私」の距離は、私が一番分かっている。
それでも年齢を重ねるとともに、かわいいものを「かわいい」と言うことや、かわいいものを身につけることへの抵抗は少なくなっていった。「ピンクなんて柄じゃない」と、もっぱら寒色系のものを選んでいたのはもう過去のこと。今は「やっぱりピンクってかわいいよね」と、真っピンクのセーターを着れるし、フリルやリボンがついたブラウスだって着れる。キラキラした店員さんに話しかけられるのは、まだビビるけれど、そんな私でも「かわいい」をまとっている時は、前よりほんの少し胸を張って歩くことができるのだ。
「私」と「かわいい」には、まだまだ距離がある。
でも、少しずつ近づいている、はず。
お姫さまになりたいなんて高望みはしないけれど、そろそろ「姫カット」くらいは涼しい顔でオーダーできるようになりたいものだ。
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