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あの子は今ごろ


はじめての仕事は、塾講師のアルバイトだった。

地元にある小さな個別指導塾で、メイン層は中学生。ガツガツ勉強して難関校を目指すというよりも、勉強が嫌いな子たちが受験のために仕方なく通ってくるところだった。


私は、自分の学力に自信があって塾講師のアルバイトを選んだわけではない。採用試験で中学生のテキストを解かされた時も、満点ではなかった。

それに、勉強が大好きかと言われるとそうでもない。英語は何を言っているのかさっぱり分からないし、数学は空間図形で挫折した。

でも、嫌いではない。問題が解けた時はうれしいし、知らないことを知れるのは楽しい。
それに、オタクをやっていると「あの時もっとマジメに勉強しておけば良かった~!」に度々出くわすので、やっぱり勉強は多少なりともしておいた方が良い。

数学の計算はできなくても、物事を筋道立てて考えるとか、情報を整理して考えるとか、そういう思考力は生きていく上で大事だし、難しい漢字が覚えられなくても、文章の行間をきちんと読める読解力はフェイクまみれのこの世の中における必須スキルである。


……ということを少しでも伝えられたら良いなぁと思いながら”先生”をしてみるものの、なかなか耳を傾けてくれないのが中学生というもので。
「何言ってんのかマジわかんない」とか「どうでも良いから宿題減らして」と言われる有様。

曲がりなりにも塾なので、最優先事項は生徒の学力を上げること。講釈ばかり垂れているわけにもいかず、私はこう言う。

「今は分からなくてもね、いつか私に感謝する日が来るんだから。お願いだからまずは黙って目の前の因数分解と向き合ってくれ



受け持っていた中で一人、印象に残っている生徒がいる。

平たく言えばギャルっぽくて、いわゆる“一軍女子”というやつだった。私が同級生だったら絶対関わらないタイプだけど、生徒として見る彼女は、根はマジメで、曲がったことが大嫌いなしっかり者だった。

彼女が中学3年生になってしばらくしたある日のこと。「クラスの子とケンカした」と言って、随分暗い顔でやってきた。
"一軍"内のいざこざ。察するに、彼女の真っ直ぐな意見が鼻についたのだろう。彼女は"一軍"から外されたそうだ。これを"都落ち"というらしい。

彼女は”都落ち”よりも、友だちに自分の意見が伝わらなかったことに憤っている様子だった。どんな時も自分を曲げないところが彼女らしくて、かつての自分と重なって、ちょっと苦労するかもなと考える。

「ねぇ、わたし間違ってないよね?」
そう言う彼女に、私は「そうだね」としか言えなかった。世の中「正しい」が全てじゃないということを、彼女に上手に伝える自信が、まだなかった。


彼女の”都落ち”からしばらく経ったある日、「切っちゃったんだ~」と、明るい声で言った彼女の腕には、明らかに意図的につけた切り傷があった。

「それ、痛かったでしょ」

「ううん。切る時はね、全然痛くないんだよ。でもね、後から痛くなってきたんだ~。ママにバレたらヤバいから、こうやって隠してるの」

彼女は腕を上げて、手首にたくさんつけたヘアゴムを私に見せた。


私は何と言っていいのか分からなくて「それ、あと残るからもうやめなね」と言い、彼女に提出させた宿題に目を通す。

「……全然やってないじゃん」

「だって……」

塾講師としては宿題をやってこないことをきちんと叱らないといけないところだけれど、私に彼女のことを怒ることはできなかった。
ママに秘密にしている傷を、私には見せてくれた。そのことに、ちゃんと向き合わなければいけないと思った。

この日は課題もそこそこに、私は彼女の話を聞いた。気の利いたことは一つも言えなかったと思う。でも、話を聞いて、分かってくれる人がいるということだけは、伝えたかった。

「今日はいいけど、次からは普通に授業するからね」
そう言って、その日は授業時間を終えた。


中高一貫校に通っていた彼女が外部受験することを決めたのは、夏休み前だった。正直、受験に間に合うかどうかは微妙なところだったけれど、彼女の状況から考えて、やるしかなかった。

彼女自身、勉強にはまったくノリ気ではなかったけれど、外部進学の方が自分にとって良いということは理解していて、色々な学校の説明会には積極的に参加しているようだった。

「面接で有利になるように、先生にアピってきたよ!」
「制服着崩さないで行ったんだよ!」

そうやって元気に報告する彼女に
「エラいね。宿題もしっかりやってきてくれると、先生もっとうれしいんだけどなぁ」
と返すのが、あいさつ代わりになっていた。

私の大学3年の夏休みは、ほぼ彼女の夏期講習で埋まった。


暑い夏が過ぎて少し涼しくなってきた頃。
彼女は「やっぱり受験やめたい」と言い始めた。

いやいや、ちょっと待ってくれ。私たちの夏は一体なんだったんだ。

塾長からは「あの子に受験やめさせないで」と言われた。私としても彼女に外部進学してほしい気持ちは山々だったので、もちろんそのつもりだったけれど、どうすれば良いのかさっぱり見当もつかなかった。

「なんで受験やめたいの」
「だってもう勉強嫌なんだもん」
「勉強が嫌なだけなら、最後まで諦めないで」
「受かる気しない」
「夏あんなに頑張ったのに?」
「もう無理だもん」
「とりあえず問1だけでも解いてくれ」

授業に来るたびに、同じ会話を繰り返す。時にはほぼケンカだった。お互いに意見を譲らない。私たちは、似た者同士だったのかもしれない。


埒が明かないと思っていたある日、突然彼女は「やっぱり頑張ってみる」と言い出した。些細なことから、”一軍”への怒りが再燃したらしい。

おいおい、マジかよ。私たちの秋は一体なんだったんだ。

「めちゃくちゃ出遅れてるの分かってるよね?本気出してよ?」
「分かってるよ。私、やれば出来るって知ってるでしょ?」
「うん、知ってる」

私たちの受験、第2章が始まった。
私の大学3年生の冬休みは、ほぼ彼女の冬期講習で埋まった。

正直、受験に間に合わせられる自信はなかった。明らかに演習量が足りていない。でも、せっかくやる気になった彼女の思いには応えたい。彼女も私も、必死だった。



寒さが厳しい2月になった。いよいよ受験本番、塾が一番ピリついている月だ。
私はどうにもこの空気が苦手で、一番の頑張りどころであるこの時期の出勤が憂鬱で仕方なかった。

4月からは私も大学4年生。いい加減、生徒ではなく自分の進路を本気で考えなくては……。
悶々と悩みながら出勤すると、珍しく彼女が早く来ていた。



「やっと来た!ねぇ!受かったよ!!」

「え?!」



え……?ウカッタ……?



一瞬、何を言われているのか分からずフリーズする。そんな私に、彼女は受け取ったばかりの合格通知を広げて見せた。
合格、したんだ……。

「おめでとう!よかったね。本当によかった……」
「え?!泣いてる?!」

彼女に言われて、私は自分がボロボロ泣いていることに気がついた。

彼女が合格して嬉しいのと、ちょっとでも無理かもしれないと思ってしまって申し訳ない気持ちと、ようやく彼女の受験が終わった安堵と。
色々な感情がぐちゃぐちゃになって、わけが分からなかったけれど、とにかくその時は彼女の頑張りを褒めちぎった。

本当に、時間がない中でよく頑張った。
さすがだよ。
あなたはやっぱり、やれば出来る子だ。

「マジヤバいよね!ありがとう!」

そう言って彼女は笑った。彼女のはじける笑顔を見たのは、とても久しぶりだった。



その後、就職活動に専念するため、私は塾講師のアルバイトを辞めた。彼女の受験も終わって、タイミング的にもちょうどよかったのだ。


辞める前に、彼女から手紙をもらった。

今まで本当にありがとう!合格発表の時、まさか泣くとは思わなかった(笑)

(笑)じゃないだろ、(笑)じゃ。必死だっただろうが、お互い。



そんな手のかかる生徒だった彼女も成人して、おそらくもう社会人になっている。
恋愛に興味があって仕方のない子だったから、もしかするともう結婚しているだろうか。でも、私に似ているからシャカリキに働くOLになって、上司とケンカの日々を送っているかもしれない。

なんにせよ、彼女が変わらず真っ直ぐに自分の道を歩んでくれていたら良い。


春、桜を見るたびに、そんなことを小さく願う。



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彩野リィ 最後までお読みいただきありがとうございました!「面白ぇ女」と思っていただけたらスキ❤️やコメント、シェアのほど、よろしくお願いします。チップは私の執筆のおとも・マウントレーニア カフェラッテにさせていただきます!🙇‍♀️

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