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三日坊主の私がいつの間にか続けてたこと


子どもの頃から、とにかく三日坊主だった。

ピアノは、親が月謝を払い続けてくれたから10年習ったけれど、練習なんてほとんどしていなくて、高校受験を機にあっさり辞めた。
日記は1週間続けば御の字。日記帳はたちまち落書き帳になった。
吹奏楽部に入って始めたクラリネットは、高校卒業とともにパタリと吹かなくなった。

そんな私が初めて1年以上続けられたこと。それがブログだった。


***


足跡やら繋がりやらがうっとうしくて、クラスのほとんどがやっていたmixiや前略プロフィールはやっていなかった。

そんな私が匿名でブログを書き始めたのは、浪人時代のことだ。
ブログなんてやっている場合ではなかったはずだし、その分勉強していたらもっと上のランクの大学に入学できていたかも、と思うと頭が痛い。

じゃあ、なぜ書き始めたのか。

思わず筆を取りたくなるようなきっかけ
どうしようもないほどの衝動
書かなければならなかった、やんごとなき理由

……なんてものがあれば格好がついただろうが、残念ながらそんなものは1ミリもない。単なる気まぐれだ。故に、始めた当初のことは記憶の片隅にすら残っていない。


強いて言うなら、捌け口が欲しかったのだと思う。

思うように上がらない模試の点数の話とか、モチベーションを維持できない自分の情けなさとか、進学した同級生に会った時に感じた焦りとか、そんなことを書いていた気がする。それから、気晴らしに見たアニメやマンガの感想なんかも。

「こんなことをしている場合ではない」という罪悪感を抱えながら、隅っこでこっそりポロポロと本音をこぼす日々。
家族や友人に話したら余計な心配をかけそうな鬱屈とした気持ちも、鼻で笑われそうな悩みも、ブログになら書けた。

自分の投稿が読まれているかどうかは、アクセス数くらいでしか分からない。自分が誰かの記事を読んだことも、コメントを残さない限り相手にとってはただの「1」でしかない。その無機質さが不思議と心地よくて、何だか都合よく甘えることもできて。気付けば毎日のように読み、書くようになっていた。
誰に強制されるでもなく、積極的に続けられたのは初めてだった。


そんな日々を過ごしていたら、偶然にも同じ境遇の人と知り合った。
お互い浪人生で、本当はマンガもゲームも大好きだけど、今は我慢していて、でも時々勉強をサボってブログを読み書きしている子。
顔も本当の名前も知らないけれど、お互いの“今”を誰よりも知っていて。それは間違いなく“友人”と言える関係だった。

志望校の不合格が決まった時にも、私は書いた。「落ちた。でも、最後まで足掻く。」というようなことを、書いたと思う。
あの子は確か先に進学先が決まっていたけれど、最後まで応援してくれた。おかげで、最後まで醜く走ることができた。この世界のどこかにいる“友人”に、私は助けられた。


浪人生活を終え大学生になると、日々の課題やアルバイトで忙しくなり、ブログの更新も滞っていった。“友人”とも、少しずつ疎遠になった。

学生生活に慣れてきた頃、使っていた記事投稿サイトのサービス終了が発表された。時代はもう、ブログからSNSへとすっかり移り変わっていた。

もうすっかり開かなくなってしまったサイトも、いざ「終了」と言われると途端に寂しくなるから、不思議だ。
書くことから少し離れていた人たちが一斉に戻ってきて「今までありがとう」みたいな投稿をして、また去っていった。

例に漏れず、私も書いた。
私があの1年間で書いてきたことは決して明るいことばかりじゃなかったはずなのに、あふれてくる言葉は「楽しかった」だった。
書くことで自分の“居場所”ができていたことに、ようやく気付いた。

そうして私の“はじまり”は、サービス終了とともに跡形もなく消えた。“友人”がどこにいるのかも、もう分からない。


***


その後も私は、プラットフォームを点々としながら書き続けている。書くことで気持ちを整理して、書くことで「好き」を共有してきた。

心のままに書いていると、運良く“友人”ができることもある。その温かさに気が付いたのは、紛れもなくあのはじまりの日々だ。


あの時期を共に過ごした波音ちゃん。あの時の“なゆ”です。私は今、ココにいます。

覚えてるかな



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彩野リィ 最後までお読みいただきありがとうございました!「面白ぇ女」と思っていただけたらスキ❤️やコメント、シェアのほど、よろしくお願いします。チップは私の執筆のおとも・マウントレーニア カフェラッテにさせていただきます!🙇‍♀️