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思想編集室|ソニー・クラーク|『Cool Struttin’』|三視点①|光|クールは、熱を隠す影ではなく、熱を美しく見せる光である

『Cool Struttin’』の“クール”は、冷たさのことではない。むしろ、全員がしっかり熱を持ちながら、その熱を歩幅の中にきちんと収めていることのかっこよさだ。

今回はこの名盤を、光・温・構 の三つの視点から読み直してみたい。

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『Cool Struttin’』の“クール”という言葉を、見た目の印象だけで受け取ると、少し外してしまう気がする。

あの有名なジャケット。

ヒールの足取り。

都会的で、粋で、余裕があって、どこか近寄りがたい。

たしかに、そういう光景はある。

けれど、実際に針を落としてみると、この盤のクールさは、冷たさではない。

むしろ、かなり熱いものが鳴っている。

ソニー・クラークのピアノは歌うし、アート・ファーマーのトランペットは男前だし、ジャッキー・マクリーンのアルトは耳をさらっていく。

ポール・チェンバースのベースは身体に入り、フィリー・ジョー・ジョーンズのドラムは全体を押し出していく。

全員がちゃんと前へ出ている。

それなのに、盤全体の印象は崩れない。

ここが面白い。

つまりこのアルバムの光は、熱を消すためのものではない。

熱を見えなくするのではなく、熱を美しく見せるための光 なのだと思う。

ソニー・クラークのピアノを聴いていると、それがよくわかる。

歌心がある。

しかし、感情を過剰に塗り込めない。

フレーズはよく歌っているのに、輪郭が濁らない。

ここには、明るく照らしすぎず、それでいて細部はきちんと見せる光がある。

まぶしすぎる照明ではなく、輪郭だけをきれいに浮かび上がらせる照明だ。

アート・ファーマーもそうだ。

彼のトランペットは強い。

けれど、その強さはぎらつかない。

姿勢がいい。

見栄を張るのではなく、すっと立っている。

それが“男前”に聞こえる理由でもあるだろう。

この音は、光を反射する。

でも、自分から過剰にまばゆさを撒き散らすわけではない。

整った光沢、という感じがある。

そこへジャッキー・マクリーンが入ると、景色に少し傷が入る。

この傷がいい。

彼のアルトは、クールな画面の中に、ひりついた線を引く。

その線があるから、景色はただの洒落にならない。

洗練された場に、少しだけ生々しさが残る。

この生々しさまで含めて、光が届いている。

見せたいところだけを見せる光ではない。

傷ごと照らす光だ。

クールという言葉には、どこか影のイメージがつきまとう。

熱を引っ込める。

感情を奥へ隠す。

その結果として、涼しく見える。

でも『Cool Struttin’』を聴くと、少し考えが変わる。

ここでのクールは、熱を隠しているのではない。

熱を露骨に見せないだけで、ちゃんと見える形にしている。

影ではなく、光の問題なのだ。

しかもそれは、全員を平等に照らしている。

誰か一人だけが主役ではない。

ソニー・クラークの歌心も、アート・ファーマーの端正さも、マクリーンの鋭さも、ポール・チェンバースの深さも、フィリー・ジョーの推進力も、それぞれ違う角度で見えてくる。

つまりこの盤の光は、均一ではない。

一人ひとりの個性に合わせて、違う見え方を許す光である。

だからこのアルバムは、いくら有名でも古びない。

スタイルが表面だけで終わらないのは、その内側の熱まできちんと見えているからだ。

あのジャケットの足取りも、ただ気取っているのではなく、ちゃんと体温のある歩き方として立ち上がる。

熱を隠して涼しく見せるのではない。

熱をきちんと制御し、その結果として美しく見せる。

それがこの盤の“光”なのだと思う。

クールは、熱を隠す影ではない。

熱を美しく見せる光である。

『Cool Struttin’』のかっこよさは、まさにそこから生まれている。



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