レコード男子|マーヴィン・ゲイ|『What’s Going On』|僕が、問いかけるソウルを知った一枚
僕が、問いかけるソウルを知った一枚
雨のジャケットに刻まれた時代の顔
甘い声が背負った社会の痛み
怒りではなく、問いとしての音楽
『愛のゆくえ』という邦題の深さ
コンセプトアルバムとしてのソウル革命
1971年から、いまも鳴っている問い
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僕がマーヴィン・ゲイを知るきっかけになったのは、このアルバムだった。
『What’s Going On』。
1971年に発表された、ソウル・ミュージック史に残る名盤である。
当時の邦題は『愛のゆくえ』。
いま思うと、この邦題もなかなか良い。
「何が起きているのか」という問いを、「愛はどこへ向かうのか」という言葉に置き換えている。
社会への問いでありながら、同時に人間の心の問題でもある。
このアルバムの本質を、別の角度からそっと照らしているように感じる。
ジャケットのマーヴィン・ゲイは、雨の中にいる。
こちらをまっすぐ見ているわけではない。
怒っているようでもない。
泣いているわけでもない。
ただ、何かを見つめている。
この顔が、すでに音楽の入口になっていると思う。
『What’s Going On』は、甘いラブソングを歌うソウル・スター、マーヴィン・ゲイが、社会そのものに目を向けた作品だ。
背景には、ベトナム戦争があった。
弟フランキー・ゲイがベトナムから帰還し、そこで見聞きした現実が、マーヴィンに大きな衝撃を与えたと言われている。
ただの恋の歌だけではいられない。
その感覚が、このアルバム全体に流れている。
けれど、この作品は、単純な抗議の音楽ではない。
怒りを直接ぶつけるのではなく、問いかける。
断定するのではなく、祈る。
敵を指差すのではなく、母親に語りかけるように、兄弟に問いかけるように、街に向かって声を置いていく。その姿勢が、このアルバムを特別なものにしている。
タイトルトラック「What’s Going On」は、まさにその入口だ。
「いま、何が起きているのか」
この問いは、政治的なスローガンにもなる。だが、マーヴィン・ゲイの声で歌われると、スローガンではなく、もっと深い人間の呼びかけになる。
なぜ人は争うのか。
なぜ子どもたちは傷つくのか。
なぜ街は疲れているのか。
なぜ愛だけでは足りないのか。
それでも、なぜ愛を手放してはいけないのか。
このアルバムには、そういう問いがずっと流れている。
「What’s Happening Brother」には、戦争から帰ってきた者の違和感がある。
「Flyin’ High」には、逃避と危うさがある。
「Save the Children」には、子どもたちの未来への痛切なまなざしがある。
「Mercy Mercy Me」では、環境破壊への不安が、美しいメロディの中に沈められている。
「Inner City Blues」では、都市の貧困と不満が、重いグルーヴになって立ち上がる。
テーマだけ並べれば重い。
戦争。
貧困。
人種差別。
ドラッグ
環境問題。
都市の疲弊。
それなのに、このアルバムは重苦しいだけではない。
音が美しい。
声が柔らかい。
コーラスが浮遊する。
ベースがしなやかにうねる。
曲と曲が切れ目なくつながり、一枚の組曲のように流れていく。
ここに、マーヴィン・ゲイの凄さがある。
社会の痛みを、ただの怒りとしてではなく、聴き続けられる音楽に変えている。
耳をふさぎたくなる現実を、耳を澄ませたくなる音に変えている。
それは、きれいごとではない。
むしろ、とても危うい芸術だと思う。
美しくしすぎれば、現実の痛みが薄まってしまう。
怒りすぎれば、音楽としての余白が消えてしまう。
その間の細い橋を、マーヴィン・ゲイは歩いている。しかも、このアルバムはモータウンの中で生まれた。
モータウンといえば、明るく踊れるヒット曲のイメージが強い。
その中で、ここまで社会的で、内省的で、コンセプチュアルなアルバムを作ることは、簡単ではなかったはずだ。
当時、レーベル側の反対もあったと言われている。
しかしマーヴィンは、この作品を世に出した。
その結果、『What’s Going On』は、単なるヒット作ではなく、ポピュラー音楽のあり方そのものを変えた一枚になった。
このアルバム以降、ソウル・ミュージックは、より深く、より個人的に、より社会的になれることを示した。
歌手は、ただ歌うだけではなく、自分の問いを作品全体に刻むことができる。
アルバムは、曲の寄せ集めではなく、ひとつの思想のかたちになり得る。
レコード男子として、この盤を聴くと、やはり「アルバム」という形式の力を感じる。
一曲だけではない。
A面とB面を通して、ひとつの流れがある。
針を落とし、曲が進み、面を返し、また聴く。
その時間の中で、こちらの呼吸も少し変わる。
デジタルで一曲だけ聴くのとは違う。
このアルバムは、全体を浴びるように聴きたい。
ジャケットの雨。
マーヴィンの視線。
タイトルの問い。
曲と曲のつながり。
ベースのうね。
コーラスの霧。
そして、甘いのに痛みを含んだ声。それらが全部で、『What’s Going On』という一枚になっている。
僕にとってこのアルバムは、マーヴィン・ゲイを知った入口であると同時に、音楽が世界に問いかけることを知った入口でもある。
音楽は、ただ気持ちよく聴くものでもいい。
踊るためのものでもいい。
恋を思い出すためのものでもいい。
でも、ときには、世界を見るための耳にもなる。
『What’s Going On』は、そういう一枚だ。
針を落とす。
部屋に音が満ちる。
マーヴィン・ゲイの声が、静かに問いかけてくる。
いま、何が起きているのか。
その問いは、1971年だけのものではない。
いまも、まだ鳴っている。
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