思想編集室|ソニー・クラーク|『Cool Struttin’』|三視点②|温|涼しい顔をしているのに、ちゃんと熱い。その矛盾が人を惹きつける
『Cool Struttin’』の“クール”は、冷たさのことではない。むしろ、全員がしっかり熱を持ちながら、その熱を歩幅の中にきちんと収めていることのかっこよさだ。
今回はこの名盤を、光・温・構 の三つの視点から読み直してみたい。
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『Cool Struttin’』を聴いていると、不思議な体温を感じる。
熱い。でも、暑苦しくない。
高ぶっている。でも、前のめりにならない。
つまりこれは、単純な熱量の音楽ではない。
涼しい顔をしているのに、ちゃんと熱い。
この矛盾が、この盤の魅力なのだと思う。
クールという言葉には、温度の低さが連想されがちだ。
冷静、平静、抑制。
もちろんそれも間違いではない。
でも、この盤を聴くと、クールは“低温”ではなく、“適温”なのだと感じる。
熱が消えているのではなく、ちょうどよく保たれている。その中心にいるのが、やはりソニー・クラークだ。彼のピアノには歌心がある。けれど、その歌い方は感情をむき出しにするタイプではない。
少し引いている。
少し余裕がある。
でも、その余裕は無関心ではない。
むしろ、感情をちゃんと知っている人の引き方だ。
熱を持たない人は、こんなふうに歌えない。
熱を持っているからこそ、それをべたつかせずに済む。
アート・ファーマーのトランペットも、同じ温度帯にいる。
端正で、姿勢がいい。
男前だ。
でもそれは、表情を作っているだけではない。
音の奥にはしっかり熱がある。
ただ、その熱を乱暴に外へ投げない。
強さを持ちながら、強さに振り回されない。
この落ち着きが、クールの体温を支えている。
そこへジャッキー・マクリーンが入ってくると、少しだけ温度が揺れる。
ここがまたいい。
彼のアルトには、ひりつきがある。
痛みがある。それがこの盤の温度を単調にしない。
もし全員が同じ温度で、同じ質感で整っていたら、この盤はもっと無難な“上品さ”で終わっていたかもしれない。でも実際には、マクリーンが少しだけ傷を残す。その傷が熱の偏差を作り、盤全体を生きたものにしている。
そして下から支えるポール・チェンバースとフィリー・ジョー・ジョーンズ。
この二人がいるから、熱は散らばらない。
ポールのベースは身体に入ってくる。
フィリー・ジョーのドラムは勢いを作る。
でも、どちらも熱を煽るだけではない。
土台を安定させながら、熱がちゃんと流れるようにしている。
温度を上げるのではなく、循環させている感じがある。
この盤の魅力は、全員が熱いことにある。
でも、それと同じくらい大事なのは、誰も熱に溺れていないことだ。
そこがかっこいい。
熱い人はたくさんいる。
でも、熱を持ちながら、姿勢を崩さない人はそう多くない。
『Cool Struttin’』は、その難しいところをやっている。
たぶん人が惹かれるのは、熱そのものではない。
熱と、制御の両方があることだ。
感情がある。
でも、感情に支配されていない。
勢いがある。
でも、勢いで壊れていかない。
そういう二重性に、人は安心しつつ、同時に憧れる。
涼しい顔をしているのに、ちゃんと熱い。
この矛盾は、成熟した表現の条件なのかもしれない。
熱を消すのではなく、熱を抱えたまま歩く。
その歩幅が、この盤の温度を作っている。
『Cool Struttin’』のクールさは、冷えた音楽の美しさではない。むしろ、きちんと熱を持った人たちが、その熱を品よく保っていることの美しさだ。
だから何度聴いても、かっこいい。
ただ涼しいだけでは、こんなふうには惹きつけられない。
ちゃんと熱いからこそ、クールが生きる。
そのことを、この盤は耳で納得させてくれる
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