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思想編集室|ソニー・クラーク|『Cool Struttin’』|三視点③|構|全員が熱いのに崩れない。その歩幅を作っているものは何か

『Cool Struttin’』の“クール”は、冷たさのことではない。むしろ、全員がしっかり熱を持ちながら、その熱を歩幅の中にきちんと収めていることのかっこよさだ。

今回はこの名盤を、光・温・構 の三つの視点から読み直してみたい。

✽     ✽     ✽

『Cool Struttin’』を思想編集室的に読むとき、いちばん面白いのは、やはり構造の話だと思う。

なぜならこの盤は、全員がかなり魅力的で、かなり熱いのに、全体は少しも崩れないからだ。

これは偶然ではない。
ちゃんと設計されている。

まず、このメンバー構成が強い。

ソニー・クラークのピアノ、アート・ファーマーのトランペット、ジャッキー・マクリーンのアルト、ポール・チェンバースのベース、フィリー・ジョー・ジョーンズのドラム。

名前を並べるだけで、それぞれが独立して立てる人たちだ。つまり、誰か一人を引き立てるための脇役が集まっているのではない。

全員が前へ出られる。ここには常に、過密になる危険がある。けれど、この盤は過密にならない。

なぜか。

それは、各人の熱がただ解放されているのではなく、歩幅の中に収められているからだ。

つまり構造が、熱を制御する器になっている。

ソニー・クラークのピアノは、この器の中心にある。

彼の演奏は歌う。
でも、歌いすぎない。

主役でありながら、独裁者ではない。

場を作るが、場を埋め尽くさない。

この“余白を残す主導”が、盤全体の設計の核になっている。

ここでピアノがもっと押し出しの強いタイプだったら、全体はもっと密度の高い、ある意味で息苦しいアルバムになっていたかもしれない。

でもソニー・クラークは違う。

空間を残す。

その空間が、他の四人の魅力をきれいに受け止める。

アート・ファーマーとジャッキー・マクリーンの前線も、よくできている。

二人とも強い。
でも、強さの質が違う。
アート・ファーマーは姿勢の良さで立つ。
ジャッキー・マクリーンはひりつきで刺す。
もし同じ質の強さが二人並んでいたら、盤の前面はもっとぶつかり合っていたはずだ。

だがここでは、整った強さと傷のある強さが並ぶ。だから緊張は生まれるが、過飽和にはならない。構造として、美しい。そして下支えが決定的だ。

ポール・チェンバースとフィリー・ジョー・ジョーンズ。

この二人が、盤の地面と推進力を担う。ただし、地面といっても静止ではない。ポールはしっかりした床をつくり、フィリー・ジョーはそこに運動を与える。床があり、しかも前へ進む。

この二重性があるからこそ、上の三人は自由に熱を出せる。

つまり、自由は無秩序の結果ではなく、支えの強さの上に成立している。

収録曲の配置も見逃せない。
タイトル曲“Cool Struttin’”の歩幅の良さ。
“Blue Minor”の陰り。
“Sippin’ At Bells”の系譜意識。
“Deep Night”のムード。

盤の流れとして見ても、単に速い曲を並べて気持ちよさを押し通す構成ではない。

温度差、陰影差、歩幅の違いがうまく置かれている。だから“クール”が単なるポーズにならない。

構成そのものが、クールの意味を広げている。
ここで大事なのは、クールという様式が、表面の見せ方だけで成立していないことだ。

あのジャケットの足取りは象徴にすぎない。本当のクールは、もっと奥にある。それは、強い個性を複数抱えながら、それでも一枚の盤として歩ける構造のことだ。

熱い人が集まるだけでは名盤にならない。
熱がぶつかって壊れない器が必要だ。

『Cool Struttin’』は、その器を持っている。

この盤の構造を一言で言うなら、全員の熱を、ひとつの歩幅に揃える構造ということになるだろう。

しかもそれは、熱を均一化するという意味ではない。

誰かの傷は傷のまま残る。
誰かの端正さも、そのまま残る。
歌心も、男前さも、ひりつきも、腹に響くベースも、押し出すドラムも、それぞれ消えない。

消えないまま、一緒に歩く。
そこがすごい。
全員が熱いのに崩れない。
その歩幅を作っているものは何か。
答えはたぶん、抑制ではなく設計だ。
クールとは、熱を捨てることではなく、熱がちゃんと前へ進める構造を持つこと。

『Cool Struttin’』は、その意味で、見事に構造的なアルバムである。




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