ハックルベリー・フィンのパンと本棚(映画「アメリカン・フィクション」ネタバレ感想)
映画「アメリカン・フィクション」のネタバレがあります
【あらすじ】
作品に「黒人らしさが足りない」と評された黒人の小説家モンクが、半ばやけになって書いた冗談のようなステレオタイプな黒人小説がベストセラーとなり、思いがけないかたちで名声を得てしまう姿を通して、出版業界や黒人作家の作品の扱われ方を風刺的に描いたコメディドラマ。
小説家モンクが書店で「黒人小説」というコーナーに自分の本があるのを見て、「俺の小説ココに置くのおかしくない!?」と店員に文句を言って、自分で別の棚に並べ直そうとする場面が面白かった。「黒人小説」という本棚がアメリカには存在するのか……店員の人は「チェーン店だから仕方ないのです」みたいなことを言っていた。

個人の裁量では入れ替えが難しい規則のチェーン店なんだろうか。チェーン店でも店員や店舗ごとに作家の入れ替え作業を行えるところは存在する。たぶん、客が面倒臭くてそういうことを言ってるのだと思う。
日本でも「ラノベ」とか「恋愛小説」などという本屋の棚分類は区分けが難しいと思う。10代の頃に町の小さい本屋でバイトしていたときはまさに恋空など、ケータイ、恋愛小説が最高に盛り上がっていた。しかし、あるとき「恋愛小説」を普段書いている売れっ子作家の人が、何を思ったかいきなり「猫」しか出てこない恋愛でも何でもない小説ばかりを書きはじめ、「恋愛小説」棚が一時カオスになったことを思い出した。作風をどんどん変える作家を私は大好きであるが、本屋としては扱いづらい。あの恋愛小説家の人、今どうしているんだろう。
売れていない小説家であるモンクは、ステレオタイプを利用されることを嫌悪する。喧嘩した知り合いの作家に「お前なんか空港で売ってるみたいな小説しか書けねーくせに」みたいなことを言って空港に行き、故郷に帰る。そういう場面ばっかりで大変楽しいのだが、彼がヤケクソで書いた、黒人のステレオタイプに凝り固まった小説は、売れに売れて、文学賞の候補にまでなってしまう。
その後、モンクは話の流れで刑務所から出てきたワルの作家ということになってしまい、いろいろと苦労する。本の映画化が決まり、映画関係者と会う時にシンプルなTシャツを着てきてしまい「ストリートっぽい服装で来いって言ったのに!!セサミストリートかよ!!」と版元の人間から言われる場面があり大爆笑した。主人公モンクを演じるジェフリー・ライトさんが頭を抱えて、ぎゅっと小さくなる場面がすごく多いのだが、とにかくかわいいのでぜひ見てほしい。ジェフリー・ライトさん、大好き!!映画を見れば見るほど好きな俳優が増えるなあ。

セサミストリートと言われた服
「アメリカン・フィクション」の原作はパーシヴァル・エヴェレットさんの『消去』である。『消去』はまだ読んでいないが、彼の『ジェイムズ』を先に読んでめちゃくちゃおもしろかった。『ジェイムズ』もまた『ハックルベリー・フィンの冒険』というマーク・トウェインの小説がもとになっている。私は海外文学を読まずに育ったが、木原善彦さんの訳がすごく良かった。
『ハックルベリー・フィンの冒険』は、19世紀の米南部で、束縛を嫌う少年ハックが逃亡奴隷ジムとミシシッピ川を下る冒険物語である。友だちのトム・ソーヤーと冒険して大金を手に入れたハックは、未亡人に引き取られ退屈な生活を送っていた。しかしなんかいろいろあって、逃亡奴隷のジムと共にいかだでミシシッピ川を下るのだ。
私はトム・ソーヤーとハックルベリーフィンは、同じ作者によって書かれたことを知らなかった。また、トム・ソーヤーは実在の人物だと思っていた。本を読んでないにもほどがある。あと、冒険というより、かなりの実話みたいな印象である。出て来る大人がかなりクズ。ハックの父がクズ中のクズですごい。あと、ハックが堂々と豚を殺して豚の血で自分の死を装ったりしててのけぞった。かなりのワル、というか……想像を超えていた。みんな、小さい子……あんたたち、マジでコレ読んでるの!?本屋に普通に売ってるよ!?合法なの!?本ってすごいな……
『ハックルベリー・フィンの冒険』は、あまりに差別用語が多いせいで禁書扱いされたり、内容を書き換えられたりしてもいたらしい。
↓村岡花子訳もある。新潮のやつは表紙が素晴らしい。
ハックは、ダグラス未亡人の家でいろんな説話を聞かされる。「なんか、オレモーゼって人のことをちょっと知りたくなったけど、死んでるのでやっぱ興味なくなったわ」とか言っており、かなり好感が持てる子だ。
天国でハープ聴いてるだけとかつまらね〜ぜ!地獄にはトム・ソーヤーがいるなら行くぜ!とかも言っている。他人とは思えない……あと、ハックもトムも口から出まかせで身分を偽る場面がかなり多い。これが、めちゃくちゃ具体的すぎて素晴らしい。
「これ以上お芝居をしてもなにもならないから、思い切って、なにもかも話します。どうか、だれにもいわないっていう約束を守ってください」そして、つづけた。「父さんと母さんは死んでしまいました。そのあと、法律のきまりで川から五十キロほど奥にはいった田舎の農場の意地の悪い年よりのところに働きにだされました。そこであんまりひどい目にあわされたもんだから、とうとうがまんができなくなって……。 たまたま、その年よりが二、三日でかけることになったんで、その人の娘さんの服を盗んでにげだしたんです。夜のあいだだけ歩いて、三日で五十キロ進みました。昼間は寝てました。パンと肉をたっぷりカバンにつめて持ってきたから、ごはんはそれで足りました。きっと、アブナー・ムーアおじさんなら、ぼくのめんどうを見てくれると思うんです。だからぼくは、このゴシェンの町めざしてやってきたんです」
ちなみに一回嘘をついてバレて怒られたので、ハックがさらについた嘘が上記なのだ。超次元で怖い。とにかくハックはこういう嘘ばっかりついている。なんか、偽名を思いついて人に言うスピードが異様に早いのだ。パーシヴァル・エヴェレットさんの『ジェイムズ』では、ハックぽさはジムのほうにわりと移行されているような気がした。『ジェイムズ』では、『ハックルベリー・フィン』の脇役だった黒人奴隷ジムが、実は高い知性と教養を隠し持ち、白人の前で「愚かな奴隷」を演じていたという設定なのだ。
しかし本当に、『ジェイムズ』と『ハックルベリー・フィン』両方を並行して読んでいると、どっちがどっちのエピソードなんだかわからなくなってくる。楽しいのでぜひやってみてほしい。とりあえず死なないためにはアメリカではベリー類とナマズとウサギを取って食べればよいことを学んだ。あと、両方とも、読んでいると絶対に安いパンとかベーコンやハムが食べたくなる。何でもいいからパンを買ってから読んだほうがいいと思う。
『ジェイムズ』。ジムは、ハックとの会話や自分の頭の中で、自分の名前がどんなものだったら良いかと考える。流れ星を見て「ゴーライトリー(軽い足取りで行くの意)」がいいと言う。ある時は別の黒人奴隷がくすねてきた鉛筆に書いてあった文字を見て、「ジェイムズ・ファーバー」という名前を夢想する。誰かにつけられた名前ではなくて、自分がつけた名前、選び取った名前を夢想しながら旅をする。彼は奴隷であり、常に誰かに名前をつけられてきた。「黒んぼのジム」と言われてきた。ジムは、ハックや、白人に見える人間と一緒でないと安全に移動ができない自分自身のことを不満に思っている。誰かのジム。『ハックルベリー・フィン』でも常に、ジムが誰の奴隷であるかという場面が常につきまといながら話が進行する。しかし最後に名前をたずねられたときジムは、「ただのジェイムズ」と言い放ち、物語は終わる。
ジムはハックに、人間は自分に都合の良い話だけを聞いて、都合の悪い話はなかったことにできる、といったようなことを話す。それは、白人のいる場所で無視されるジムの姿や、奴隷を痛め付けずとも搾取するショーの男性、雇い手の姿が見えないのにも関わらず、狂ったように働く機関車の労働者の場面にも当てはまる。今回、印象的だったのは虐待や迫害を与えず、奴隷制から黒人を解き放そうとしている白人に対しても、ジムが「白人の罪悪感を抑えるための施策ではないのか?」みたいに、懐疑的だったところだ。
「アメリカン・フィクション」でモンクは、当てはめられた小説を書くことを嫌悪した。しかし彼もまた、別の黒人作家を非難する。白人が読みたがる黒人像を用いて小説を描いてるんじゃないかと、全て読んでもないのに別の作家を非難するのだ。えええ!?非難するのに読んでないの!?と思った。しかし、たしかに、読んでなさそうではある。それがモンクなのだ。

モンクは振ってシャカシャカするうるさいサラダ食べてる やっぱり、モンク大好き!!
なんてモンクらしい食べ物なんだろう
何かを気に入らない人間サイドからしか、見えない人間の欠点は無限にある。「多様性を尊重」すると言いながら、5人しかいない多数決で文学賞を決める人たち。クソみたいな題名でも飛ぶように売れていく本。しかし、主人公モンクでさえ、「この作家いけすかねえ」と思い、別の作家の貶したい部分がたくさん見えているのと並行して、一緒に暮らしていた家族のことをきちんと見ていなかった。家でずっと働いてくれていたお手伝いさんが結婚して家を出ていく時、彼女にエプロンは持っていかないの?と何気なく確認して、そのエプロン嫌いだったんですよね、と拒否された。兄や姉に、父さんが不倫していることを私たちは知っていた、あなただけ気付いていなかった、なぜならモンクは気に入られていたけど、私たちは父さんの敵サイドだったから、というようなことを言われる。
モンクが、人間が、大事なことを見逃してきたと気付く場面は、星の数ほど描かれる。それがすごく良かった。
個人的に、モンクのまわりの人たちがとにかく魅力的で、出てくるだけで笑ってしまい幸せな気分になった。急死してしまった姉の遺灰を海に家族で撒く場面に読まれる、あまりに完璧なユーモアに溢れた姉の遺書の文章。遺灰を撒いたらすかさず文句を言いに現れた近所の人。アルツハイマーの母を介護施設に預けなきゃいけなくなって、めちゃくちゃモンクたちが大変な中、家のプールに現れていきなり泳ぐきょうだいのクリフ。いきなり家に来たクリフのセフレたちに、スムージー作ってくれるの?ありがとうと素直に言うお手伝いさん。別に泣かせようとして作られたシーンではないと思うけど、どのシーンも笑って泣いてしまって感情が追いつかない。彼らはモンクを好きで、苦しいと思っているモンクのことをずっと見てきた。それは終盤に、モンクにキスをするクリフのセリフからも読み取れる。

人間は、自分に都合の良いことばかり見ようとする。人間がいる限り、ステレオタイプはいつどんな時代にも存在する。だけどそれに疑問を持ったり、苦しかったり、いやだと思っている誰かのことも、また別の誰かによって見られているのだ。ラストシーンで、モンクは映画撮影所で、奴隷の格好をした俳優と目を合わせ、「困ったもんだな」みたいに合図をする。なんだかそのとき、ずっと辛そうだったモンクが、少しだけ楽になったように見えたのだった。すごく良い映画でした。
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