これまでの経緯①(留学を目指すまで、USMLEのこと)
私は今、悩んでいる。
他人に比べれば取るに足らない悩みかもしれない。
しかし私なりに今後の仕事・人生の岐路に立っている気がする。
漠然とした悩みが常に頭の隅にあり、何かにつけてぐるぐる回り始めるのだ。
こんな自分自身のために、これまでの私の医師人生を整理し、備忘録としてこの記事を書いていこうと思う。
どこまで遡れば良いのか。
悩んでいることといえば、海外留学のことなので、留学を志したあたりから振り返ることとする。
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医師になった頃には、明確に留学をしたいと考えていた。
学生時代、医学部6年生の夏に1ヶ月間、アメリカの病院で臨床実習をさせてもらったことがある。その時の経験も大きいだろう。大きな病院、医療システムの中で、ほんのわずかな積極性を発揮し、指導医やスタッフ、患者さんとコミュニケーションが取れただけで嬉しかった。
脳神経外科の後期研修が始まってからは、周りの影響もあってちょこちょこ英語論文を書くようになったし(最初は症例報告ばかりだったが)、USMLE(米国医師国家試験) Step1の勉強も始めた。
しかし Step1は忙しい臨床業務、と頻繁な飲み会の合間にやっていた。1年ほど取り組み、模試を受けてギリギリ合格点だったため、大丈夫だろうと思って1ヶ月後に試験を受けたらまさかの不合格だった。
振り返ると、古いネットの情報をあてにしていた。また、英語が少し人よりできる(僕は幼少期に英語圏に滞在していた帰国子女である)、英語論文を複数書いたことがある、などという矮小な奢りがあったのかもしれない。鬼のように暗記事項があるのに、ほとんど定着しておらずなんとなくで解いていたようにも思える。生化学は覚えられないのでほぼ捨てていた。まあ、落ちるべくして落ちたのであろう。ただ当時の僕にはそれなりに堪えたのも覚えている。人知れず、しばらくは落ち込んでいた。しかし完全に諦めたわけではない。舐めてかかってはいけないから、今後、大学院生になって時間ができた時に改めてしっかりと取り組もうと考えたのだった。
しかしその翌年にコロナ禍が起きた。当時、大学病院の勤務だったが、急を要さないような手術は軒並み延期となり、救急医療もかなり制限がかけられた。リスクマネジメントのため、我々のような入院患者を診る病棟医も2チームに分けられ、片方のチームが1週間働いて、片方は1週間自宅待機、というような布陣が敷かれた。
そのため、暇を持て余した。自宅待機の間、海外ドラマのSUITSにハマってシーズン1〜9を一気に見た。しかしなお時間があり、依然としてコロナのためその先の状況が見通せない日々だった。そのため、やや重い腰を上げてUSMLEを再開してみることにした。
友人のアドバイスもあって、今度はとっつきやすいStep2CKをやってみることにした。暗記すべき内容はやはりたくさんあったが、臨床的な内容であったため、Step1の時よりは楽しく取り組めて、手応えもあった。約5ヶ月の勉強でなんとか合格することができた。
そしてリサーチの期間が始まった。結局大学院には入らず、外勤をしながら限られた時間でリサーチをして論文を出し、論文博士の学位をとる道を選んだ。テーマは脳血管障害の基礎研究に従事した。基礎研究はあまり馴染みがなかったが、メンターがとても教育的かつ協力的だったこともあり、研究は順調に進んだ。半年ほどして軌道に乗ってきた頃、急に医局の教授から話があり、別の施設に国内留学に行く話がある、興味はないか?とのことだった。
それは全国的に有名な病院であり、もちろん興味はあったので、受諾した。実験を急いで終わらせて、論文を書き、その年度中になんとか投稿した。そして、妻と生まれたばかりの長男を残して単身赴任することになったのだが、1年間という期限付きだったのでなんとか乗り越えられた。その期間に論文も無事に受理されて(メンターと学生さんたちに追加実験をしてもらい、この点でも頭が上がらない)、学位を取得することができた。
この時期から、僕の脳神経外科医としての興味はもやもや病や脳動静脈奇形という、小児や若い人が発症する脳血管障害に傾いた。なんの罪もない若者が、ある日突然脳卒中を起こし、手術をしても障害が残る。僕はこれらの病気に向き合いたいと思った。国内留学に経験した症例や上司たちの影響も大きい。
まだまだ本筋の悩みのところまでは到達していないが、長くなったので一旦ここで終了し、また次回以降に続きを書くとする。
