『食べ物の話』に隠された、750年前の幸福論
大白蓮華 6月号 女性部
「輝きのグループ学習」を読んで🙏📚
数年前、私は町内会の役員をしていました。
船津神社の祭礼準備、お祭りクラブの運営、子供会の世話……。
当時の私にかけられたのは、「お前にはこの仕事しかない」という、ちょっと押し付けられるような言葉でした。
正直に言えば、自分の時間を削られ、こき使われているような、「下僕」のように感じる日々。不満や疲れがたまっていなかったと言えば嘘になります。
それでも、すべての準備が終わり、祭りの当日を迎えたときのこと。
目の前に振る舞われた料理を前にして、私は気づいたら、ぽろぽろと涙を流していました。
悲しかったわけでも、悔しかったわけでもありません。
数ヶ月間、誰かのためにと駆け回った苦労が、その温かい料理を前にした瞬間、一気に報われたような気がしたのです。
あの不思議な涙の意味を、750年前に書かれた一通の手紙が、鮮やかに教えてくれました。
1. なぜ「食べ物」が幸福論なのか
日蓮大聖人が著された『食物三徳御書(しょくもつさんとくごしょ)』。
当時、身延の山奥で極貧と飢えに耐えていた大聖人にとって、門下から届けられた食糧は、文字通り「命をつなぐ」ものでした。
大聖人はそれを単なる物資としてではなく、門下の「真心の結晶」として受け止められ、食べ物には**3つの徳(力)**があると教えられています。
「命」(生命力そのものをつくる)
「いろ」(肌のつや、その人が放つ輝きや魅力)
「力」(身体を動かすエネルギー、行動力)
私たちが食べるものは、私たちの体だけでなく、心や生き方のエネルギーにもなる。
そして、誰かを思いやる「真心の行動」こそが、人間の生命を根本から輝かせる最大のエネルギーなのだと、この御書は教えてくれているのです。
あのお祭りの日、私が料理を前にして涙したのは、お腹が満たされたからだけではありません。みんなのために流した汗と、そこに準備された温かい食事が、自分の「命・いろ・力」となって心に染み渡ったからなのだと、今になって深く腑に落ちました。
2. 「自利」と「利他」の一致
現代社会では、しばしば「自分の幸せ」と「他人の幸せ」は相反するもの(奪い合い)だと考えがちです。
「タイパ」や「コスパ」を求め、損をしないように、奪われないようにと身構えてしまうことも少なくありません。
しかし、750年前に示された答えは違いました。
「人のために火をともせば、我がまえあきらかなるがごとし」
大白蓮華 6月号 60ページ 食物三徳御書
他者を置き去りにした、孤立した幸福はありません。
目の前の人を励まし、明かりをともそうと行動するその瞬間、すでに自分自身の心の中にも、一歩先を照らす確かな「知恵」と「勇気」の光が満ちています。
町内会の役員として動いていたあの時間は、一見すると「誰かのために損をしている時間」だったかもしれません。でも実は、誰かの笑顔のために火をともそうと動いていたあの瞬間に、私の心にも最高の福徳の明かりが灯っていたのです。
3. 今日から実践できる幸福論
この幸福論は、特別な誰かだけのものではありません。
家族のために、一言、温かい言葉をかける。
悩んでいる友人の話に、じっくり耳を傾ける。
近所の人に、笑顔であいさつを交わす。
こうした日々の小さな「他者への貢献(施し)」が、巡り巡ってすべて自分の生命の栄養となり、自分自身を最高に輝かせ、幸せにしていきます。
「誰かのために」動くことは、究極の「自分のため」。🙏
今日も、目の前の誰かの足元を、小さな優しさで照らせる自分でありたいと思います。🙏
後書き
座談会拝読御書
「未入会の方にもわかりやすい御書講義」
#曾谷殿御返事 は、月末に投稿予定です。


いつもありがとうございます💓💓
