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病院長養成プログラム!?副院長になって見えたこと。



今振り返ると、この選択は、
人生の中でも、かなり大きな迷いのひとつでした。

救急医として積み上げてきたキャリアを手放し、
未知の地域包括ケア病棟という臨床の場、
ふるさとになっていた鴨川市、亀田と離れる。

迷いまくっていた。
それでも、
「誰もやらない道は、あとから誰かの道になる」 (かも)
そう思って、一歩踏み出した話をします。


救急の次のステージで、見えた違和感


救急医として働いていた頃、
前回記事のように、
次に進むなら、何をするか。
さらに急性期診療の専門性を深める道は
最も有力かつやりたい選択肢でした。

でも、
急性期診療だけを突き詰めていくことに、
どこか違和感がありました。

全部診たいと思った自分は、
本当に全部診ている医師になっているのだろうか。

祖母の死をきっかけに考えた。

在宅や
地域での暮らしや
亡くなっていくということ。
自分はほとんど関われていなかった。

地域に出て、視点が変わった


在宅医療の研修を通して、
病院の外に出る時間が増えました。

患者さんの家に行き、
患者さんや家族と話す中で、
生活を見て、病気を診て、家族背景を見て、
かなりリアルに
医療が
地域の暮らしの中に組み込まれているもの
だと実感しました。

ただ一方で、
在宅医療の現場では、
医療だけでは十分に起きている問題の
根本解決ができないことを知った。

• 家族が遠方にいて、家族としての話し合いが時に難しい
• 医療ではない、さらなる「生活」のサポートが必要
• 入院で経過を診たいが、病院側と本人側のハードルの高さ
 ・病院側:入院適応あるの?
 ・本人側:ペットがいるから入院できない。。
• 住み慣れた家への思いがあり、施設入所は納得し難い
• 自宅での受容力が難しく、仕方なく搬送された救急患者

救急と在宅は、「真逆だね」とよく言われますが、
僕にとっては、救急と在宅で抱える地域の課題は、
結構関連しているのでは、と考えるようになった。


「この病院だけ良くなっても、意味がないのでは?」


自ずと関心は、
救急に搬送される患者さんをよくしよう、
救急科をもっとよくしよう、
地域に求められる病院にしよう
という視点から、
少しずつ地域全体に広がっていった。

南房総という地域を、
この先どうしていくのか。

そして、
周辺の病院を見渡したとき、
強く感じるようになった。

面として健康を担保するためには、
この病院だけが頑張っても、
周りの医療機関が弱っていたら、
介護や福祉などのケアが十分でなかったら、
地域医療は結局うまく回らない。

逆に言えば、

周りの地域の病院が、ケアが、自治体サービスが、
少しずつ良くなったら、
この地域全体は、かなり住みやすくなるのではないか。

そう思うようになった。



きっかけは、伊勢神宮旅行


そんな頃、
たまたま目にした記事が
志摩市民病院と江角悠太先生だった。

『救急、総合診療、病院経営、地方創生、地域づくり』
など気になっていた言葉を検索したら、
偶然ヒットした。
その時は、面白い人がいるんだなぁ。
という感想だったように思う。

数年後、たまたま伊勢神宮旅行の道中に
突然、Facebookのタグつけ記事に江角悠太先生が現れ、
ふとあの記事のことを思い出して
SNSで「はじめまして」と連絡してみた。

すると、
まさかの展開で、気づけば
その日の夜、鳥羽の居酒屋で一緒に酒を酌み交わしていた。




「病院長養成プログラム、どう?」


自然と旅行のいち日程が、病院見学に変わっていた。

僕は急性期の医師、南房総の住人であり、
この病院で勤めることはないと思っていた。

ただ、江角先生との話で引っかかっていたことがあった。

「田舎の自治体病院には、
若くて、やる気のあるリーダーが必要だと思っている。
ただ病院だけでなく、地域も見据えることができる人。
そういう病院長を目指す人を、ちゃんと育てたい。
一期生として、やってみない?」

このときは、何が行われるのか正直よくわからなかった。
ただ頭で考えるより先に、
正直な感情が出てきた。

めっちゃ、おもしろそうかも。


副院長として最初にぶつかった壁


――「リハビリの人員を増やしたい」

この出会いから2年。
迷ったあげく、志摩市に移住していた。

副院長として関わり始めて、
比較的早い段階で出てきた話がある。

「リハビリの人員を増やしたい」

現場を見ていれば、
ごく自然な提案だった。

患者さんは多い。
スタッフは疲弊している。
リハビリが充実すれば、
地域包括ケアも回りやすくなる。

最初は単純に
「増やしましょう!」
ということで、動き出した。



自治体病院の特殊性


ところが、自治体病院経験がなかった僕は、
この話が思った以上に簡単ではなかった。

• リハビリ職の定数は決まっている
• そもそも予算がない
• 病院は赤字
• 人件費は簡単に増やせない
• 増員するなら、市長への説明が必要

「良いかどうか」では、
何も動かない。

自治体病院は、現場だけでなく、
制度・数字・行政・住民の判断の上に成り立っているという現実を、
ここで突きつけられた。

こうやって、リハビリをスタートに、
看護部、事務、放射線、検査、薬局、医局など部門に加え、
経営戦略、医療安全、自治体連携、地域活動など
学びが増えていくことになった。

自治体病院不要論もある。
ただ、収益の難しい不採算地区の医療は、
稼げないのでやめるべきなのか。
まさに自治体病院の副院長として、
これから向き合うべき大きな課題となる。
(また別記事で…)



責任を引き受けて、決断するということ

この経験を通して、感じたのは、

病院長の仕事は、
正解を選び続けることだけではなく、
責任を引き受けて、決断すること 
かもしれないと思うようになった。

現場にとっての正しさ。
経営としての現実。
行政としての判断。

どれも大切で、
どれも間違っていない。

でも、
すべてを満たす現時点での「正解」は、
ほとんどの場合存在しない。

その中で、
不完全な選択肢を前に
「これでいく」と決め、
矢面に立ち、結果を引き受ける。

それが、
病院長という役割の本質なのだと思った。


若い年次で管理に関わった意味

若い年次で病院管理に関わることは、
楽しいことばかりではなかった。

でも、
視点も、視野も、視座も、確実に変わった。

患者一人一人を見る視点に加えて、
病院全体、
地域全体を
同時に見なければならなくなった。

診療だけをしていた頃には、
見えなかったものが、
はっきりと見えるようになった。

これは、
どんな本を読んでも、
座学では得られない学びだった。


誰かが「動かす側」に立たなければならない


色々な地域の地域医療を考えるとき、
どうしても思うことがあります。

医師(医療者)の中に、
患者だけでなく、
病院全体、地域全体を見て、
動かす原動力になる人が
誰か必要だ。

全員がやる必要はない。
でも、
誰かがやらなければ、
何も動かない。

今回の経験は、その誰かの重要性をとても感じたし、
「その誰かになりたい、支えたい」
とも感じさせてくれた。


「スーパースターに依存しない」という視点


ただ最後に一つ、あえて、
逆説的な話をしたいです。

全国行脚していく中で、
その誰かは、いつも、カリスマで、スーパースターである。

そしてそのスーパースターが、
全国でたくさん出来ればいいなと思っています。

ただ、地域医療が
「地域で働き続けられる
スーパースターがいなければ成り立たない」
という環境に依存することで
本当に持続するのか
ということだ。

逆説的だけれど、
地域医療が大切なのは持続していくということ。
病院長という役割を、特別な才能や何かの犠牲に
頼り切らない仕組みや学びの枠組みを作ることも、
同じくらい大切だと思っています。


最後に

よく聞かれますが、
「病院長になりたい」
と思っていたわけではありませんでした。

でも、
田舎を、そこにある病院を
どうやって次につないでいくのか。

その問いは、
僕の非常に大切なテーマとなりました。

若い年次で、
病院管理という現場に
飛び込んだ経験は、
間違いなく
自分の糧になっています。

「病院長プログラム一期生として、やってみない?」

あの言葉がなければ、
いまの自分は作られていなかったんじゃないかと思います。

このプログラムは、今も続いていますし、
全国でも広げていけたらいいんじゃないかと思っています。
ぜひ興味があればコメントや連絡お待ちしています。


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