なまってうだう、うだっこだの・・・30 びんぼのしゃっこ、やんか篇
好き嫌いが多かったのが、少なかったのが、わがらねども、やんかくいもんは、そごそごあった。味だけでねぐ、見ためや匂い、そん時の情景思い出されでトラウマみでたもんもあってしゃ。
今思えば、食ってみで気持ちも無きにしもあらずだし、今ならしみじみど味わうごどができるがもしれねども、作った人は空の上。素材も景色もみな昔。「故郷の味、時空を超えで、慕うもの」だべがな。
やんか:いやな、嫌いな、好みではない
やぎぼしの
そごがらかおだす
おづげっこ
やぎぼし:焼き干し、煮干し
おづげっこ、おじげっこ:おみおつけ、お味噌汁
横手(当時、雄物川町)の味噌汁のだしは、焼き干しだった。7~8cmぐれある、でかいやづ。味噌汁飲んで、最後の椀この下さ残る味噌の粒ど、焼き干しのだし殻が苦手だったな。少し、銀粉も残ってだし。たまに、カルシウム補給だどが思って、かじってみだりするども、味噌臭ぇすかすかした味だったべ。だがら、味噌汁、いっつも底の方さ、びゃっこ残してしまた。
味噌汁は、だいたい苦手だったけども、よさぐ豆(えんどう豆)の味噌汁と、ひめたけ(根曲がり竹)の味噌汁だけは、好物だった。どっちも、具沢山で、よさぐ豆は甘くてうめし、ひめたけはだしが出て好きだった。
秋田(横手、雄物川町)で、たけのこっていえば、この細っこい、ひめたけの事をいったども、これは竹ではなく、笹の仲間なんだど。
じねじねじ
わんざに天ぷら
ビスケット
じねじねじ:ねちねちっとした、もったりした、香ばしくない
訳:
ねちねちっと、しけった味だ
なんで、わざわざ、あのカリッとしておいしいビスケットを
歯ごたえもない天ぷらなどにするのだろうか
秋田自動車道の錦秋湖サービスエリアで、ビスケットの天プラが食えた。帰省の途中、サービスエリアで食事をとった際、娘が珍しがってか、馬鹿にしてか、笑いながら食ってた。岩手県の西和賀町の郷土料理らしいども、わらしの頃は横手(雄物川町)でも、よく目にしたもんだ。(そう、好きなもんでもないので、よく口にはしなかったべ。)
むがし、思ったもんだ。「そのまま食えば、サクッとうめのに、なんじょして、わんざに揚げで、しなっとさせるんだべが。」
わえで葬式どがあって、仏さん拝みに来たひとがたさ出す料理なば、仕出し屋どがさ頼まねで、近所の母さんがだが白い割烹着着て、みんなで、手伝って作っでだ。その時のひとつのごっつおに、茄子の天ぷらどが、ビスケットの天ぷらがあって、茄子の紫色がうづった衣ど、しっけだビスケットの天ぷらが苦手だった。だいたい、葬式の時の食いもんは、全般的に紫色っぽくて、まっ香くさくで、苦手だったな。よっぽど、しんけたがれだったがらね。葬式饅頭も、もちろんNGだったべ。
わえ:自分の家
しんけたがれ:神経質な人
いろつぎの
まんまそろっと
はじぐひる
そろっと:そーっと
訳:
お弁当の、たくあんや、梅干しと、
その周りのごはんの色の付いた部分を食べずに
そーっと端っこに残す、昼時の弁当よ
茶色以外の、色がついた、色が移ったご飯が苦手だったべ。
青い梅干しは、まだましだども、梅漬けや赤い梅干しが、まんつ苦手だった。色の濃いそのものも苦手なんだども、それ以上にその色が移ってしまったごはんが、こよなく恐怖だったな。これには、トラウマがあってしゃ。
じさまが脳溢血か脳卒中で、風呂場の前でひっくりかえって亡くなった時のこどだ。毎日仏さんにあげたご飯を、庭にぶっ刺した白木の、背の高い台の上に乗せる風習があって、毎晩か、毎朝、その台の上にご飯を乗せていぐわげ。そのうぢ、カビが生えできて、赤カビ、青カビ、極彩色にかびはえだ飯を見るのが吐きそうにやんかくて、それがわらしの役目なのか、数日続いだもんだ。
そんなんで、極彩色の色が移ったご飯はトラウマとなって、なんとも苦手なもんになってしまったわげさ。
大体、コンビニの弁当の真ん中さ、梅干しや梅漬けが入ってて、その下と周りに匂いと色が移ってるべ。だがら、その周りをそっくり、梅干しごと残すわげ。それもあってか、赤紫蘇の色と匂いも苦手だ。
たくあんも、さも色付けしたような黄色のものがあるども、真っ黄色のたくあんと、その周りのご飯も当然、食べずに(食えずに)残す。
紅ショウガも実は、その色が苦手なのだが、しょうがの美味さに負けて、目をつぶって食ってしまう。なか卯では、牛丼を半分食ってから、上に紅しょうがをこれでもか、というぐらいに乗せて、紅ショウガ丼にして食う。まぁ、そういう反例もあるわげ。人間だびょん。
なだづけの
こうじおどして
あらてくう
でゃごのなだ漬けは、大根をなだで切って甘酒に漬けだ漬け物だ。実際は、なだでねくて、包丁で切って漬けだど思う。
いぶりがっこよりも、なだ漬けを毎日食ってだ記憶。でが、わらしの頃、いぶりがっこ、食ったもんだべが。実際、なまはげも竿灯も、生ではみだごどねよ。きりたんぽも、こっちゃ来てがら食った。灯台元暗し、まんまだべ。
あーど、米麹の話だ。
たぶん、わらしの頃、毎日のように、日本酒を燗する匂いさ、むせできたので、あのほのがに甘ぇ、アルコール臭が苦手になってしまったんだべな。
あの、ぶよぶよしたうじのように見えるのも苦手だ。
なだ漬けは、甘くてあまりしょっぺぐねがら、うめども、米麹が周りにへばりついでれば苦手だったべ。ちゃんと洗ったものなら食えだ。
麹漬けではねども、鮭の粕漬どが、田舎の姉さんがら、しゃっこにえべど思って気ぃつかって、歳暮どが、よぐ送ってけだども、これも、びゃっこ苦手。
社会人さなって、銀だら定食を、八丁堀界隈の定食屋さんでえぐ食ったども、あれも実は粕漬だべ。たまにアルコール臭のある甘味を感じるしな。今では、もう高級魚になってしまったべ、銀鱈。いづのまにが、メロどがいう奴で代替されるようになってしまったべ。
あ、ワンダラーというのど、ガンダーラっていう歌っこもあったべ、ドナサマーとゴダイゴの。びゃっこ長ぇ蛇足。
えごすみそ
みだめもあじも
ごにょごにょて
えご、おべだが(知ってるか)?
茶色い半透明で、ながさびゃっこ海藻の細かいのがゴミのように混じってるやづ。冷やして、酢味噌どが辛子醤油つげで食う。
秋田の男鹿半島あだりで、えぐ採れるエゴのり、エゴ草どがいう海藻から作られる、ごにょごにょした寒天状のやづ。横手は内陸の盆地だども、魚屋やスーパーの鮮魚売り場でえぐ並んでだ。
トコロテンみでた、しゃっきとした味わいではねども、似だような海藻の風味がある。これも、なんだが、だれがの葬式の時に、お膳さのってだどおべでるし、茄子の天ぷらど一緒だったがら、夏の頃だったんだべな。えご自体よりも、それを食った時の場面の影響が大きいがもしれね。だども、やっぱし、好きではね。酢味噌つながりで、ネギのヌタつうのも、名めがらして、やんかべ。ヌタ、名は体を表す・・・
にづまって
かすべのにおう
おおみそが
訳:
今年も押し詰まり、朝から煮ているかすべの煮物も煮詰まってきた
年越しや正月のおせち作りで一日中、慌ただしくしてる母
台所で煮付けている、かすべの煮物が一日中、匂っている
年越しの日であるよ
大晦日あだりの、カスベの煮付げの情景。カスベはエイ。生ではねくて、横手あだりでは乾物買ってきて、水で戻して半日煮込むどがで、けっこう手間暇かがるみでた。かすべを煮付ける時の、生臭いだげでね独特の匂い、一日中してだ覚えがあるがら、あば、いろんなもんど並行して作ってたんだべ。ただでさえアンモニア臭する魚の、干したものの独特の日なたくしぇ匂いもして、まったく受け付けねがったども、紅白歌合戦見る時の膳こさ並んでだ、田舎の外せない逸品だべ、たぶん。
体内でアンモニア臭を発生するカスベは、臭みが強く敬遠されていだらしぐて「煮ても焼いても食べれない“かす”にしかならない魚」ということから、その名めついだらし。なるほどな、煮付けても臭いべ。が、好きな人なば癖になるんだべな、くさやの干物みでに。栄養的には、骨のカルシウムどがコラーゲンどが採れるがら、冬には貴重な一皿だったべな、たぶん。
一年の締めくくりだっつうので、膳こは、とにかぐ数だげは、えっぺにしねばだめだ、みでた気合いのようなもの入ってだんだべ、びんぼうにも五分のの魂。一面、茶色、焦げ茶色の世界だったべども。
わらしら、あまり食うもんもなぐ、おどの揚げだエビフライ、きんぴらごぼうの鱈子まぶし食って、ざく菓子食って、年越ししたもんだ。
ざく菓子:ざっぱな菓子類、袋入りの菓子
なめらっこ
きのごでろでろ
なっと汁
なめらっこ:滑らっこ、なめこ
なっと汁は、あまり得意ではねがった。大晦日から正月三が日にかけての、郷土料理で、外せない味噌汁だども。
かすべの煮つけの匂い、なっと汁の匂い、ただでさえ田舎くしぇのに、輪をかがで、田舎の匂いを増長させだった。
納豆の匂いはどってことねぐ、一緒にひゃってる、得体のしれないキノコ類の見た目がやばいわげ。
なめこは、なめらっこっていってたな。なめこといったら、あのかわいい小粒で金色をした、つるつるっとしためんこい形のものが一般的だど思うども、昔は、なめらっこという呼ばれるとおり、ぬるっとしてて、小粒ではなく、かさを大きく開いたもんだった。
なめらっこは、まだ、なめこの大きい、傘が開いたようなものっ見えるがら、まだ、食える。問題は、形が細かい指のような、箒のような、色も黒っぽいグレーでいかにもグロテスクな見た目の、名前もない茸たちだべ。(ばっぱは、おべでだ。)
たぶん、秋の収穫時に採ってきて、それを塩漬けにして、貯蔵してだんだど思う。山の恵は山のうま味、なっと汁にことごとく入れられて、相乗効果でうまくなったのだろうけども、見た目は、でろでろだ。
大豆蒸す
ゆげたちのぼる
わらしはね
寒さがまだ厳しい1~2月、味噌仕込みの大豆を蒸す
村のあちこちの家の庭先に、その湯気が立ち上る
わらしらは、家から這い出で、その周りを
楽しそうに跳ね回る
味噌は得意でねーども、味噌を仕込む日は過ぎだった。その日は、さんびども、あちこちの家の庭で、大豆を蒸す白いゆげがもうもうと昇ってで、わらしらも外さ出で、その周りで手ぬぐだめだり、鼻水たらして走りまわって遊んだもんだ。
昭和30年代後半は、多くの農家が家庭で味噌を自作してたらしい。おらの記憶もまんざらでもない。
寒さもピークの1~2月ごろ、あちこちの家の庭で、大きな釜で大豆を蒸して豆臭いゆげが立ち昇る。大豆は煮るんでねぐ、2時間半ぐれ、時間かげで蒸すらしい。「寒仕込み」どがっていって、雑菌の繁殖が少なくゆっくりと発酵が進むがらだど。
雪がまだ深い時期の行事っぽくて、わらしら、その周りさ集まったりしてにぎやがにしてだがら、大豆くせのは苦手だども、味噌づくりの為の大豆蒸してる光景は好きだった。
豆蒸したあど、つぶして、米麹ど塩まぜで、大きい木樽さいれで、蓋して、重い石のせる、ざっと、そんた流れだべが。台所の裏さ、あまり陽のささね、薄暗い物置ぎみでた所があって、そごさ木のみそ樽1~2つあって熟成させるわげ。年がら年中、味噌臭い部屋だったべな。
その薄暗い物置書いだ絵があったども、家片付げで、仏終いする時に、一緒に捨てだぢまった。
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あれだね。暇なら、いくらでも書けるってもんでもなく、それなりに肉体労働してて体が疲弊してる時の方が、頭も手も動くな。
散歩してたり、自転車漕いでたり、草取りしてる時の方が、アイデアも湧く。
労働も無く、酷暑をしのいで冷房の効いた部屋でパソコンに向かっても、ネタは次から次へと出てくるのだけど、まとまらない、しまらない、テーマにならない。
晴耕雨読たまに雨筆、というバランスは必要。そもそも、物書きでもないし、ひまつぶしのなせる業ではあるのだけれども。
うそだけはいかんと、一応時代背景とか調べたり、おかげで、今知る事の方が多い。AIも時に適当に嘘こいてるから、その真偽を再度ググる。
ガンジー曰く
「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい。」
ググるのが学びか?とも思うが、ググらないよりはマシだろ。
セレンディピティの確率も、びゃっこあがるべ。
へばね!
