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専業主婦でも、社会の歯車になれるのか#39|透明な私が見えた瞬間

「私は“社会”の中に存在しているのか?」

そんなことを、
専業主婦になってからずっと思っていた。

仕事をしていた頃は、
少なからず社会の中の歯車のひとつとして、
働いている実感があった。

辛くとも、苦しくとも、
この手で社会の中の何かを、
動かしている感覚があった。

でもその感覚は、
仕事を辞めたと同時に消えてしまっていた。


専業主婦の私は、何か一つでも、
社会のためになっているのだろうか。

社会の歯車のひとつには、
なれているのだろうか。

きっと、私が止まっても、
社会はいつも通り回る。

社会の中では、私はきっと透明。

じゃあ、いっそ、止まってみる?

止まったらどうなるのか、見てみる?

いや、そんなことをしても、
社会は何も変わらない。

だって、透明だから。

社会は、回る。

透明な私ひとりいなくなったところで、
何も変わらない。

でもきっと、家は回らなくなる。

社会の中では透明でも、
“ないもの”ではないから。

“社会を支える、夫を支えている。
未来を担う、子どもを育てている。”

これは事実。
そして、きっとそれで十分なはずなのに。

なぜだろう。

それだと、私の心は納得してくれなかった。

間接的なものじゃない。
この手で“直接”社会の歯車を回したかった。

目に見えないものを、
どうしても受け入れることができなかった。


この問いに対する、
自分が納得できる答えと、
その打開策を、ずっと探し続けてきた。

客観的に、同じ立場の人を見たら、
社会の中に存在していないだなんて、
まったく思わない。

むしろ、そんな人こそ見えないところで、
確実に社会を回していると思う。

でも、自分に対しては、
そんなふうには、まったく思えなかった。

私はどうしても、透明な自分を、
透明なままにはしておけないらしい。

わからなかった。
なぜそう思うのかも。

わからないまま、
今日までぐるぐると、
透明な歯車を回し続けてきた。

だから私は、この透明な歯車を、
ただの“透明”のままで
終わらせるんじゃなくて、
目に見える形にしてみようと思った。

ここから先は、
「私は“社会”に存在しているのか」
という問いに対して、

自分なりに出した答えと、

透明だった私が、
どうやって“見える存在”になったと
感じられるようになったのか。

遠回りしながら試してきたことや、
うまくいかなかったことも含めて、
すべて正直に書いていきます。


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