【掌編小説】独りでいたいだけなのに

幼稚園児の私は、母親に手を引かれ公園に向かった。
いつも独りぼっちの私を心配して、母親が公園デビューをサポートしてくれるというのだ。しかし、独りで過ごしたい私にとっては、実にありがた迷惑な話だった。
公園では、近所の奥さんたちと話し込んでいた母親が、ときどき、チラッとこちらに視線を投げるのがわかった。
そのとき独りぼっちでいると、後々うるさく小言を言われる。私は、母親が見ているときだけ、みんなと遊んでいるフリをした。母親が目を離すと、すぐにまた独りに戻った。
まるで、鬼が見ていないときに動き、見ると動きを止める「だるまさんが転んだ」の逆バージョンだった。
◇
『動きたくなんかないし、遊びたくなんかない。独りでいたいんだ。』
私の願いは、ただそれだけだった。
幼稚園で「将来の夢」を聞かれたとき、胸を張って私はこう答えた。
『植物になりたい』
植物になれば動かなくてもいいし、誰かと遊ばなくてもいいからだ。
『子供は遊ぶのが仕事』
よく言ったものである。私にとって遊びは、まさに過酷な強制労働であった。
◇
そんな私も大人になり、とある会社に就職した。やりたくもないダルい仕事だったが、食べていくには仕方がなかった。
職場では、冬になると決まって「スキー旅行」が企画され、特に新入社員は半ば強制的に参加させられた。
寒さに震えながら、上司が見ている時だけ、私は楽しそうに滑った。いや、正確にはイヤイヤ滑り、そして転んだ。無様に転ぶ私の姿を見て、上司や女子社員はお腹を抱えて残酷な笑い声を上げた。
私は、上司の視線がよそに移ると滑って転ぶのを止め、リフトの陰でひとり雪だるまを作って時間を潰した。
◇
『三つ子の魂、百までも』
年老いた私は、デイサービスで、あるいは老人ホームで、職員が見ている時だけ他の老人と遊んでいるフリをした。
『だるまさんが転んだ』の逆バージョンは、どこまでも私を追いかけてくる。
◇
ようやく、私にも天寿が訪れた。ベッドに仰向けになった私は、暴れるのを防ぐため拘束用のベルトで手足を縛られていた。
少し手足が痛かったが、私は我慢した。そんな苦痛よりも、遥かに大きな心地よさが得られたからだ。
『これで、やっと誰とも遊ばなくても良くなった。』
私は臨終を迎え、そして、天国へと旅立った。
ところが天国には、何と、監視役の天使がいて、私がちゃんと遊んでいるかどうかを見張っているのだ。
昔々、♫天国良いとこいつでもおいで♫という歌が流行った。そんな天国で、まさか『だるまさんが転んだ』の逆バージョンをやらされることになろうとは……。
私は叫んだ。
「こんなとこ天国なんかじゃない、ただの地獄だ!」
