【掌編小説】独りでいたいだけなのに


幼稚園児の私は、母親に手を引かれ公園に向かった。

いつも独りぼっちの私を心配して、母親が公園デビューをサポートしてくれるというのだ。しかし、独りで過ごしたい私にとっては、実にありがた迷惑な話だった。

公園では、近所の奥さんたちと話し込んでいた母親が、ときどき、チラッとこちらに視線を投げるのがわかった。

そのとき独りぼっちでいると、後々うるさく小言を言われる。私は、母親が見ているときだけ、みんなと遊んでいるフリをした。母親が目を離すと、すぐにまた独りに戻った。

まるで、鬼が見ていないときに動き、見ると動きを止める「だるまさんが転んだ」の逆バージョンだった。

『動きたくなんかないし、遊びたくなんかない。独りでいたいんだ。』

私の願いは、ただそれだけだった。

幼稚園で「将来の夢」を聞かれたとき、胸を張って私はこう答えた。

『植物になりたい』

植物になれば動かなくてもいいし、誰かと遊ばなくてもいいからだ。

『子供は遊ぶのが仕事』

よく言ったものである。私にとって遊びは、まさに過酷な強制労働であった。

そんな私も大人になり、とある会社に就職した。やりたくもないダルい仕事だったが、食べていくには仕方がなかった。

職場では、冬になると決まって「スキー旅行」が企画され、特に新入社員は半ば強制的に参加させられた。

寒さに震えながら、上司が見ている時だけ、私は楽しそうに滑った。いや、正確にはイヤイヤ滑り、そして転んだ。無様ぶざまに転ぶ私の姿を見て、上司や女子社員はお腹を抱えて残酷な笑い声を上げた。

私は、上司の視線がよそに移ると滑って転ぶのを止め、リフトの陰でひとり雪だるまを作って時間を潰した。

『三つ子の魂、百までも』

年老いた私は、デイサービスで、あるいは老人ホームで、職員が見ている時だけ他の老人と遊んでいるフリをした。

『だるまさんが転んだ』の逆バージョンは、どこまでも私を追いかけてくる。

ようやく、私にも天寿が訪れた。ベッドに仰向けになった私は、暴れるのを防ぐため拘束用のベルトで手足を縛られていた。

少し手足が痛かったが、私は我慢した。そんな苦痛よりも、遥かに大きな心地よさが得られたからだ。

『これで、やっと誰とも遊ばなくても良くなった。』

私は臨終を迎え、そして、天国へと旅立った。

ところが天国には、何と、監視役の天使がいて、私がちゃんと遊んでいるかどうかを見張っているのだ。

昔々、♫天国良いとこいつでもおいで♫という歌が流行はやった。そんな天国で、まさか『だるまさんが転んだ』の逆バージョンをやらされることになろうとは……。

私は叫んだ。

「こんなとこ天国なんかじゃない、ただの地獄だ!」


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