【シロクマ文芸部】あなたは'マルスの歌'をご存じですか?
三月は石川淳(1899〜1987)の生まれ月だ。
彼は西暦1899(明治32)年に東京浅草に生まれた。
今日も夜明け前から祖母に起こされた。死んだ祖父が夢に出てきたという。いやいやいや、僕はかぶりを振る。
じいちゃん生きてるし。
しっかりしてよ、ばあちゃん祖父は今日もいつもの場所、テレビの前で胡坐をかいている。
僕が祖父母と住むのは、レトロな瓦ぶきの日本家屋で、小さな庭付きだ。柑橘の木が実をつけたままなのは、僕がそう頼んだからだ。
本町追手の店は、祖父母が昔の番頭だった藤島さんに引き継ぎ、藤島さんがそのまま、祖父母の今いる吉田町の家の手配や引っ越し諸々も手伝ったらしい。
僕は予讃線の終点宇和島駅でいったん下車し、お城山に上った。上立門には児島惟謙の銅像と観光マップがある。上立門をくぐり城山郷土館に入ると「宇和島文学散歩」というパネルが展示されていた。明治から昭和の宇和島を舞台にした文学作品が紹介されていた。
丸谷才一 笹まくら
そこに僕の目は注がれた。お城山を下り、その足で図書館に向かう。が、「笹まくら」は貸出中で閲覧もできなかった。丸谷才一の棚を案内してもらったので、何かエッセイでも、と考え直し目についた文庫本を手に取った。
文学ときどき酒 丸谷才一対談集
宇和島の和霊様、山家清兵衛について、丸谷才一が石川淳と対談しているのはP.48〜P.81である。それによると、石川淳の「江戸文學掌記」には山家清兵衛の章があるという(P.37〜P.56)そこまで読み進めて、僕は祖父の本棚の中で見かけた記憶が立ち上がってきた。
ようやく僕が吉田町に向かったのは、それからである。吉田町へ向かうバスは宇和島駅から出ているし、そもそも宇和島駅から北宇和島駅に乗れば良かっただけなのだが、そのときの僕はどうしても寄り道したかったのだ。
吉田町のバス停から家に着くまで迷ったが、まだ日が高いうちに祖父母の家に辿り着くことができた。
僕が見たのは、縁側から続く畳の和室に並べられた古書の山である。虫干しのつもりなのかもしれない。和室のふすまや障子が取り払われて、色が変わりかけた本が、隙間なく雑然と並べられていた。
それから10日経つ。
おおアツシ、来たのか
祖父がのんびりと声をかけてくれた。今来たかのような挨拶だが、このあいさつで9回目だ。僕がしばらく来なかったからで仕方がない。
祖父は頬をゆるめて胡坐をかく。
じいちゃん いっぱい本あつめてたんだねおお
祖父は満足そうにうなづく。
石川淳、あるかな?
「石川淳」という言葉で、祖父は表情を一変させた。反射的に僕は怒られるのかと身をすくめたが、祖父は声を荒げる風もなかった。
アツシは「マルスの歌」を知ってるのか?しばしの沈黙のち、祖父はそれだけを訊ねた。
いや、それなに?
ここで僕は気が付いた。山家清兵衛のことが知りたいなら、どこかの書架の石川淳「江戸文學掌記」を探すよりも、祖父に訊くほうが早い。
でも「マルスの歌」も気になった。
祖父はそのまま黙った。祖父の後ろで、祖母が渋い顔をしていた。
もうそんなにむつかしい話はできないよ
死んだ祖父の夢を見たと、僕を起こしたのは今朝の話なのに、ちゃんと祖母は祖父の傍らに寄り添って訳知り顔をしている。
それぞれの時間はバラバラなのに、縁側のついた座敷に3人が存在する。庭には柑橘の木が実をつけている。3月の英単語はMarch。語源はマルス。どこかで車のエンジン音がするのは、マルス商会のミニバンだろうか。
実存について思いを巡らせると、日差しの温もりを感じる。
もう3月だから温かくなるだろう。
石川淳はないよ それ、ぜんぶ国木田独歩の全集だから 母の声で目を覚ますと、祖父も祖母も、吉田の家も、柑橘さえも消えてしまった。
ちくま文学全集収録の「マルスの歌」を読んでいる途中で、僕は寝てしまったらしい。僕は淳と書いて「アツシ」と読ませる。旧仮名を新仮名に改めただけで、何かが決定的に変わってしまったような気がする。なぜだろう。
また「マルスの歌」は1938(昭和13)年1月に雑誌「文学界」で発表され、反軍国調という理由から同誌は発禁処分、編集責任者・河上徹太郎とともに石川淳も罰金刑に処される。ただ近年の研究論文によれば、体制批判・戦争批判を直接描いたと言うよりも、同調圧力・群集心理・感情の抑圧への不服従が作品の焦点にされているという評価が主流となっている。
【終】
語り手アツシと祖父母が吉田町に住まう点のみが架空で、他は実在します。フィクションの構造を取ったエッセイで、真面目に、あくまでお遊び。
どなたも不快にさせる意図は含めておりません。
参考文献
・山口俊夫 石川淳「マルスの歌」論 : 銃後総動員体制下の思想と自然
