「断言する人を信用するな!」と断言する僕を信用するな!
答えを知っている人なんていない。
僕の中学の先生は、不純異性行為で捕まった。
「人として正しく生きろ」と口癖のように言っていた。
体育教師だったか。英語だったか。
あのころの僕は、先生の声を同志の言葉のように受け取っていた。
中二病のひたむきを「正義」に向けていたからですねえ(遠い目)。
まだ手を出す先生もいましたし、国歌斉唱がうんたらかんたらあったし、2025年の今から見ますと、戦後の残り香が何ミクロンかあったのかもしれません。
今は、不況をわざわざ生んだ誰かさんが、戦争の匂いをうなぎ屋よろしくパタパタしていますが、それはまた別の話。
人はどんなに立派なことを言っていても、
自分の矛盾を抱えたまま生きています。
善も悪も、立場や欲望の角度で簡単に裏返る。
答えを知っているような顔をする人は、信用しないほうがよろしい。
彼らはあなたの気分を良くして、お金を稼ごうとしている。
それが悪いこととは言わないし、言えない。お金って大事。
埋められるものがもらえれば、ウィンウィンかもしれない。
でも、完全に信じるのは危険です。
五年後、その講師は刑務所にいるかもしれない。
僕に「こうするんだよ!」と説教垂れてた先輩も今は演劇界にいません。
十年後には、自分がその立場になっているかもしれません。
人間がいまの地位を得たのだって、
神の設計じゃなく、偶然と突然変異の連続だ。
「正しい進化」なんて存在しない。
たまたま残ったものが、いまここにいるだけなんですね。
それでも人は、答えを探します。
意味を求める。
安心を買うわけです。
それは言い方を変えれば、「知性の副作用」で、「希望の形」。
だから僕は、誰の言葉も少しだけ疑うことにしています。
信じすぎず、疑いすぎず、
そのあいだで揺れているのが、
“人間らしさ”というやつでしょう。
追伸:ちなみに僕は、自分の考えを最も疑っています。
だもんで、今日も、自分の正しさを疑いながら書いてます。
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