「屋上庭園Ⅱ」~薄い膜を守る~
2025/12/7~12/8 やしゃご「やしゃご実験室vol.1」 @アトリエ春風舎
について、やしゃご代表、伊藤毅の解説です。
公演に足を運んでくださった方へ。
そして、観られなかったけれどのぞき見したい方へ。

【「屋上庭園Ⅱ」あらすじ】
現代。繁華街の屋上庭園で旧友・三輪夫婦と出会った二時間後。
夕暮れ。自宅アパートで、売れない小説家・誠は日記に一日を記し、佐和は携帯電話でSNSを覗く。
いつも通り、ウィスキーを炭酸水で割って乾杯する二人。
会話。日常の出来事や過去の思い出を共有しつつ、経済的に『勝ち組』の三輪夫婦と自らを比較する。
社会との連なりをゆらりと避ける誠と、それをじっと見守る佐和。
二人のささやかで複雑な“幸せ”を描く物語。
〈役名…出演者名〉
並木 誠(なみき まこと)…藤尾勘太郎
並木 佐和(なみき さわ)…菊池夏野
※「屋上庭園」(岸田 國士原作/青空文庫)
https://www.aozora.gr.jp/cards/001154/files/44777_37253.html
ベースの説明終わり!
ここからは岸田戯曲『屋上庭園』を現代翻案するにあたっての伊藤の思考をまとめます。

【劇作:岸田戯曲と伊藤翻案の違い】
岸田國士の「屋上庭園」は、デパートの屋上庭園で、それぞれ妻を連れた旧友の三輪と並木が邂逅して駄弁る話です。
社会の経済的上層部の三輪夫婦と下層部の並木夫婦。
並木は、身体は丈夫だが、無職で、金を無心しては友人を減らしている。
その妻は、並木の堕落願望を感じ、心配している。
三輪は、会社勤めで金はあるが、身体が弱く病気がち。
その妻は、散財癖があり、おそらく三輪を愛してはいない。
どの登場人物も満たされない何かがある。
とてもシンプルな作りで戯曲の強度はコンクリレベル。
いろんな解釈可能性を感じました。
また、登場人物の並木に、僕は並々ならぬ親近感を覚えました。
現状の伊藤とほぼ一緒の状態だからです。
都立大学法学部の同期とは絶対会いたくありません(笑)。辛すぎるぜぃ。

≪伊藤は岸田戯曲に並木と三輪の恋愛関係をみた≫
僕は、並木と三輪が過去、恋愛関係にあったんじゃないかと思いました。
娯楽としてではなく、翻案するために読んだ当時の所感メモがあります。
・三輪の“過剰な気遣い”
→単なる旧友への厚意にしては行き過ぎていないか。
何かしらの「贖罪」?
・並木の側は、三輪の申し出に過敏に反応。拒絶がやたら激しい。
→恋愛の残滓?
・一度心を許した相手の善意は、人を弱くし、ノスタルジーを呼び起こす。
・並木の妻、登場。
彼女の涙は、自分と婚姻関係にある並木への精神的弱さへの心配。
そして二人の“昔の結びつき”を薄く察している?
・言われずとも気づいてしまう佐和の勘が、優しさと痛みを感じさせる。
と、いうのを踏まえて書いたのが「屋上庭園Ⅰ」。
↓で無料ダウンロードできますので読んでみてください。
※「屋上庭園Ⅰ」(伊藤 毅翻案)無料ダウンロード
https://note.com/api/v2/attachments/download/d18ed3111771ecebaa0c98f03751757d
ほんでほんで。
その2時間後の並木夫婦を書いたのが、上演した「屋上庭園Ⅱ」です。
「屋上庭園Ⅰ」より「Ⅱ」のが気に入ったのでこちらを上演しました。
今回の実験室としては予算的に2人芝居のほうが都合がよかったというのもあります。

【演出:素材を生かしてシンプルに】
俳優さんの素材を生かして、作品の邪魔になる演出はしませんでした。
いつもは、「劇作家 伊藤」の強度を試す演出を試みる「演出家 伊藤」。
しかし今回は淡々とほんわか悲しい感じにしたいと思い、そうしました。
「青年団っぽいね」ってお客様に感想をもらいました。だとしたら嬉しいです。
※ 藤尾のかんちゃんが「伝説の一戦、アントニオ猪木vsモハメドアリ」を再現するシーンがありますが、あれは僕の演出ではなく(「そこの返し、猪木で」と言った覚えはある)、なんかずっとやってて楽しそうだったので、放っておきました。
千穐楽前の休憩時間。
「かんちゃん、あそこ、楽日スペシャルしてよ。」って言ったら、
「いいの?実は抑えてたんだあ。」とかんちゃん。
「おれどうせ受付のお留守番するから、演出見てねえしやっちゃえよ」
と返しました。
おそらく彼は楽日SPをしました。
今までのやしゃごではない大学生演劇のノリ。僕らもまだまだ若いです。

≪間と目線の配り方はガッチガチ≫
「驟雨」よりも、こちらはガッチガチに秒数指定して作りました。
秒数指定の真の目的は、台詞の前間を「○秒間空けて」と言った後、俳優にどうその間を埋めるかを考えてもらうことです。
なぜその秒数を指定したのか? その間にぴったりの感情の動きは何か?
「いつ、相手をどう見るか」についても演出をかけました。
相手がこちらを見ていない時、素直な気持ちが顔に漏れるように演出。
現実に近づける演出指示なので、他の演出家さんもやってるやつです。
ペルソナ(仮面)は、他者がいることで初めて作用します。
「お母さんと子供」って関係もそう。
子供がいないとお母さんには"なれない"し、お母さんがいないと子供に"なれない"。
「人間ひとりでは人間足りえない」という切なさ、いとおかし。

≪チーカマを食べさせる≫
稽古途中で、チーズカマボコを二人が食べるシーンを思いつきました。
その箇所の台詞を書き起こしてみます。
――――――――――――
誠、台所に行く。
佐和 褒めてたわよ、あなたの小説。三輪さんの奥さん。
誠の声 …嬉しいね。まぐれで3冊出ただけなのに。
佐和 三輪さんが言ってたんだって。
誠の声 え?
佐和 あいつの才能は本物だって。だから、俺は諦めて親の会社を継ぐんだって。
誠の声 ……よく言うよ。
ト書き:誠、ちーかまを齧りながら戻って来る。佐和の分も持ちながら。
佐和 一緒に住んでたんでしょ、三輪さんと。
誠 え、ああ、ルームシェアね。
佐和 やっぱり喧嘩でもしたの?
誠 あいつと喧嘩なんてしたことないよ、なんで?
佐和 んー、奥さんと買い物から帰ってきたら、なんとなく、変な感じだったから。
ト書き:間。佐和はちーかまを手に取り、フィルムを開ける。
佐和 百合子さんは、子どもが欲しいんだって。
誠 …まあ、でもそういうのは授かりものだからね。
コウノトリがばっさばさ。
佐和 でも今のままでいいんだって。仕方ないからって。
誠 え?
佐和 生きていくには。三輪さんと一緒にいるには。
ト書き:佐和、ちーかまを一口食べる。
――――――――――――

この前は、二時間前に会った三輪との会話で誠が「佐和のお腹に子供がいるんだ」と嘘をついたと話すシーン。
佐和に舌打ちをされた誠が「ちーかまー」と言いながら、台所に行く。
過去の重みを直視しないための擬態。
舌触りの軽さで記憶の重さを薄める行為。
台所から戻ってきた直後、佐和の「一緒に住んでたんでしょ、三輪さんと。」が入る。
誠は、ちーかまを齧りながら戻ってくることで、彼は“過去への問い”に対し、真正面から受け止めず、物理的な咀嚼行為で誤魔化します。
佐和が同じちーかまを手に取りフィルムを開ける動きは、“あなたの過去をいま共有してみる”という象徴的動作。
彼女は誠を責めていない。
でも、距離を測りながら、その過去に触れようとする。
そして「生きていくには。三輪さんと一緒にいるには。」の台詞の後、佐和が一口食べます。
この瞬間、ちーかまは完全に“二人の間に横たわる三輪”を媒介するオブジェになります。
もっと言ってしまえば、ちーかまは『三輪の分身』。
佐和は三輪との関係そのものを食べているわけではないけれど、誠がはっきり言葉にできない“重さ”の一端に触れようとします。
誠が齧り、佐和も齧る。
同じ物を噛むことで、二人は同じ“過去の味”を共有する。
そこに、この作品で出したかった“ささやかで複雑な幸せ”と“絡まり合った痛み”の凝縮を表現しました。

ということで、作品解説はこれでおしまいまい。
「やしゃご実験室」と銘打っていますが、作る気持ちは本公演。
僕にとって、本番でお客様に観劇いただけることは、とても大事な人生の時です。
ご来場いただいた皆様、心からありがとうございました。

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