翻訳劇を愛せない僕の話
僕は劇作家・演出家として、他劇団さんや企画に関わらせてもらってます。
その中には翻訳ものの上演台本を手がける仕事もあります。
それでも、どうしても僕は翻訳劇が苦手です。
いや、正直に言うと——んー、嫌い。
シェイクスピア死ね死ね団の団長もやらせてもらってます。
何百年も公演され続けてっから、腹立つんです。
(もちろん、リスペクトはしてるけど。)
【理由その一「かっこつけ乙」】
翻訳劇が苦手なのは、単に「翻訳」という行為そのものに、うっすら距離を感じるからです。
読んでいて、時々こう思うんです。
「なんか……かっこつけてない? どした?」って。
格式ある言葉を好む人がいるのはわかります。
そういう美学を持つ役者さんがいるのも理解できます。
だからこれは、単なる相性なのかもしれない。
僕には、「おお、風よ!巻き起こりたまりたまえ!」みたいな“翻訳口調”がどうにもこうにも馴染まない。
これは、役者をやっていた頃からそうでした。
【理由その二 戯曲の裏にいる人達】
翻訳家の方々は多くが大学教授とか学問の世界の人たちで、
その知性や教養がにじみ出る台本になることが多い。
翻訳台本を読むと、言葉の奥に学び舎のイメージが立ち上ります。
ドラゴンボールの御飯がかめはめ波片手で打つ時に後ろに見える悟空みたいな。
学長、同僚教授たちの微笑み、生徒たちの真面目な目線。
時には、戦時中の軍隊的な上下関係や“心意気”さえ感じます。
(※それ自体を批判するつもりはありません。)
また、翻訳家さんは、原作をリスペクトしすぎて、
言葉が固くなってしまってる気がします。
チェーホフが「これは喜劇だっつってんだろ!」とキレ散らかしているなら
やっぱり「喜劇」として訳すべきでしょう。
リスペクトするなら、なおさら。
僕も物書きで、同じ料理人ですので、たまに店に行くと、
(この翻訳・・・片栗粉まぶしすぎ)と感じることがあります。
ぷるぷるしてるけど、元の味が見えない。
【僕は、翻訳劇好きくない勢。】
僕みたいなもんは、たまたま演劇界隈に長い事いるだけの人間です。
他の人に比べたら、演劇もちょっと好きなだけかもしんない。
でも、いま、ここに生きている人間の言葉で、
舞台の上で世界を組み直す——その瞬間、場は好きです。
これは残るべき人間の行為だと思ってます。
翻訳劇はたぶん、気の合わない親戚みたいな感じかなあ。
嫌いだけど、無視はできない。
留置所にもかけつけます。
結婚式も行くし。
【最後に】
もちろん、読みやすさや親しみやすさを大切にする翻訳家の方々もたくさんいます。
そういう方たちの仕事に出会うと、僕も本当に嬉しくなる。
その風が、もっと広がっていけばいいなと思っています。
おお、風よ!巻き起こりたまりたまえ!
いいなと思ったら応援しよう!
あ、チップってこれか!
これです!ここを押してもらうと、やしゃごの小道具とか買う費用になります。おねがいしまーーーす!