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今に還る旅

久しぶりの投稿になります。

最近、このままじゃいけない。
変わりたい!!変わらなきゃ。
と強く思うことがありました。

これはその中での自己対話の記録になりますが、同じように(特に親子関係で)悩まれている方に
ここから何かをお届け出来たら、、
の気持ちで書かせて頂きますね。

きっかけはnoteでふと自身の

「デリカシーのなさ」

「計画性のなさ」

「思い込みの強さ」

などに気が付いたことからでした。

デリカシーのなさは
自覚はしていたものの

まさかこれほどまで、、?!と
自分でも驚いてしまうレベルでした。

笑って許してくださったお相手の
優しさを想うと
尚のこと胸が痛みます。

そして
「計画性の無さ」、「思い込みの強さ」
は書けば書くほどに露呈していくので

思い込みの強い療法士。。?
そんなの聞いたことないよ。

恥ずかしい。。
という気持ちも一緒に出て来ておりました。


恥ずかしい、と思うと
ノックするのにもためらいが生じます。

…何より、

私の一言が
誰かを傷付けてしまうんじゃないか。。


そう思うとコメント含め、書くということ
が怖くなりました。


自己嫌悪の気持ちは、
ちくちく責める以外にも
あれやこれやと形を変えて現れます。

ご飯が食べたくない気持ち、から
徐々に体の方へと移行していきました。
 

そしてそこからの自己否定。


この流れは気を抜くと自然に、
するっと流れるように出来ていって
しまいます。

いつもならここでありとあらゆる手を使い
流れを変えられるよう努力をするのですが、

今回は流れるままに旅をしてみよう。
出てくるものと素直に向き合ってみよう。

そして、
そこで必ず“変わる”と決めました。

(この時点で私は、この旅は最終的に
親子関係、特に母親と向き合うことに
なるだろう、という予感
がしておりました。

そして、今回要所要所でサインを、
助け舟を出してくれていたのは、
繋がってくださっている人達の存在でした。

私一人では到底立ち向かえなかった事を
お伝えさせて頂きますね。)



出来ない自分を、相手を“ゆるす”

この文字を最初にくっきり私に
焼き付けたのは
きむみ23さんでした。


きむみさんから放たれたその言葉は

まるでそこだけ特殊なインクを
使ったかのように浮き出て
みえました。

この、文字から受けるインスピレーション

これはどのタイミングで、誰からどのように
受け取るかは人によって違うのかもですが、


そのベースには

“こころが開いていること”
が大きく関わっている気がしました。


そして心に焼きついた文字は
潜在意識まで到達しているので、

心はそこから勝手に
      「自動検索」

を始めます。

それは
”アンテナが張る”
ということと同じ意味でもありました。



きむみさんのこの記事には“ゆるす”
の文字そのものは含まれてはいませんが、

自分の声を“聴く”、“対話する”
ためのヒントがそこここに散りばめられています。

頑張って来たご自身に「ありがとう」を
自然と向けられるきむみさんの在り方
からは
学ばせていただく事が沢山あります。



 くりすたるるさん。


私は幸運なことにるるさんに
直接お会いする機会に恵まれました。


るるさんはその日、

「執着」という言葉を夢の中で
受け取られたことを
私に伝えてくださいました。


このお言葉はわたしの深いところへと
向かい、

“今でなくとも必ずこれと
向き合う日が来る”


という確信が生まれました。

(それは言い換えると、
自分の中の“執着”に
光を当ててもらったよう
でした。)


  るるさんが過去、不登校のお子さまと
少し“へん”な学校との狭間で葛藤される中
手放したもの、そして手に入れたものとは。

痛みは伴うけれど、それでもるるさんは
息子さんのため、ご自分のためと決して
諦めず、思い付く限りの鎖を自ら断ち切って
いかれます。

また、記事の進行と共に
(書くという事を通じて)
手放していかれるものもありました。

潔く、美しく“手放す”ということ
実際にその場で見せてくださった
るるさん。


るるさんのこの記事は、立場など関係なく、

何かを“手放したい”と、
こころから願う全ての人への羅針盤

なる、と思っております。


私はこのるるさんの記事にまたひとつ、

頼りなく漕いでいたブランコを
大きく押してもらった
ような気持ちになりました。



そして私は、るるさんに頂いた
キーワードを追ううちに、

昔読んで、難し過ぎてハテナだらけになった
ある本を思い出しました。


この本の作者である
エックハルト•トールさんという方は


”*エゴを見ている自分”こそが本当の自分”
と説いておられました。

*彼の言うエゴとは。
“思考の作り出す仮想の自我”だそうです。
                                                        by chatGPT

てことは
”エゴに気づかなければ
本当の自分を知り得ない”
ってこと?


だとしたらダメ出し脳が活性中の今。

エゴが表に出てきやすいであろう
このインでローな時間を
最大限活かしてやろうじゃないか。。

そんな風に思いました。


エゴ。。執着。。
と聞いていつも真っ先に出てくるのは
母親です。


母親は私にとってのラスボス。
わたしの執着の象徴。


最も大きなトラウマとなる出来事の
中心に居る人物
です。



チャネリングさんの
「両親を赦しなさい」が頭をよぎります。

この記事は親子関係で苦しんでおられる人の
ための“文章版ガイド”になります。

チャネリングさんはこの記事を、
今がお辛いと言う、たったお一人の方の為
書きあげられたそうです。

全てを信じがたいほどに丁寧に掘り下げ
順序立てて案内されながらも

途中つまづきがちな人に

「今は言えなくても大丈夫」
「そんな風に思えなくても大丈夫。」

本当に隣に寄り添ってくださっているかのように
優しく諭してくださいます。

案の定、私はつまづいてばかりでしたので、
このお声がけはとても心強く、
ありがたいものでありました。

家族のことで悩んでおられる方は
皆さん、ぜひ一度、いえ何度でも
読んでみてくださいませ。

(ちなみに今更かもしれませんが、
チャネリングさんの牽引力は凄いです。


このように、
行き着く先々でヒントやキーワード

時には誰かに、または何か(推し等の存在も
こころ強そうであります)
力そのものを分けてもらえると
楽になることがあります。


こころの旅は
ときに予想以上のエネルギーを
必要とするときがあるから。。

今ここではご紹介し切れないけれども

おひとりおひとりとの
その時どきのこころの交わりがなければ

迷子になりがちな私は
自信をなくして
とっくに力尽きていたでしょう。

始まったね!と合図をお知らせして
くださったナウシカさん。

あれがなかったらきっと今も
気付かないふりを
していたことでしょう。

入谷翔漣さん。

氷解シリーズを読ませて頂くうちに
私の中の頑なだった何かも
少しずつ、少しずつ解けていきました。

この旅の後押しをしてもらったのは
間違いありません。


何かを手放したい。。と思うのであれば
人との繋がりは閉ざさないこと

一旦閉ざしかけたからこそ
今、強くそう実感しています。



ここからは少し、私のラスボスである
母親とのことを整理する為にも
自己否定の原因とわたしが
思っている出来事をお話させてくださいね。


──────── ⋆🌙 ⋆ ──────────


受験間近のある日、
仲の良い友人が二人、

揃って明日◯◯する、とわたしに告げた。
団地から飛びおりる、と言うのだ。

当時のわたしは
引き留める術など持ち合わせてはいない。


とてもじゃないけれど
一人では受け止めきれず
その夜母に泣きながら話した。

母は時々周りにとんでもない暴言を
吐く人だけど、苦しい時には
絶対に味方をしてくれる。
そう思っていたからだ。

ところが、この時の母は
通り一辺倒の、ありきたりな
言葉でわたしをなだめようとしているのが
伝わって来た。

母の許容量も超えているのか、と
思ったが、
何かがおかしい。

心ここにあらず、に見えるのだ。

寄り添ってもらっている満足感もなければ
納得出来る返答ももらえないので
わたしのパニックは収まらない。

母がちらりと時計を見た瞬間に
“ああ、あの人のところへ行くんだ。。”

と思った。

当時、わたしは母に恋人が居ることに
気づいてはいたけど、

いつも遊び回って家に居ない父に対する
母の寂しさのようなものを常に感じて来たので

それに対して思うことは特になかった。
(何よりも母のことが大事だったのです。)


だがその時ばかりは


なぜか母を引き留めなければ
と強くそう思った。



───結論から言うと、
わたしは母を引き留められなかった。

「置いていかないで、お母さん」
の一言が、
どういうわけか喉に詰まり、
どうしても出て来なかったのだ。



。。。それがもしも、
言えてたとしたら?


もし、言えていたら
母はわたしを置いて行かなかった?


そしたら私はあんなことにも、
こんなことにもならなかった。。。?


今もそう思ってしまう自分がいる。


過去の分かれ道。


ひょっとして、わたしはここに今も執着している…?


(ちなみにこの時の友人二人は私の狼狽える様子を見て満足したようで、次の日は何事もなかった
ように学校へ来ていました。)

────────⋆🌙 ⋆───────────

この、最後のもしも、はずっと後悔だと
思っていたのですが
るるさんの記事を読ませて頂くうち
私のこれは後悔を越えているのでは…?
と、気付かせてもらったものになります。

わたしは母に置いていかれたこと
そのものが一番大きなトラウマだと
思っていました。

そしてなんでよお母さん!!の気持ち。
これはハッキリ執着だと分かります。

だから私はとにかく
“置いていかれた時のわたし”
繰り返し繰り返し抱きしめてきました。

悲しくて寂しくて張り裂けそうな、
そういうものを感じる度に。

それらが昇華したら母を責める気持ちも
なくなると思ったからです。


ですが今、こうして文字にしてみると、
わたしが執着しているのは

過去の分岐そのもののようにも見えます。

特に、
「置いてかれなかったら
こんなことにはならなかった。。」

この言葉からは私の場合、
他責をしつつ、
現状(こっちの道)を受け入れられて
いない
事がはっきりと分かります。


(こうして文字にしてみると、時に
“考える力”を越えて気付かされるもの
が出てきたりします。
悩んだら気持ちのままに書いてみるといい
とよく言われる意味が分かる気がしました。)

…それにしても未だに
誰かのせいにしたがってるのか私は。
なんだかみっともないな、、

と思った瞬間、反論がありました。

『…や、みっともなくはないぞ?』

『それに守られて来たこともある。』
『そうでしょ?』

確かに、言われてみれば
あの時もし、あの事実に加え
「自分のせいだ」
とまで思ってしまっていたら、、

考えるだけでも恐ろしいことです。

そうか、今は一見邪魔なものに見えても
確かにそれが守ってくれてたこともある
のか。

その事実を今日は受け入れてみよう

そう思いました。



…続けてみます。


それ以外にも私は

「親はどんな時でも子供の味方でいるべき
「親は子のピンチには全力で寄り添うべき
不倫相手を子供より優先しない

といった願望→思い込み→執着
を持っていることが
見えてきました。
(執着は〜するべき。の形で現れることが
多いそうです)


最後のひとつは特に破壊力がやばい。


こうして文字になったのを見ると
今もまだ全然痛いです。

「そんなの思って当然のことだよ!」
「当たり前のことじゃん!」

擁護する声すら聞こえる。
(これはたぶん、エゴの声


けどね、、

まず、これらを今手放すことが出来たら
キミは根っこの部分から大きく変わるよ。。?


そうだ。


…こっちだよ。


過去のるるさんが引っ張ってくれている
のが分かりました。

まずは自分を縛ってるものに気付こうか。

「親は〜であるべき。」べき思考。


…一体何なんだ?これは。
理性?倫理観?…常識???


いずれにしても
これは私の中の、私だけのものだ。


だったら、今はそれをほんの少しだけ
緩めてみよう。


私の常識は他と違ってもいい。

私の母も常識と違っても、、、

…とここで涙が溢れて来てしまいました。


あの時見捨てられた気持ちのわたしが
また出てきてしまったのです。

なんでよお母さん!!!
の気持ちがまだ残ってた。

こうなると出来ることはひとつ。
とにかくこの子を抱きしめよう。

「私が居るよ」

「私が居るよ」

何度も何度も声を掛けながら
私がわたしを抱きしめました。


「これからは誰よりも、
私があなたを愛するから。」

思ってもいなかったこの言葉には
自分でも驚きました。


いま、私の思考と

わたしのインナーセラピストと
わたしのインナーチャイルドが
みんな表に出ている。

けれど、それぞれの想いはひとつ

だから、ぜんぶが溶け合うくらいに
精一杯の力を込めて抱きしめました。


いえ、抱き合いました。


これまで私のインナーチャイルドは
弱々しく、痛々しく
抱きしめられるがままでしたが、

この時ばかりは大人の私のことを
精一杯の力を込めて抱き返してくれました。



そして、もしかしたら
今日ならいけるかもしれない。
という予感のようなものを信じて

「母親に選ばれなかったわたしに
価値なんてない」

も勇気を振り絞って引っ張り出してみました。
(これは私にとって最も怖かったものです)


改めて言葉にしてみると
なんて悲しいんだ。

…けど、悲しみはもう十分すぎるほど
味わったよね。

無力感も、自己否定も。

改めて同情し、一人で請け負ってきた
その子を想い、一緒に抱き合って
おんおん泣きました。



そうして泣き止んだ頃
奇妙なことが。

執着の先にあるものがふっと見えたのです。


あの時、あの言葉をもし言えていたとしたら?

きっと別人になっていただろう私。


きっと赦すという言葉も、
執着なんて言葉はなおさら素通りの

人の痛みに全く気付けない人間に
なっていたかもしれない。


今繋がってくれている人達の存在も
ここまで深くは食い込まなかったかもしれない。


変わろうと思うことも
それを誰かに届けたいという想いも


みんな、なんにも生まれなかった。。???


このとき、
初めて今に還って来れたのです。

あっ、こっちがいい。今が良い、と
こころからそう思えた。

今の自分の方が光って見えた。


今まで執着していたものが
ベリベリッと剥がれていく感覚がありました。



そうして、執着が剥がれていくと、
なぜか頭がものすごくクリアになりました。

(もしかしたら今までそこに、脳は相当な
エネルギーを使っていたのかもしれません)


次々と今の私の課題に突破口が
見えてきました。


思い込みが強い。
ってのは
一回こうだ、と思った事にすでに執着してしまっている状態。
相手を守りたいと思うなら、本当にそうかな?と
一歩引いて考えてみて。

それでも気付けないときは一回
トイレに行こう。(byこころの友)

計画性がない。
どうにかなる。という楽観的な思い込みから来ている。

そこで
おいおい、やっぱり思い込みかよ、、と
なりました。(お恥ずかしいですが)


ついでに冒頭の
恥ずかしい。ですが、これは
療法士としての“こうあるべき”
が実際の自分を大きく越えてしまっている
ことから来ているようでした。

まずは“今の自分はここまでだ。”
をちゃんと認めること。

出来ない自分をうけいれること。


これは地味に抵抗あるよね。。

出来ない自分を認めるの。


でも、今はそれでいい。
だって、私はここからだ。

(これはいわゆる自己受容というもののようでした。
長所も短所もまるっと受け入れる。

これは、自己肯定感の元になる大事な過程なん
だそうです。)


…そして、一番の気がかりである
デリカシーのなさ

やはりこれもこの思い込みから来ているので、
私の場合、
相手をちゃんと冷静に見よう

“その人全体”を見るんだ。

まずは私がもっと自分を客観的に見れる
人になろう。
その練習から始めてみよう。

などと前向きな気持ちで考えられるように
なりました。


…それで、結局私は母をゆるしたのか?

これにはまだはっきりそうだ、とは言えません。


ですが、この旅の途中
少女時代の、瓶底メガネをかけて
猫を抱いた、純朴で愛おしい母が何度も
出てきました。

(私が生まれるずっと前の姿ですから、
きっと古いアルバムの中の一枚が
焼き付いていたのでしょう。)


不思議な感覚ですが、
あの少女には辛い思いをして欲しくない。
出来ることなら私が守ってあげたい。
となぜだか、涙ながらに思うのです。


旅もそうですが今回は記事も長かったです。。

違う方向へ行ってしまったり、同じ場所から
全く動けなくなってみたりと、すんなりとは行きませんでした。

今思うと
きっとそれは『変わりたくない』
という気持ちの現れだったのでしょう。


変わりたいと願えば、同時に生まれる
変わりたくないの気持ち。


たぶんですが、どちらも大事な気がします。

変わりたくないのは、それで今まで
生きてこれたから。

苦しくても悲しくても、
それで生きてこれたから。



守ってくれていたものを手放し
変わる、を選ぶのは勇気がいることです。


抱いたまま生きていく、と既に
覚悟を決めておられる方も、

静かにその時を待っておられる方も
いらっしゃるでしょう。


どんな道を選んでも、選んだ道が正解でよいのかもしれません。。。
(⤴︎これはコメント欄で頂いたblancheさんから
のメッセージになります。)

このお言葉には全てを包み込んでもらえた
ような気持ちになり、

どうしてもここでお伝えしなければ、
と感じたのでそのまま引用させて頂きました。


それでもあなたがもし、
こころから“変わりたい”と願われたのであれば。


“変わる”を選ばれるのであれば、


あなたを導いてくれるはずの
ヒントやキーワード、そして力をくれる
その存在に気付いて欲しいのです。


noteには幸いなことに、そういった方が
沢山実在しておられます。


知識や情報ももちろん大事ですが、

人に何かを届けたい。のお気持ちで
ここにおられる方の存在と、
あたたかいそのこころを
感じてみてください。

一人では無理、と思うことも
仲間がいる、と思えることで
前に進める。


ときに一進一退に見えても
ひとつひとつ。



いつか、本当にその人が必要だと思ったときには
必ず繋がることが出来ると私は思っています。

次の記事では
実際に私がヒントやキーワード、
そして勇気と力を貰えた方々を
ご紹介させて頂きますね。



最後に。

わたしと繋がってくださっている皆様、


ありがとう。ありがとう。



ありがとう。



旅の間も
ずーっと感じておりました。

存在感、あなたからのお気持ち。

そして私があなたを好きだという気持ち
そのものがわたしの支えであり、力です。

この気持ちはとてもこの数行では
伝えきれないので、改めてお伝えさせて
頂きますね。


今日も、最後までお付き合いくださいまして
本当にありがとうございました。



あなたの毎日が優しいものでありますよう、
心からの願いを込めて✨️




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