傾聴の力を実感する
noteでつながったご縁から、大変お世話になっている田中和子さん。
先日、傾聴100人チャレンジに取り組んでいらっしゃる和子さんに、もう一度お話を聴いていただく機会をいただきました。
その時間を通して、私は改めて「傾聴の力」を実感しました。
私自身、話を聴く場である「余白のひととき」という小さな種を蒔いてから、思っていた以上に不安を抱えていました。
「立ち止まって確かめる」と記事に書いたばかりでしたが、その答えを、和子さんとの対話の中で少し受け取れたような気がしています。
本当に必要としてくださる方に届くだろうか。
このまま誰にも届かなかったらどうしよう。
期待と同じくらい、不安や焦りも抱えていました。
そんな私の言葉一つひとつに、和子さんは丁寧に耳を傾けてくださいました。
終始和やかな雰囲気でありながら、私の思いを否定することなく、そのまま受け止めてくださる姿勢。
「こうしたらいい」と答えを示すのではなく、私自身が自分の心に気づけるよう、静かに寄り添ってくださる。
私はその時間の中で、これこそが「傾聴」なのだと、身をもって体験させていただきました。
還るたび 心の種に 水をやる
私は以前、「やさしさがめぐる」という小さな詩を書きました。
やさしさのしずくが うつわいっぱいになったら あふれそうな分だけ そっと渡せばいい (「やさしさがめぐる」より)
そう書いていた私自身が、「余白のひととき」を始めてからは、不安や焦りで、自分の器を満たすことを後回しにしていたのかもしれません。
和子さんは、
「自分を大切にすることで満たされるから、その分を分けることができる」と話してくださいました。
和子さんに話を聴いていただきながら、私は新しいことを教わったというより、自分が大切にしたかった原点を思い出させていただいたような気がしています。
また、和子さんのお話の中で印象に残ったのは、
種を蒔かないことには、始まらない。
芽が出る時期は天に任せて、水やりをする。
という話でした。
私は芽が出ることばかり気にしていて、水やり、つまり自分の心に耳を澄ませ、自分自身を満たすことを忘れかけていたのかもしれません。
種を育てる前に、まず自分自身が枯れないこと。
その大切さを改めて思い出しました。
和子さんは「余白のひととき」を一緒に過ごしていただいたときの記事の中で、
人はアドバイスを求めているのではない。
安心して還っていける場所を求めていることがある
と書かれていました。
私はその言葉を何度も読み返しながら考えました。
私にとって、力むことなく安心できる「還る場所」とは、どこなのだろう。
そう考えたとき、浮かんできたのは、自分自身の原点や光でした。
傾聴とは、誰かから答えを受け取ることではなく、自分の内側にある答えへ静かに還っていく時間なのかもしれない。
二度目である今回、和子さんに話を聴いていただきながら、私はそんなことを感じました。
聴く側と聴いてもらう側、その両方の視点を行き来することで、「余白のひととき」が目指す方向性がまた少し輪郭が浮かび上がった思いです。
鏡には もとの光が 映るだけ
和子さんとの対話を重ねながら、私自身、自分が目指したい役割も少し見えてきました。
私は誰かを変える人になりたいわけではありません。
答えを教える人でもありません。
その人がもともと持っている光が映るような「鏡」のような存在でありたい。
自分では気づいていなかった想いや願いに出会う、その瞬間に静かに立ち会える人でありたい。
まだまだ試行錯誤の途中です。
それでも、これからも私は、一人ひとりの声に静かに耳を澄ませながら、その方が自分自身の原点や光に還っていく時間をご一緒できたらと思っています。
そして私自身も、ときどき立ち止まり、自分の心に水をやりながら歩いていきたいと思います。
記事を書いている最中にも、「余白のひととき」が気になっています、と声をかけてくださった方がいました。
その言葉は、小さな種にそっと水を注いでいただいたようで、とてもありがたく感じました。
焦らず、一つひとつのご縁を大切に育んでいけたらと思います。
(追記)
おかげさまで、今回のモニター募集は定員に達しましたので、一旦募集を締め切らせていただきます。
ご興味を持ってくださった皆さま、本当にありがとうございました。
和子さん、今回も本当にありがとうございました。
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