文章は心の写真を復元する作業
「ハッピーライティングマラソン」の最後のお題に、最後だけ投稿という無法者の私。
つい欲を出し、もう1本だけ書いてみたいと企みました。
あと1本となると、どうするか?と考えた末に、
最後を知ったからには最初も知りたい、という性分で、
最初のお題に取り組むことにしました。
「あなたはなぜ文章を書くのですか?」
私にとって文章を書くこと。
実際起こったことやそのときの思いを切り取り、時に補修しながら記録していく作業。
子どもの頃、文章を書くことが苦痛で苦痛で仕方がありませんでした。
小学校3年生のときのこと。
毎日帰りの会の前に、5分間で日記を書くことになっていました。
毎日、書くことが思いつかず、
今日の給食はカレーだった。
おいしかった。
などと苦痛の時間をやり過ごすために、とりとめもないことを書いていました。
はたまた1文だったことも多々。
今日の給食のやきそばはおいしかった。
今、思い返すと、ほぼ給食ネタだったのではないかと思います。
今も表現に苦慮していますが、語彙力に乏しい文ばかりが並んでいました。
たくさん書いている子はノートが複数冊になっていたのに、学年が終わる頃になっても1冊で済んでしまうほど。
日記と言える代物とは程遠い質の文ばかり、日々、書き連ねていました。
そんな表現音痴著しい私に驚くべきことが起こりました。
毎年、夏休みの宿題として出されていた読書感想文。
夏休みが終わる直前になって、半泣きになりながら、必死に原稿用紙のマスを文字で埋める作業。
苦行でしかありませんでした。
それでも小学校6年生のときのこと。
コンクールの校内代表に選ばれる、珍事が起きました。
私が?
素直に喜べればよかったのですが、
腰が抜け落ちそうな驚きと分不相応なうしろめたさが同時に沸き起こりました。
ただ、これにはカラクリが。
それまで毎年、課題図書で感想文を書いていたのですが、その年は違いました。
読書感想文と言うよりは、中身はほとんど映画感想文。
その年の夏休みに、『ビルマの竪琴』という映画を観ました。
「おーい、みずしま、一緒に日本へ帰ろう」
このセリフ、そして竪琴を奏でる姿と音色が哀愁を漂わせ、とても印象に残る映画でした。
当時は心に深く刻みつけられたのにもかかわらず、恥ずかしながら映画の内容について、現在は大方、抜け落ちています。
映画を観てからしばらく経った後も、心に残り続けました。
そこで思いついて、原作を読むことに。
映画のシーンを思い返しながら読むことは、それまでに味わったことがない楽しさがありました。
書くことだけでなく、読むことも苦手だった私。
ずっと文字を追うだけで必死だったのに、そのときは先に映像を見ていたので概ね思い返す作業で済んだことが大きかったように思います。
まがりなりにも原作を読んだので、読書感想文として書いてしまおうと思って書いた結果が、ハプニングとしか言いようのない、罪悪感の残る奇跡を起こしたのでした。
それをきっかけに、書くことが好きになったとか、得意になったという奇跡は起こらないまま、現在に至ります。
それでも今、私は文章を書いています。
そんな私、この年になってやってみたいことができました。
話を聴く場、「余白のひととき」を設けること。
そのためには知ってもらわなくてはいけないと気づき、noteで文章を書くことに。
私が書いていることは、
実際起こったことの断片やそのときの思いを切り取り、時に補修しながら記録していく作業なのだと思います。
私はコロナ禍の頃からスマホで写真を撮ることが楽しみになりました。
瞬間を切り取る写真撮影。
文章を書くときにも同じことをしているように思います。
そのときに起こったことを切り取る。
それに対するそのときの思いを綴る。
直近で起こったことは比較的記憶が鮮明ですが、かなり昔のことになると忘れている部分も多く、記憶を手繰り寄せながら欠けている部分を補わなければなりません。
まるで、写真の復元のように。
私の頭の中の記憶はところどころ抜け落ちていて、たまに復元ならぬ、絶対にありえないようなシーンとして再構成される場合もありますが。
それでも気づいたら、よりよい形で再現しようと意識するようにしています。
そのとき思ったことも時が経つにつれ、変わることがある。
だから、そのときにふさわしい形に修正していく作業にもなっています。
そうやって出来事や思いを文字として外に出してみる。
すると、自分の中で交錯していたものの輪郭が少しずつはっきりしてきて、気持ちが落ち着いていくのを感じます。
現在は、写真の復元技術が上がって、白黒写真をカラーにしたり、色あせた写真を鮮やかに、ピンボケも復元できるようになってきているようです。
ただ、私が書く場合は、文字数を増やすと低解像度の写真をそのまま引き伸ばしたかのように、アラが目立つ仕上がりになる傾向があります。
だからこそ、私自身、少しずつ技術を向上させて、よりそのときの自分にできる精一杯の解像度で残していけるようにアップデートしていくことができたら。
そんなことを思い描きながら、その瞬間を切り取り、noteに置いていく作業を自分のペースで続けていけたらと思います。
今回、書くきっかけをくださった「ハッピーライティングマラソン」、
そしてnoteとのご縁に感謝します。
いいなと思ったら応援しよう!
いただいたサポートは、この場所に流れる静かな時間と、こころの学びを育てるために大切に使わせていただきます。