魔女スライザロウリアの村の完全密室 殺人事件(超格安まとめ版)       ネタバレは絶対におやめください。

割引あり

 第一章 悠久不変の魔女の村

 その地には、《時の流れ》が存在しないかのようだった。《遥か古代から、小揺るぎさえも見せずに静かにたたずむ魔物》のような山々が、その荘厳な威容をまとい、高くそびえ立っていた。無数の槍を天空に突くかのような高い樹々が、《広大な森の大自然の営み》を囲い込んでいる。 
 多種多様な植物に動物の群れ。厳しい弱肉強食の掟の中にも、その山々には、神の意志、大いなる慈愛と慈悲に見守られるかのような《動植物の自由な棲息の場》が広がっていた。その大自然の森に《人工の大穴》を穿つような形で、人々の棲息する土地もあった。
 草原もまた、遥か古代から悠然として変わらぬようにみえた。人々の集落は、時の移り変わりと共に少しずつ変わったが、それもある節目を境に落ち着いた。
 《ウィッチ・スライザロウリアズ・ヴィレッジ》(魔女スライザロウリアの村)という村がその草原にあり、その人口は一千九百人ほどだった。農業、畜産、織物、種々の軽工業が主産業の村であり、人工的な汚染とは無縁の、素朴で清らかで美しい、ある意味では理想郷のような村が静かにたたずんでいた。
 その村には、古くからの《恐怖に満ちた迷信》が幾つも存在し、それらは、村に不気味な暗い影を落としていた。闇色の霧のような恐怖が、漠然と村全体に広がり、村をその息吹でおおい尽くし、その恐怖は、親から子へ、その子から孫へと、大昔から現在まで受け継がれてきた。多くの子供たちは、夜闇を恐れ、闇に潜む魔物を恐れて、夕刻になれば、足早に自分達の棲み処に帰り、親や祖父母の保護を求めた。村の夜は、底深い闇と海底のような静寂に支配されていた。
 村人たちには、熱心な《聖なる十字架・救世主教》信者が非常に多かった。略して《聖十字教(セイント・クロス・ビリーヴァーズ)》という。昔から多くの教会が建設され、人々の礼拝や教会に対する奉納により、それらは活気に満ちあふれた。
 大勢の人々が教会に足を運び、《神》に真摯に祈りを捧げた。聖書の言葉は、人々の心に滲みわたり、豊かな潤いを与えた。教会の中で鳴り響く聖歌は、人々の心に巣食う邪悪な穢れを浄化してくれるように思われた。
 《魔女スライザロウリアの村》には、神や天使、悪魔や魔物が混在し、実存の世界に精神的な世界が重なり合って揺らいでいるように思われた。そうした背景があり、その村で、人知を遥かに超える種類の、《魔物が犯したとしか思えない不可思議な連続殺人事件》が発生した時、大勢の人々が、言い知れぬ戦慄にとりつかれ、その顔を蒼ざめさせた。
 なぜなら、それは、特に二つ目の《奇想天外な密室殺人》は、何者にも解決を見出す事のできない《不可能な連続殺人事件》だったのだから・・・
 その極めて不可思議で、また不可能な連続殺人事件に深く関わった人々を、《シュレーディンガー新聞社》の凶悪犯罪事件担当の記者たちは、その事件の起こった二日後に次のように列挙した。

一、サウザンドアイズ・グラスランド 
 『千の眼を持つかのよう』といわれる名探偵。第一の殺人事件を公会堂・劇場室の観客席から目撃し、殺人現場の演劇舞台に上がる。連続殺人事件の捜査に参加する。

二、ヴァイオレット・グラスランド  
 サウザンドアイズ探偵の愛娘。第二の殺人事件における第一発見者の一人。

三、ファーガス・D・タイガ     
 第一の殺人事件で刺殺された被害者。美術商。演劇舞台の暗闇の中で謎の死を遂げる。

四、フィルティ・クレイ・ロースン 被害者ファーガスの愛人と思われる女性。

五、ミンストラル・ストライク    
 第二の殺人事件で、椅子に縛り付けられた上に、刃物で喉を掻き切られて惨殺された被害者。

六、フランシス・L・ロビンズ    
 第一の殺人事件を劇場室の観客席から目撃し、勇を鼓して演劇舞台に上がる。そして被害者の死体の状態を最初に確認する。
 また、第二の殺人事件でも死体を見る。元女性刑事。               
                
七、ミラージュ・R・ドリームランド 
 『蜃気楼の魔術師』と呼ばれる魔術師。また、アマチュア劇団『蜃気楼の童話』の劇団長。第一の殺人事件の発生した舞台では、被害者の眼前で鮮麗な剣舞を舞い踊った。
 また、第二の殺人事件では第一発見者の一人。                                                
                
八、キャンパニュラ・ドリームランド 
 ミラージュの妻。舞台では、暴君のロンバーンズ侯爵により瀕死の重傷を負わされる聖女の役回りだった。
 また、第二の殺人事件では第一発見者の一人。              
                         
九、ジョージ・T・サントラ 
 舞台で暴君のロンバーンズ侯爵を演じた。職業は銃器販売店の店主。
                
十、ムサシ・ハギワラ        
 東洋の剣術(剣道)使い。舞台では東洋忍者および剣士の役回りで、彼は、高木の天辺に登ったりもした。
 また、第二の殺人事件では第一発見者の一人。               
                                
十一、エメラルディア・チャン     
 東洋の血を受け継ぐ謎めいた淑女。舞台では彼女は剣豪として活躍。
 また、第二の殺人事件では第一発見者の一人。               
                       
十二、ピーター・W・リューズ     
 第二の殺人事件の発生した《リューズの別荘》の所有者(その妻と共有)。大富豪。
 第三の殺人事件で絞殺され、その死体が川底から発見される。

十三、ブルーマリン・W・リューズ   
 ピーターの妻。主婦だが、文筆活動や文化振興運動などを精力的に行う。第一の殺人事件では舞台で退魔師を演じた。
 また、第二の殺人事件でも死体を見る。

A、セバスティアヌス警部 
 第一の事件を捜査した警部。その後、第二の殺人事件の捜査にも加わる。
                
B、スティンガ警視         
 第二の事件を捜査した警視。その後、第一の殺人事件の捜査にも加わる。
                
C、スリプリィ警部         
 第二の事件を捜査した警部。その後、第一の殺人事件の捜査にも加わる。
                
D、ピラミッド・C・リッジウェイ  
 高名な医師。連続殺人事件において被害者の検死を行った。
                
 *一月二十日(金曜)の午前九時頃
 一月二十日。《連続殺人事件》が発生したその日は金曜だった。その朝、空は晴れ渡り、冬の寒風が吹いていた。《魔女スライザロウリアの村》は、高山の中腹にあるために一年を通して寒冷な気候だ。しかし村人たちは、その胸の奥に寒さに負けない気丈な精神を培っていた。
 《カミーリア・アンド・ゴウト》公会堂(《椿と山羊》公会堂)では、午前九時からアマチュア劇団による演劇が上演された。公会堂の一階には、劇場としても使える続き部屋があった。演劇舞台は、観客席の床から一メートルほど高く、高い天井からの舞台照明で煌々と照らし出されていた。アマチュア劇団とはいえ、俳優たちの中には、玄人ばりの素晴らしい演技を披露する者たちがいた。
 舞台上の演劇を表現するように、アップテンポで音響が不安定に高低に揺れ動く音楽が流れている。
 舞台の中央では、封建領主ロンバーンズ侯爵(役者はジョージ・T・サントラ)が左手に持つ長剣を高々と振り上げ、聖女グレンロウリア(役者はキャンパニュラ・ドリームランド)を轟き渡る怒声で恫喝していた。
「・・・その夜の獣のように禍々しい憎しみを込めた眼を、この私に向けるな! 
身の程を知れ、聖女を騙る愚かしき娘め!」
 ロンバーンズ侯爵の長剣が振り下ろされ、聖女はつんざくような悲鳴をあげて舞台の床に倒れ伏す。その瞬間に大音響が鳴り響く。大地震を表現する音響効果だ。舞台を流れる、聖女の危機を表現するアップテンポの楽曲が、今や、轟く雷鳴を連想させる豪放な楽曲に替えられている。
 草原の大地に矩形(長方形)の穴が開く。奈落(床下の地下スペース)から舞台まで電動式の迫り(舞台と地下とを昇降させる床板)が上がる。地獄の底から地上にその姿を現したのは、その頭に黒いホンブルグ帽をかぶり、その身に濃いグレーのコートをまとう《地獄の審判者》だ。彼は、《その光輝く切っ先が高々とそびえるが如く舞台の天井を指す長剣》の柄をその右手に握りしめている。
 多くの観劇の客たちが、一斉にワアッ、と歓声をあげ、拍手喝采する。この演劇は、ついに最後の最も華やかな佳境を迎えたのだ! 《地獄の審判者》を演じる役者はファーガス・D・タイガだ。
 《地獄の審判者》が出現したのは、観客席からみて舞台の左奥だ。彼は、顔の上半分を鋼鉄のマスクでおおい、そこに穿たれた二つの穴から冷ややかな眼で非道な暴君ロンバーンズを視つめている。
 ロンバーンズ侯爵のセリフ。
「おお、おまえは何者だ! 地獄の亡者か! まるで私を地獄の底に引きずり込むような、獰猛な顔つきをする男よ!
 おまえは、私がこの女を斬った行為を咎めようというのか? おぞましい地獄の怪物め! やれるものならやってみよ!」
 豪放な音楽の音量が急激に小さくなっていき、轟雷のような音響効果音も消えていく。《地獄の審判者》は、後ろの革張りの大椅子に悠々と腰を下ろした。その右手に持つ長剣の切っ先を、ロンバーンズの右胸に向けるや、左手を口に当てて澄み切った音色で口笛を吹き鳴らす。十数羽の小鳥たちが舞台上に集り、その空間を自由自在に飛び舞う。素晴らしく壮観な眺めだ。観客席からの歓声が盛り上がる。
 そのまま一分ほどが経過した後、《地獄の審判者》の吹く口笛のひときわ高い一音を合図に、小鳥たちは四方八方に飛散する。しかし観客席スペースにははみ出さず、小鳥たちは、左右の舞台袖の方に飛翔し、その姿を消していく。
 《地獄の審判者》が口笛を吹くのをやめ、顔を上げた時! 舞台の左袖から二人、右袖から二人、長剣を携えた剣士たちが躍り出た。四人の剣士たちは、舞台中央でその腰に佩いた長剣を抜き、四つの切っ先を激しく打ちあわせた。『シャリンッ!』と鋭い金属音が鳴る。
 そのうちの三人が、非道の暴君ロンバーンズをアッという間に取り囲み、ロンバーンズは、恐怖におののいた表情で剣を斜めに構える。残る一人の剣士は、颯爽と《地獄の審判者》の前に立ち、凄まじい速さで剣舞を舞い踊りはじめる。その鮮烈な舞いと共に、彼がその背に羽織る深紅のマントが、《自由に空を舞う鷹》であるかのように宙に翻る!
 『蜃気楼の魔術師』ミラージュ・R・ドリームランドの剣舞には定評あり! 観客席では、立ち上がってワッと歓声をあげる、大きく手を振る、拍手喝采する女性客たちが、雨後のタケノコの如く、次から次にわき出ていった。
 が、しかしその時、観劇の客たちの視界に、突如として闇の帳が降ろされた。天井の照明が一斉に消えたのだ。まさか停電・・・? 
 同時に舞台も深い闇に包まれていた。何が起こったのか? ざわめきが拡がる。大声で何かを叫ぶ人々もいた。全てが深い闇の帳に閉ざされていたのだが、それは果たしてどれほどの時間だったのか・・・ 後々、警察の事情聴取に対し、ある者は「あれは二十秒から三十秒の間だった」と証言し、また別の者は、「あの停電は、わずか十秒と少しだけの間」と、自信ありげに証言した。
 突如、全ての舞台照明と観客席天井の照明が一斉に回復し、人々を驚かせた。舞台の上では・・・《地獄の審判者》の身に異変が起こっていた! 彼は大椅子に堂々と腰を落ち着けていたはずだが、いまや草原の上に横向きに(上体は俯せ気味に)倒れていた。大椅子から見て右前方の方角に倒れた格好だ。草原の草や花は舞台セットの造花だが、そこに赤い血だまりが広がっている。
 まさにその時、フランシス・L・ロビンズは、観客席の最前列の席にいた。彼女はすぐさま席を立ち、舞台に走り迫り、その前端に両手を掛けて飛び移った。彼女はすぐに起き上がると、着衣の汚れを払いもせず、風を切って《地獄の審判者》の近くまで走り寄る。彼女は片膝を落として座り、その男の全身を素早く眺めわたし、男の仮面をはぎ取った。
 観客席の端の方から舞台に向かって走り、その下手側(観客席から見て左側)の端にある階段を上がり、舞台に立った者がもう一人いた。それは、噂に高い名探偵サウザンドアイズ・グラスランドその人だった。彼は、フランシスの左隣まで走っていき、倒れた男の顔に視線を走らせると、
「この男は死んでいる! 死体に手を触れてはいけない!」
 と、すぐさま彼女の行動を制止した。
 フランシスは、はっと我に返ると謝罪の言葉を口にし、自分は元刑事ですという意味の弁明を付け加えた。彼女は、仮面を死者の顔のそばに置き、ゆっくりと後ずさりして血だまりに濡れた死体から彼女自身の身体を離す。
 彼女の眼が、サウザンドアイズの姿をとらえた。五十歳は優に超えていそうな男だが、その身体には力強さが漲っている。その髪には白い物が混じり始めている。
 探偵の知性にあふれた優しげな眼を見て、彼女はドキリ、とした。
「この男は、刃物で心臓を刺されての即死だろうか」と、サウザンドアイズ。
「ええ、そうだと思いますわ。あるいは毒物による即死かも・・・」
 と、フランシス。
 毒物による即死の可能性・・・ 凶器に毒物が塗られていた可能性。その凶器は、なぜか死体の周囲に見当たらない。
 名探偵はフランシスの眼を覗き込んだ。「私の名はサウザンドアイズ・グラスランド。探偵です」それは、実に思慮深い響きを持つ低い声だった。驚きと尊敬の表情が彼女の顔に浮かぶ。「そのお名前はよく存じています。私はフランシスといいます。フランシス・L・ロビンズです」
 その時、二人の背後から背の高い男が声を掛けてきた。
「有名な探偵さんですね。『千の眼を持つかの如く』、幾つもの難事件を解決してみせた私立探偵サウザンドアイズ。失礼、私の名はミラージュ・R・ドリームランド。職業は魔術師です。そしてこちらは私の愛する妻・・・」
 しかし、サウザンドアイズは、彼の相手をしていなかった。彼に断りの言葉を投げかけて、探偵はすぐさま行動に移る。舞台俳優たちの方にクルッ、と身体を向け、その位置から動かないようにと、彼らに指示を出した。彼は、彼らの位置を瞬時に記憶してから、更に、彼らに《停電から照明が回復した時にそれぞれがいた位置》を思い出してそこに戻るようにと、指示を出した。彼は、彼らの位置を瞬時に記憶する。強靭な記憶力を持つ彼は、次に的確な指示を出す。
「幕を下ろす方法は? すぐに幕を下ろしてください!」
 誰かが彼の声に応え、すぐに幕を下ろすといった。
 観客席のざわめきは少しずつ、確実に増していた。サウザンドアイズは、フランシスに、観客に対して帰らないようにと強く指示を出してくれと頼んだ。
「私はすぐに警察を呼ばなければいけない。君は、この劇の出演俳優や裏方など、あらゆる関係者たちを足止めしてくれたまえ」
 フランシスは、すぐに指示に従った。観客の中には、不平をもらす者もいたが、勝手に帰ろうとする者は、誰もいない様子だった。サウザンドアイズが、舞台の端から飛び降りて、観客席の中央通路を走っていく。フランシスは、俳優と裏方を集めて、ほかに劇の関係者はいないのか、と尋ねた。裏方のほかに、表方と呼ばれる劇の関係者たちがいるという。彼女は、できうる限り全員を呼び集め、どこか大きな適切な部屋に押し込めておくのが良さそうだと考えた。
 舞台の幕はとっくに下りていた。フランシスは、舞台の東側、西側にある二つの舞台袖室(舞台袖の部屋)からそれぞれの通路に出る扉の鍵(二つ)を手に入れて施錠するため、小道具方(舞台で使う小道具をつくる人、取り扱う人)のグレゴリー・F・メタルを警備室に向かわせた。
 劇場室を出たサウザンドアイズは、警備室を探して警備員たちに会い、殺人事件が発生したらしい旨を告げた。そして彼は、自分が探偵である旨を明かしてから、すぐに警察に通報するように指示した。
 その答えは、「電話がつながらない」というものだった。
(*注意 これは、携帯電話の類は発明されていない世界の物語だ。)
「これは非常事態です。あなた方の誰か一人は、すぐに駐在所まで行き、警官に事情を告げ、この公会堂まで急行してもらってください」
 一人の警備員が出て行くと、サウザンドアイズは、残りのもう一人の警備員に対して幾つかの指示を出した。
 これは殺人事件だ。誰も彼もが忙しくなるだろう。
 名探偵サウザンドアイズは、気を引き締めた。

 第二章 不可思議な不可能犯罪

 *同日(金曜)の午前十時半頃
 第一の事件は、事件発生直後はそれほど怪奇な事件とは思われなかった。しかし警察による捜査が進展するにつれ、不可思議な難題が発生してきたのだ。
 セバスティアヌス・O・ショア警部ら、警察の捜査部隊が《椿と山羊》公会堂に到着したのは、午前十時半頃だった。公会堂の正門には、制服を来た警備員が見張りに立っていた。色黒な顔にコールマン髭を生やしている男だ。サウザンドアイズ探偵からの指示を受け、誰も正門から出さないように自分は足止めをしていたと、その警備員はいう。その名はピックル・スカイラー。
 警察を呼びに来た警備員マランカ・A・フィルダの案内により、捜査部隊は、すぐに殺人現場の舞台につながる舞台袖の部屋(舞台袖室)に着いた。しかしその扉は施錠されている。
「これは西側の舞台袖の一室です。東側の方もおそらく誰かの手で施錠されているでしょう。この部屋の鍵を取ってきます」
 マランカが走っていく。警備室に向かうのだろう。
「待て、マランカ・フィルダ! 警備室からアナウンスして、事件関係者に呼びかけて、この場所まで集まるように強く指示を出してくれ。警察が事件を捜査するから必要だというんだ」と、セバスティアヌス。
「わかりました。鍵も持ってきますよ」と、マランカ。
 十分後、捜査部隊は、三つの班に分かれて事件捜査に当たっていた。殺人現場の舞台を捜査するA班と、関係者に対して事情聴取を行うB班、その他の人々(主に観劇に来た客たち)を足止めして事情聴取を行うC班だ。
 A班にはセバスティアヌスとスティーヴ・A・ライオット刑事、検死医のピラミッド・C・リッジウェイ、指紋係のジャン・グリアンカなどがいた。彼らは、舞台を手分けして調べている。『現場の写真撮影』はすでに終わっていた。
 A班の捜査員のうち数人は、その手に劇の有料パンフレットを持っていた。そこには、劇の題名や物語のあらずじや俳優の配役などが載っていた。
「自らの血の池に浮かぶ《地獄の審判者》か」
 セバスティアヌスが、俯せでやや横向きの死体を眺めながら吐息をつく。被害者はファーガス・D・タイガという美術商で、アマチュア劇団『フェアリーテイル・オブ・ミラージュ(蜃気楼の童話)』に半年前から所属していた。彼の年齢は三十代くらい、ほの暗い孤独の影がさす男性で、身寄りは誰もいないらしく、彼の身元確認は、劇団長のミラージュとその妻キャンパニュラがやった。
 ≪地獄の審判者≫を演じていた被害者が座っていた大椅子は、舞台の下手(観客席から見て舞台の左側スペース)の奥の方にあった。大椅子の正面からみて右斜め前方に被害者の死体、その死体の下やその付近には、草原の舞台セットと悪夢のように不気味に広がる血だまりが見えた。
「死亡推定時刻は、充分に幅を取ると午前九時半から十時半というところだ。停電があった時刻が午前十時頃だったね?」
 と、さっきからファーガスの死体を調べているピラミッド医師。演劇中の物語は、季節は真冬という設定だった。ゆえに死者も真冬の装いだ。ふかふか生地のホンブルグ帽、厚手の人工毛皮コートを着て、首には大型のマフラーを巻き、両手には厚手の人工毛皮の手袋をはめていた。コートは黒、マフラーは濃いグレー、手袋は茶色。全てを《暗い地獄》を連想させる色合いで統一してある。
 男の死体は、コートの下にはセーターを着ている。人工毛皮の房で飾られた漆黒のズボンに焦げ茶色の雪靴。
「被害者は、刃物の一撃で即死だと思います。例え、被害者が動けたとしても数秒くらいでしょう。刃物は正確に心臓を突き刺しています。その後で、犯人はその凶器を引き抜いた。同時に大量に出血したはずです」
 と、ピラミッド医師。
 その凶器は短剣(ダガー)であり、別の場所から発見されている。
「右手に長剣の柄を握っている。普通は刺された時に、剣を取り落とすものではないのかね?」と、セバスティアヌス。         
 「確かに不自然ですね」と、サウザンドアイズは彼に同意した。彼は、警察からの要請で、捜査部隊に合流したのだ。セバスティアヌスは、死体の左手を見た。
「ほう、この死体は、左手には小さな笛のような物を握っている」
「そう、それは笛ですよ。私はどこかで見掛けた事があります」と、ピラミッド。
 サウザンドアイズが「それは鳥笛ですよ」と低い声を響かせて教えた。「私は、たくさんの小鳥たちが舞台上を飛び舞う光景を観ました。被害者の《地獄の審判者》は、その鳥笛を吹き鳴らして小鳥たちを操っていたのでしょう。私は、最初は《地獄の審判者》は口笛を吹いているのかと思いましたが、途中で鳥笛に違いない、と思い当たりました」
 セバスティアヌスとピラミッドは、ほう、と眼をまん丸にした。
セバスティアヌス「なるほど! 鳥笛とは気が付きませんでしたよ」
 「私もそのシーンを、ぜひ自分の眼で観たかった」と、ピラミッドは感嘆する。
 セバスティアヌスは、死者の長剣を右手で取り、両手で支え持った。
「この剣はずっしりと重いですな。しかし舞台用の剣だから、刃は見せ掛けだけ。大根も切れやしない」
 と、セバスティアヌスは、やや残念そうな表情を作ってみせた。
「大根役者なら、それでスッパリと斬れそうですわ」
 サウザンドアイズの背後から女性の声。元女刑事のフランシスも、事件捜査に参加する許可を得ていた。同時に彼女は、被害者の死体の第一発見者ともいえるため、一応は容疑者でもある。微妙な立場だが、事件発生時の状況からみて、彼女が殺人犯である可能性はゼロに等しいと、セバスティアヌスから判断されていた。 
 彼らは舞台を見まわした。被害者が座っていた大きな革張りの椅子は、舞台の下手        (観客席から見て舞台の左側スペース)の奥の方にある。男の死体は左肩を上にしていた。死体は横向きから上体をねじらせて俯せにした格好で、その両脚は、膝を少し曲げていた。大椅子の座面が幅広で、左右の肘掛けが低めなので、男は刺された後で椅子からずり落ちたのだろう。
 草原の舞台セットは舞台の7割ほどをおおい尽くしている。上手(観客席から見て舞台の右側スペース)には城があり、数本の高木がある。豪華な舞台セットだ。
「高木の高さは三メートルほどだ。殺人が行われた停電の時、その高木の上に役者が一人いた。さて、どう思いますか?」
 と、セバスティアヌス。その役者の名はムサシ・ハギワラ、東洋人で、舞台の上では東洋忍者および剣士だ。彼は、悪役のロンバーンズ侯爵と剣を交える役だ。
「被害者は、その左胸に身体とは垂直に、つまり、地面とはほとんど水平の角度で短剣(ダガー)を突き刺された。仮に高木の上からその役者が短剣を投げつけて被害者の左胸を刺したとしても、角度的に無理だよ」
 と、ピラミッドが右手を振り振りしていう。「それにその男には、短剣を自分の手もとに戻して別の木のうろに隠す事も不可能だ」
 凶器の短剣(ダガー)は、別の木の小さなうろの中から発見されていた。うろの下端の高さは一メートル二十センチほど。
「・・・忍者俳優のいた高木の根元からその木の根元までは、およそ一メートル離れていますわ」と、フランシス。 
「忍者のいた高木のうろには何も無かったのですか?」
 サウザンドアイズの質問に、セバスティアヌスが首を横に振って否定する。舞台にある木という木は、全て綿密に捜査されていた。
「その忍者野郎は、長い鎖鎌を持っていたんでしょう? そいつをうまく使って短剣を被害者の胸に突き刺したんじゃないですか?」と、スティーヴ刑事。       
 鎖鎌といっても刃は何も切れない。その武器は、重量はかなりのものだ。
「短剣を鎖鎌の先に結びつけたとしても、被害者の前で剣舞を舞っていた魔術師(ミラージュ)が邪魔で、被害者の左胸に短剣を命中させるのは無理ですよ」
 と、サウザンドアイズ。
 被害者が座っていた大椅子の位置は、下手(観客席から見て舞台の左側スペース)の奥の方だ。大椅子から一メートルほど離れた位置には魔女の石像(実際には石像に見せ掛けた木像)があり、そのみぞおちから背中を長剣に刺し貫かれている。像の位置は、舞台の中央から奥の方向に一メートル三十センチほど。その木像は中が空洞になっている。ただし、それはごく狭い空洞で、例え子供でさえ、その中に隠れる事はできない。
 フランシスがその長剣を引き抜いていいかを尋ね、セバスティアヌスは許可を出した。彼女がそれを引き抜くと、それはずっしりと重い本物の長剣だった。演劇で使われたほかの長剣とは違い、その刃は鋭く研ぎ澄まされている。
「魔女スライザロウリアの立像を、王女の従者でかつ退魔師の女が剣で刺し貫くシーンがある。王女の名はイザベル。マギ・ステライア帝国の第一王女か。退魔師の方は、マリゴウルドという名だ・・・」
 と、セバスティアヌス。像のみぞおちにあいた突き通しの剣の創を見ながら、彼は
眼を瞬かせている。
「本当におもしろそうな劇ですわ。ところで、この劇の物語の内容や、俳優同士の人間関係がこの殺人事件と関係がある可能性はないかしら?」
 フランシスは、長剣を魔女像に慎重に、元通りに突き通しながらいった。
「草原の舞台セットは、丈の高い草木もあるが、犯人が隠れるのは無理だ。殺人が可能だったようにみえるのは、魔術師ミラージュだけだ。しかしその彼にしても、犯行に使った短剣をわずか数秒でかなり離れた木のうろに隠すのは不可能なはずだ。いったいどういう事だ? 君たちは何かうまい方法を思いつくかね?」
 セバスティアヌスは、一同の顔を見渡してきいた。
「おまけに血痕の問題がありますからね。きざの色男野郎は、その衣服やマントにほんのわずかばかりの血痕も付着させていませんでした。魔術でパッ、と消したわけではないでしょうからね」
 と、いまいましげにスティーヴが言い放つ。
 先程、ミラージュとその妻は、ルミノール反応試験を受けたが、反応は全く無し。その両手や衣服のどこにも血液は付着していない事がわかっていた。
「暗闇の問題も残っています。あの停電で、舞台は完全な闇に包まれていました。あれほどの深い暗黒の中で、犯人はどんな方法を使って被害者の心臓を正確に刺したのでしょうか・・・」
 サウザンドアイズが補足する。この殺人事件には、濃い霧のように不可解な謎が存在するのだ。
 一同は、お城の舞台セットの足もとに向かう。お城の外壁は、実は、厚いベニヤ板で造られていた。観客席から観れば、そのお城はそこそこ華麗な外観だが、内部から見ると巨大な張りぼてだ。舞台の床面からお城の屋上まで、段梯子が斜めに掛けられて渡してある。
 お城の屋上には、約一メートル幅の通路が造られていた。それ以外の床スペースは無し。通路に手すりはあるが、例えば、地震が起きて手すりが壊れたりしたら、通路にいる役者には危険があるようだ。通路の先には≪狭間胸壁≫がある。それは、凹凸のある低い城壁だ。
「停電の時には、この城には誰もいなかった。梯子にも、屋上の通路にも」
 セバスティアヌスが事実を確認するようにいった。仮に誰かが屋上の通路に隠れたとしても、手すりの支柱と支柱の間に間隔が空いているため、下からよく見えてしまう。また、段梯子も、一段一段に間隔が空いているので同じだ。
 舞台の奥の壁面には、普段は巨大なホリゾント幕が掛かっているが、この問題の劇ではその幕は全て取り払われていた。舞台の左右の袖には、それぞれにかすみ幕、脇幕、袖幕が掛かっていた。
「仮に犯人が脇幕や袖幕の陰に隠れていたのだとしても、被害者から一メートル半以上の距離が離れていたはずですね。被害者に短剣が刺さった角度の点で考えても、そこに犯人はいなかったでしょう」
 と、サウザンドアイズ。       
 かすみ幕は非常に高い位置にある。もし脇幕や袖幕の陰に誰かが隠れられるとしたら、小さな子供がせいぜいだろう。
 セバスティアヌスは、舞台を見まわしてからいう。
「さて、これ以上の長居は、時間の浪費にしかならなさそうだ。そろそろ我々は、ここの捜査を切り上げて、B班に合流しようか・・・」 

 B班の刑事たちは、事件に深い関わりがあると思われる人々を集め、公会堂の第二会議室に誘導し、その住所、氏名、性別、年齢、職業などを記録する作業や、軽い身体検査、ルミノール反応のテストなどを行っていた。(女の人達に対する身体検査を実施するために、二人の女性刑事もそこに呼ばれていた。)第二会議室は、演劇用の楽屋から近い。公会堂の一階にあり、平日なので利用者は誰もいなかった。
「警部殿、捜査の首尾はいかがでしたでしょうか?」
 B班班長のベテラン刑事、ハリスン・ロックハート警部補は、セバスティアヌスに大げさな身振りで敬礼してみせた。時々、彼は、身振り手振りも交えて≪お笑い芸≫をやるのだ。
「この事件は思ったよりも難しい。私の見た限り、誰にもあの犯行はなしえなかったように思えるな・・・」
 セバスティアヌスは、「一人ずつ事情聴取をしていこう」といった。
 聴取室に選ばれたのは、 会議室から少し離れた談話室だった。まずは最も容疑が濃いと思われる者。魔術師ミラージュ・R・ドリームランドが呼ばれた。彼は、有名なマジシャンであり、魔術の舞台の上では魔法使いさながらだ。
 まだ若い魔術師だ。来年で三十歳になるという。背が高く、精悍で筋肉隆々、それでいて身体は細い。二枚目俳優のマスク、まつげは長く、青い眼は宝石のように輝いている。鮮かな金髪を肩まで流している。
 軽いあいさつと自己紹介が交わされる。セバスティアヌスは、ミラージュの職歴、趣味、恋愛や結婚の関係、交友関係について彼に質問する。

 《職歴》幼い頃から魔術師を志し、十歳で世界的に有名な魔術師に弟子入りして、マジックの修行に入る。十八歳でプロ並みの魔術師となり、プロの舞台にも立つ。
 彼は、十八歳で演劇にも興味を示し、アマチュア劇団で役者の腕を磨く。二十五歳で自分のアマチュア劇団を創設。その劇団長となる。
 《趣味》魔術(マジック)の研究、鑑賞。演劇の研究と練習、鑑賞。映画や小説、芸術全般にも興味を持つ。
 《恋愛や結婚》二十歳でキャンパニュラと結婚。浮気は決してしない。
 《家族》彼と妻との二人暮らし。時々、親や義理の親を訪ねる。
 《交友関係》魔術師の彼は忙しい身であり、人付き合いはごく浅くしかしない。彼は、世界中に魔術師の友人がいる。彼自身の創設した劇団の劇団員たちとも軽い付き合いはある。 
       
「この公会堂であなたの劇団はよく演劇の上演をやっているのですか?」
 と、セバスティアヌス。
「ええ、二年前からやっています。私はこの地元が好きですからね」
「ファーガスの職業は美術商でしたね?」
「ええ、私はそうきいています。もっとも彼の店は、ここから非常に遠く離れた場所にありますから、劇団員でそこに行った者は、多分、誰もいないと思いますが」
「ファーガスは経済的にはどうでしたか?」
「私はよく知りませんが、彼が誰かに借金をしたという類の話は、私の耳に入っていません」
「では、ファーガスとあなたとのご関係を詳しくうかがいましょう」
 丁寧な語調でセバスティアヌスは尋ねた。
「と、いわれましても、私とファーガスとは、ほんの知り合いに過ぎない間柄でしたからね。ほんの時々は、一緒にお酒やビールを飲みに行った経験はありますが、彼と私とは、どうにも感性が合わなかったんですよ」
「ファーガスはどんな人物でしたか? 彼が良く思わない人物はいましたか?」
「彼は秘密主義者でしたよ。いろいろな物事を彼は密かに隠していたように、私には感じられました。人には内緒で、彼は何か大きな仕事をやっているのだ、とでもいいたげな態度でした。その件で、彼は非常に高いプライドを持っているように見受けられました。彼はよく、人を笑いぐさにして嘲笑する悪意ある冗談を飛ばしていましたが、彼が他人を恨むとか憎むとかいう事は、私の記憶している限りですが、彼の心のうちには無かったと思います」
「ファーガスが笑いぐさにしていた人物ですか。それは誰でしたか?」
「小道具方のグレゴリー・メタルと俳優のムサシ・ハギワラでした」
「グレゴリーは今日はここに来ていますか?」
「はい。演劇の上演中は、ずっと西側の舞台袖室にいたはずですよ。彼は、そこに小説や雑誌を持ち込んでいます。時々、舞台を覗き込みもします」
「西側というのは下手ですね? 停電の時はグレゴリーはどこにいましたか?」
 観客席からみて舞台は北側にある。舞台の東側が上手、西側が下手だ。
「舞台上には彼はいませんでした。それに、両袖の脇幕のあたりにもいませんでした。西舞台袖室の奥の方にいたのでしょう」
「演劇の途中、グレゴリーを見掛けましたか?」
「舞台セットの入れ替えがあった時に見ています。私が左袖から舞台を退場した時にも、彼は西舞台袖室にいました」
「グレゴリーとファーガスが言い争いをした事は?」
「いいえ。グレゴリーはファーガスを睨みつける程度でしたよ。彼は、ファーガスとは口もききたくないという感じでした」
「では次に、ファーガスとムサシ・ハギワラの間のあつれきについて質問します。その二人が言い争いをするような事はありませんでしたか?」
「ありましたよ。ムサシは、時にはカッ、と頭に血がのぼるタイプでしたが、二人が殴り合いになったという話はきいた事がありません。ついでに、ムサシは威風堂々とした男で、計画的に殺人を犯すような真似は決してしないと私は思います」
「では、ここで一旦、演劇の物語の内容について話していただきましょう。さて、演目は『ロンバーンズ侯爵と運命改変の魔女』ですね。運命改変の魔女とは、魔女スライザロウリアの事ですか?」
 と、セバスティアヌスは質問の矛先を転じてみた。
 「いいでしょう」と、魔術師は、その口もとに謎めいた微笑を浮かべた・・・ 彼は、神秘的で魅惑的な声で、劇の物語を語りはじめる。暴虐な封建領主とその勇敢な姪、それに加え、魔女と聖女が登場する物語を・・・

 第三章 前衛演劇『ロンバーンズ侯爵と運命改変の魔女』

 今から数十年前の物語。全世界でも十指に入るといわれる驚異的な高さを誇る山脈、スライザヴァリア山脈の二番目の最高峰、スライザヴァロリア火山は、頂上の巨大な火口から朦々たる黒煙を吐く活火山だ。その中腹と山腰(さんよう)の中間の高度に、多くの謎に包まれた国、マギ・ステライア帝国があった。それは、地形的に孤立した小さな国であり、戦争や内乱には縁の無い平和な国だった。しかしその内部には、深い闇をも抱えていた。
 マギ・ステライア帝国の南東に接してグリーンライズ王国があり、その諸侯の一人がロンバーンズ侯爵だった。ロンバーンズは、マギ・ステライア帝国の有力貴族と血縁を結ぶ目的で、自らの姪のルクレシア・モッティをグラハム家の次男イーガリー・ダン・グラハムの許嫁とした。そのためにルクレシアは、侍女エリザベス・キャンドル・スタントと共に、マギ・ステライア帝国に自らのお披露目をしに行くようにとロンバーンズ伯父から命ぜられる。彼女の内心は怒り心頭だ。政略結婚などは、彼女には我慢ならぬ≪尊厳と自由に対する侵害≫にほかならなかった。
「我らが宮殿にようこそ、ルクレシア嬢。これは勝気な瞳をしておいでになる。さながら森を馬で駆け抜ける勇敢な狩人ですね」
 豪勢な宮殿の応接室でイーガリーはルクレシアを歓待する。そこには、イーガリーの父兄や親せきに加え、大勢の貴族や従者などが顔をそろえていた。
 ルクレシアはイーガリーが気に入らない。聡明で勇敢な彼女は、物怖じせずに彼に次々と難しい知識を要する話題を振っていく。ルクレシアの知性と豊富な知識の前に、彼は、沈黙するしかない人形の状態に追いやられてしまう。
「どうも私達、相性がよろしくありませんわね。この婚約は、双方にとって不幸の原因となるだけではないでしょうか?」
 ルクレシアは頃合いを見計らい、慇懃無礼な態度で婚約解消を相手に提案する。その場の空気に激震が走るかのようだ。周囲の人々に、ざわざわと、大波のようにざわめきがうねり渡る。
「おやおや、これはしつけがなっていないお嬢さんだ。おい、イーガリー。君は、実に許しがたい手ひどい侮辱を受けているぞ。このお嬢さんの無礼な振舞いを、まさかこのまま済ますわけにはいくまい。さて、どうしてやる気だ?」
 イーガリーの兄、グラハム家の長男フェラン・ダン・グラハムが、実に陰険そうな微笑を浮かべていった。害獣を蔑むようにルクレシアの顔を眺める、そのぞっとする眼光。
「君は、自分の意志に反して物事を強制されるのが我慢ならない性質なのだね。でも、この場は聞き分けを良くしないといけないよ。君は、まさか自分の伯父上の顔に泥を塗るわけにはいかぬだろう?」
 イーガリーは、ルクレシアに教え諭すような口調でいった。
「なぜ、女性には自分の人生のパートナーを決める権利が無いのでしょう。動物でさえ、雌は自分の意志で一生のパートナーを選びますわ!」
 政略結婚に対する激しい嫌悪感や怒りが、ルクレシアを勇敢な≪争いの女神≫さながらに変えていた。その時代において表向きは、政略結婚は『恋愛の自由』に反する非常識とされていたが、実質的には、世界中の多くの国や地域で女性は政略結婚の道具とされ続けていた。

「この劇の主要テーマの一つに、昔から世界中の隅から隅までに根強く残り続ける女性差別の悪習と、それに抗う女達の戦いがあります」
 ミラージュは微笑した。けがれを知らぬ少年のような微笑だ。フランシスは、魔術師の顔に思わず見とれているようだ。
「演劇の解釈を、原作からかなり変更しているのではありませんか?」
 フランシスの背後から、名探偵サウザンドアイズが尋ねた。
「それはまあ、原作とはかなり筋書を変えてありますよ。原作となるマギ・ステライア帝国の伝説が記された本を私は持っています。希少価値のある本です。普通の図書館には置かれていませんね」
「火山噴火で滅びた謎の帝国ですわ。一説には、帝国の貴族や地主や商人は大麻や麻薬を栽培して売りさばき、その莫大な利益により外国の宝石類や金、銀、プラチナなどを大量に買い込んでいたとか」
 と、フランシス。マギ・ステライア帝国の歴史的存在については、ほとんどの人々が知らない。その国の歴史資料が、わずかだが確かに残っているのだが。
 ミラージュは、再び帝国の物語を柔かな口調で紡ぎ出していく。

 傲慢な貴族の御曹司フェランに対し、ルクレシアは、一歩たりとも退かずに言葉で応戦する。その真摯で強靭な言葉は、その場にいたたくさんの女たちの心を揺り動かす。(劇中では、女たちの内心の心が叫び声となって鳴り響く!)
 イーガリーもまた、その心を激しく揺さぶられ、ルクレシアの前に片膝をついてその右手を恭しく支え持つ。
「ルクレシア、例えいかなる魔物でも、例え魔神でさえも、君の気高い魂を屈服させる事はできないだろう。君は、ぼくが今まで一度たりとも見た覚えが無いほどの、剛強な鋼の意志の持主だ。兄上、もう彼女を侮辱するのはおやめください。ぼくは、彼女の婚約破棄を望む意志を尊重する事にします。でも、ああルクレシア、いつかまた君の力強く輝く瞳を見てみたいものですよ。どうか、私の顔と名前を忘れずにいてください、ルクレシア・・・」
 ルクレシアとその侍女エリザベスは、故郷の領地に悠々と帰国する。しかしそこに待ち受けていたものは、怒りに燃えたロンバーンズ侯爵による苛烈な制裁だった。ルクレシアは、城の地下牢獄に無期限に幽閉されてしまう。埃まみれの暗い牢獄、粗末な食事、ごわごわの古布団と、ルクレシアの生活は急変する。しかしルクレシアの態度は毅然としたものだ。彼女は、後悔や反省の色を微塵も見せない。
 エリザベスは、ルクレシアを解放するために大勢の民衆に訴えかけるが、赤茶色に錆びついた旧弊な鉄鎖の掟に縛られた人々は、誰も動こうとはしない。残酷な暴君、ロンバーンズ侯爵の報復を恐れて動けない人々もいた。
 ロンバーンズは、すぐにエリザベスをも衛兵に逮捕させ、ルクレシアと同じく城の地下の底、寒々とした陰鬱な地下牢獄の一室に幽閉する。
 ルクレシアとエリザベスは、再会を祝い、抱き合い、歌を斉唱する。それは、ある女詩人が女性差別からの解放の想いを込めて綴った詩を歌詞とする歌だ。
 心密かにルクレシアに恋慕の情を寄せる若い騎士オルダン・C・シュミットは、真夜中に地下牢獄をめざして城の地下階段を降りていく。看守長に見付かった彼は、その看守長を剣で斬り殺してしまう。自らの行動に深いショックを受け、深く嘆き悲しみながらも、彼は階段を降りていく。地下牢獄のルクレシアの牢獄を見張る不寝番の看守二人を前に、彼は、沈黙を守れば殺さないと告げる。眼をさましたルクレシアは、オルダンの血塗られた鎧を眼にする。 
「ああ、その血にまみれた姿は・・・ あなたは、誰かを斬り殺してきたのですね。おそらく私をこの地下牢獄から救い出すために。
 私は、あなたに恐ろしい殺人の罪を犯させた。なんという悲劇でしょう。あまりの哀しみに、この胸が張り裂けそうです。でも、私は、この牢獄を脱して私自身の手に自由を取り戻し、強く生きていかなければならない!」
 牢獄の扉を開きながら、ルクレシアはむせび泣く。オルダンは、片膝をついて彼女の右手を自らの両手で優しく包み込み、「自分はいつまでも、どこまでも貴女を守り続けましょう」と、誓いを立てる。
 階段を上がり、夜闇と上弦の月の光に包まれる城外の野原にルクレシア、エリザベス、オルダンは出てゆく。だが、そこに、銀の飾りを散らす黒いローブをまとう恐るべき魔女が現れる。
「破滅の運命を背負いし、いとも哀れな者どもよ。汝らはこの私を知っているか。私こそは、神の摂理を破壊する者、自然の摂理をいびつにねじ曲げ、不可能を可能とする魔法使いスライザロウリアだ。さて、聴くがよい。汝らを待つのは凄絶な破滅の運命だ。今夜から九日のうちに三人ともが凄惨な死を迎えるだろう。
 しかし、私に汝らの魂を売り渡すならば、その過酷な運命を私が変えてやってもいい。汝らは甘美な幸せに満たされるであろう。そしてその生涯を豊かに、至福に包まれながら過ごせるであろう」
 (劇中では、魔女の背後からドライアイスの煙を流し出す。舞台照明は暗いが、魔女の衣装には蛍光塗料が塗られて青白く光り輝いている。)
 魔女の誘惑を、ルクレシアは即座にはねつける。
「おまえが私の申し出を断るのも、この私の予想通りだ。さあ、愉しみだ。汝らは、生き地獄に落ちてからたっぷりと後悔するがいい!」
 と、青白く光輝く魔女は、口角をつりあげて艶やかに微笑する。
「もし、おまえの気が変われば、いつでも私の名前を呼ぶがいい。魔女の名を決して忘れるな。スライザロウリアだ」
 魔女はその姿を搔き消した。(劇中ではドライアイスの煙を流し出す。)
 オルダンは自分の馬に乗り、三人は夜闇の中を逃走し始める。するとそこに、オルダンの友、エディスが馬に乗って駆け付けてきた。
「オルダン! 君ってやつは・・・本当に地下牢獄に忍び込んだのか! おい、血まみれの格好じゃないか! まずは何よりも、君には着替えが必要だな!」
「我が忠実な友、エディスよ! ルクレシア様をお守りしてくれ!」
「俺の親友の馬小屋を借りよう! あそこなら水も着替えもあるからな」
 ルクレシアがオルダンの馬に乗り、エリザベスはエディズの馬に乗った。(劇中では、ここで彼らは退場する。≪暗転≫(舞台照明を暗くする)の間に舞台セットが大幅に入れ替えられる。一気に≪ロンバーンズ侯爵に叛旗を翻す者どもによる集会の場面≫にまで物語が移行する。)
「ロンバーンズ侯爵は、兄弟たちを次々に謀略にかけ、破滅させた悪魔の如き卑劣漢だ。ルクレシア様も、あとひと月も経たないうちに、鬼侯爵の配下の悪党どもにより、殺されるような目に遭っていただろう」
 エディスの言葉に、まわりの大勢の仲間たちが首肯する。
「圧政、重税、批判者に対する監視のひどさ、卑劣な分断統治、汚いスパイ工作、民衆の自由を認めない徹底的な押さえつけ・・・ たくさんの民衆も含め、数え切れぬ者たちの怒りがすでに頂点に達している。そして今、我々の眼前には、聡明なるルクレシア様がおられるぞ! 軍の内部にも、ロンバーンズ侯爵を蛇蝎の如くに嫌う者が大勢いる! 時は満ちた! ロンバーンズの鬼侯爵め! 冷酷非道のならずもの領主め! 貴様の虚栄が終末を告げる時が近付いている!」
 男の一人が、ビールのジョッキを高々と差し上げてそういった! 集会場の大勢が同調する! その集会には、男性だけではなく大勢の女性も参加していた。多くの女性は、暴君の圧政に反対し、革命にさえ参加する意志を示していた。
 主に男性たちが、アルコール類をたっぷりと飲んで気を大きくしている。赤ら顔の男たちの哄笑が幾つも重なり合う。
「打倒ロンバーンズ! 打倒ロンバーンズ! 打倒ロンバーンズ!・・・」
 一斉に人々が連呼する轟き渡る声。革命前夜か・・・
 その日の深夜、煌々と灯りを灯す地下の隠れ家の一室で、ルクレシアは、エリザベスを危険な叛乱に巻き込まないように、一時的に彼女をその故郷に帰そうとする。エリザベスは、初めはその命令に異を唱えるが、ルクレシアに熱心に説得されて、二人はしばらく別れる事になる。二人は、ギュッ、と抱擁を交わす。ルクレシアは静かに泣き、エリザベスは声をあげて号泣する。
(劇中では舞台が《暗転》。舞台セットが入れ替えられる。照明は《夜の暗さ》に調節される。劇の場面は、叛乱者たちがルクレシアを指導者として祭り上げ、ロンバーンズ侯爵の城に夜襲を掛ける場面にまで移行する。)
 叛乱者たちの群れが、ロンバーンズ侯爵の城に雪崩れ込んでいく。夜闇に乗じた奇襲は大成功を収める。先陣を切るオルダンは、凄まじい速さで城の階段を駆け上がる。そして彼は、その行く手に立ちはだかる衛兵たちを、鮮かな剣術、剣捌きで次々と倒していく。彼は、自らの手で人命を奪う事を、もはや躊躇しなかった。これは、自分の愛する女を守るために避けられない戦争なのだ! 眼をそむけたくなるほど残酷で無慈悲だが、戦争とはそういうものだ!
(劇中では、役者の人数に限りがある。舞台の城に階段が付属していないので、そこでの戦いは省略される。とはいえ、舞台に入り乱れる大人数の役者たちが繰り広げる鮮かで壮麗な殺陣は、観劇の客たちを魅了する最大の見せ場の一つだ。)
 
「暗転から場面は変わります。城の酒類貯蔵室で、ルクレシアはロンバーンズ侯爵と決闘します。彼女は、たゆまず剣の技量を磨いてきたため、ロンバーンズと互いに一歩も譲らぬ好勝負を繰り広げ、最後には彼を打ち負かします。彼は、長剣を脇に捨てて逃走し、その背後から兵士により狙って射られた火矢を左肩にくらい、火炎に包まれながら退場します」
 ミラージュは、両手の身振り手振りを交えて物語った。火矢などは、本物の火を使わずに赤色ライトで代用するという。
「劇中で、オルダンは十人以上の敵を倒していましたわ」と、フランシス。
「フランシス、横道に話をそらさないでください」と、サウザンドアイズ。
「ばかばかしい芝居ですな! どいつもこいつも、芝居に剣豪が出てくりゃあ、条件反射的に拍手喝采するようで。いやはや、日頃からよっぽど腹の底に欲求不満をためこんでいるんでしょうな!」と、スティーヴ刑事。
「深傷を負ったロンバーンズ侯爵の前に魔女スライザロウリアが現れ、その誘惑の言葉に、彼は、自らの魂を魔女に差し出してしまう。そのため、彼は不死身の化け物となる。こうなるともう立派なホラー劇ですな」  
 ハリスン警部補が、有料パンフレットの劇の筋書を見ながらいう。
 セバスティアヌスは、道草をくわずにミラージュの話を聴こうといった。

 城は、ルクレシアの率いる叛乱軍により占領された。彼女は、ロンバーンズ侯爵に替わり、領地を支配する諸侯となる事を宣言する。新しい領主の誕生を歓迎する歓呼の声が城内に響き渡る。(劇中では舞台が暗転し、場面が替わる。夕方の草原をルクレシアが散策する。彼女を護衛する近衛兵たちも登場する。)
 夕陽が草原の風景を薄いオレンジに染めている。突如として、死亡したはずのロンバーンズがルクレシアの前に姿を現す。化け物のように変わり果てた姿の彼は、腰に佩いた長剣を抜く。彼女を護衛するため、五人の剣士がロンバーンズに斬りかかるが、次々に返り討ちにされていく。哄笑を轟かすロンバーンズは、その身に剣による幾つもの外傷を受けても、その表情を少しも変えずにすぐさま反撃した。 
 ルクレシアの命運が尽きたと思われた時、そこにオルダンが駆け付けてきた。ルクレシアと共闘する彼は、ロンバーンズの襲撃を押し返す。激烈な戦闘の末、彼とロンバーンズは相討ちとなり、ロンバーンズは踵を返して逃走する。その直後、草原に右膝をついたオルダンの心臓のあたりを激痛が襲う。そこに、剣による外傷は全く見当たらないが、彼の心臓の鼓動が恐ろしく脈動している。
「ルクレシア、私は死ぬだろう。私は大きな過ちを、決して許されぬ罪を犯した。ある時、私は、あの魔女スライザロウリアを召喚するためにその名を呼び、現れた魔女に懇願し、この私自身の魂を売り渡して契約を交わしたのだ。
 魔女は、私に幸福な人生を与えた。ただし、君が死ぬ時にその運命を変えてはならないと、そう魔女はいった。もし君の運命を変えようとすれば、君の替わりに私が命を落とすだろうと、魔女は笑いながら警告した。
 あれは、恐るべき本物の魔女だ。あの魔女の予言通りになったのだから。でも、決して私は後悔はしない。ルクレシア、君の命をこの手で無事に救えたのだから。
 もう君の運命は変わったのだ! 魔女の予言通りに君が死ぬ恐れは無い。最後に、君に告白しよう。私は、君の事をずっと以前から愛していた。君が帝国の貴族と婚約させられた時は、私は、この手に君をさらって遠い地に逃げようかと真剣に思い悩んだものだ。・・・ああ、もう私の命は尽きかけている。どうかルクレシア、私の事を忘れないでほしい・・・」
 それがオルダンの遺言となった。オルダンの眼から光が消えていき、ルクレシアが見守る中で、彼は亡くなった。それは謎の死だった。
 ルクレシアが新諸侯となった時期と重なり、彼女が従属するグリーンライズ王国では、大規模な市民革命が起こった。絶対王政が崩壊し、共和制に移行した。これは歴史の流れだった。革命勢力により身分制度や封建制度は全面的に禁止とされたが、それに抵抗する諸侯も多かった。
 ルクレシアは、新しい革命の波を受け入れた。彼女は、貴族制を廃止する方向に政治の方針を転換した。しかし、多くの領民や軍人が、彼女を熱狂的に支持していたため、彼女は、当分は事実上の領主として振舞う事となった。
 政治や法律などを決めるにあたっては、ルクレシアは、複数の選挙制度や様々な議会制度を導入した。その上で彼女は、領主として議会に多大な影響力を行使した。
 マギ・ステライア帝国の国王ランゲルは、市民革命の影響力が自国に波及する事を恐れたため、グリーンライズ共和国(元グリーンライズ王国)に強く干渉していく方針を取った。さしあたり、ルクレシアの治める領地を標的として、ランゲル王は、雷光のように侵攻した。
 当時、世界的にみて、王制や貴族制をすでに廃止している国や地域の方が圧倒的に多かった。しかしランゲル王は、その歴史の流れに叛逆の牙を剥いたのだ。
 ルクレシアに新たな試練が訪れる・・・

 第四章 魔女スライザロウリアを討て

 マギ・ステライア帝国軍による侵攻に対し、ルクレシアは、周囲の諸勢力に援軍を要請した。革命勢力は、帝国軍の進軍の脅威をみて、諸勢力に対してルクレシアと共闘するように通達を出した。
 ランゲル王がルクレシアの領地に侵攻した直後、マギ・ステライア帝国では、第一王女イザベルによる叛乱が勃発した。イザベルは、第一王子アーサーと第二王子ギムリードを急襲してその身柄を拘束し、国内の敵対勢力を悉く掃討した。彼女は、ルクレシアに使者を送り、ランゲル王の軍勢を挟撃しようと提案した。

「イザベル王女が叛乱を起こしたのは、ランゲル王の摘出子として、自分が最年長であるにも関わらず、王位継承権の順位が王子より低かったからです。帝国の≪男系・女系長子継承制≫に対する不満が爆発したのでしょう。劇中では、それを≪女性差別問題≫としてイザベル王女が力強く訴えるセリフがあります」
 ミラージュが、劇の背景を解説する。歴史の中には、強烈な女性差別の問題が表れているケースが非常に多い。
「すると、史実をありのままで劇の脚本に反映させているというんですか? 脚本は誰が書いたのですか?」
 と、セバスティアヌス警部。
「歴史に対しては私は敬意を表します。なるべく史実通りに脚本を作っています。脚本作りを担当したのは、主に、私と私の妻と、それにジョージ・サントラの三人ですね。ブルーマリンやエメラルディア、それにムサシ・ハギワラの意見も、ほんの少しだけですが、脚本に取り入れたヶ所があります。ブルーマリンは、我が劇団の最大の後援者で、おまけに大道具方もやってくれています」
 と、ミラージュ。
「察するに、さぞかし女の観客が多いんでしょうね? そんなデタラメ調の演劇は、私はあまり観る気がしませんがねえ?」
 と、スティーヴ刑事。
「あら、観たくなければ観なければよろしいじゃございませんか」
 と、声にトゲを含ませてフランシス。彼女は、スティーヴに敵意と軽侮をないまぜにした冷めたまなざしを向ける。(ミラージュには好意的な微笑を投げかける。)
 魔術師ミラージュは、再び劇の過程を物語っていく。
 
 ランゲル王は、イザベル王女とルクレシアの挟撃により大敗を喫する。ランゲルは戦死し、マギ・ステライア帝国は分裂したような状態となった。ランゲルの遺志を継承するとして、彼の親族や有力貴族が同盟を結成した。その中の一人に、有力貴族の子息であるフェラン・ダン・グラハムがいた。かつてルクレシアと顔を合わせた時、彼女に対して露骨な侮蔑のまなざしを突き刺した男だ。
 イザベル王女とルクレシアは、すぐに同盟を組み、《女性差別の完全撤廃の推進》を宣言した。二人は、男女平等を実現する政治を推進した。しかし、それを執拗に妨害する勢力が、彼女らの仲間内にたくさんいたのだ。
 かつてルクレシアと共にロンバーンズ侯爵を打倒した革命家ロベイス・ピエールを含め、《民主主義や人権主義を掲げた革命派》のほとんどが、《男女平等・女性の人権》に対しては関心を示さず、最後は、女性運動を徹底的に弾圧する暴挙に出た。それは、革命運動に参加した大勢の女性たちに対する猛悪な裏切りだった。
 ロベイス・ピエールを倒さなければならない! ルクレシアは、ロベイスをすぐに逮捕し、裁判に掛けるように部下に命じた。ロベイスは、多くの人々から《反対派を殺戮するおぞましい殺人鬼》として恐れられていた。ルクレシアの軍勢は、ロベイスの民兵組織を見事に打ち破り、彼は逮捕され、その恐怖の殺戮は幕を下ろした。
 その壮麗な活躍により、ルクレシアとイザベル王女の名は、グリーンライズ共和国の隅々にまで轟き渡った。
 マギ・ステライア帝国のフェランがグリーンライズ共和国に攻め入ってきたのは、その数ヶ月後だった。その彼を同帝国から追撃する者があった。それは、かつてルクレシアと婚約関係にあったイーガリーだった。イーガリーは、婚約に関してルクレシアに痛烈に拒絶されたが、その瞬間に彼は、彼女のあっぱれな知性と勇気を認め、彼女に熱烈な恋慕の情を寄せたのだ。
 フェランとイーガリーは血を分けた兄弟だ。彼らの各々の軍勢は、共和国内で激しく戦闘した。(劇中では、イーガリーとフェランの熾烈な決闘が見せ場となる。鮮かで壮麗な殺陣だ。イーガリーはフェランを打ち破る。)
 フェランは、自らの軍勢と共に敗走した。しかし、奥深い森の中に逃げ込んだフェランは、ある古いあばら家で魔女スライザロウリアと邂逅し、その誘惑を受ける。魔女と契約を結んだ瞬間、フェランの身体に異変が生じはじめる。
 暗い森の中、イーガリーの率いる戦士たちが、突如として急襲を受け、次々に倒されていく。それは、化け物と化したフェランの仕業だった。十人以上もの戦士が斬り倒され、イーガリーは逃走せざるをえなくなる。フェランが追うが、そこにルクレシアと五人の戦士たちが援軍として駆け付ける。
 しかしその戦士たちも、フェランの振るう長剣でアッという間に倒されてしまう。  
 フェランがルクレシアに襲い掛かる。そこにイーガリーが割って入り、彼女を突き飛ばして逃がそうとするが、そのために彼は、フェランの長剣の一撃により致命傷を負わされてしまう。
 ルクレシアは、絶体絶命の危機に立たされるが、その時、《シルヴァー・ロング・ソード(銀製の長剣)》が飛翔してきてフェランの《影》に突き刺さる。その銀製の長剣の効果なのか、フェランの魔力は霧のように霧散する。(劇中では、彼の魔力の霧散をドライアイスの煙の霧散で表現する。)
 ルクレシアとフェランとの決闘となり、ルクレシアが圧倒的に勝利する。フェランは、急に心臓のあたりを押さえて呻き声をあげ、倒れて絶命してしまう。
 ルクレシアは、高木の幹に寄りかかって息も絶え絶えという容態のイーガリーのもとに走り寄り、彼の顔を視つめた。
「イーガリー様! しっかりしてイーガリー様! なぜ、あなたは、そんな無理をしてまで私を助けたりしたのですか?」
「ルクレシア・・・ 君は本当に不思議な娘だ。君とは、ほとんど顔を合わせた機会も無いのに、私は、君を決して忘れられなかった。信じてくれなくてもいいが、私は、心の底から君の事を愛するようになった。いつかまた必ず君に逢い、例えそれが叶う望みが微塵も無くとも、君に愛を告白しようと、私は自分の心に誓いを立てていたのだ・・・」
 イーガリーがもはや助からない事を、ルクレシアは悟った。彼女は、彼の右手を両手で握ると、それを自らの頬に押し当てて号泣した。愛する者に殉じた男は、彼女の右手を握り返して柔かい微笑みを浮かべながら、永遠の眠りについた・・・
 銀製の長剣を投げつけてフェランの≪影≫に刺した美しい女は、聖女グレンロウリアと名乗った。ルクレシアの眼前に進み出た聖女は、自分は、魔女スライザロウリアの妹であり、魔女となった姉の命を奪うためにこの地に来訪したと彼女に告げた。
 魔女と契約を交わした後で、ルクレシアを命を賭けて守ろうとして亡くなったオルダンの事を、ルクレシアは思い出していた。魔女がフェランに魔力を与えたせいで、イーガリーもまた、オルダンと全く同じように命を落とした。
「私は、必ずオルダンとイーガリー様の仇を取るわ。ねえ、グレンロウリア、魔女を絶命させる方法を、あなたは知っているの?」
「特殊な聖水を銀製の長剣に振りまき、魔女の《影》に突き刺します。それは、姉と同じ性質の魔力を持つ私がやらなければいけません」
「魔女はどこに住んでいるのでしょう? それがわからなければ・・・」
「私は、常に姉の気配を感知しようとしています。ほんの時々ですが、私には姉の気配を感じる事ができます」
 ルクレシアは、その時、暗澹とした気持ちになった。聖女グレンロウリアは、実の姉を自らの手で絶命させなければいけない運命なのだ。なぜ彼女は、そのようなあまりに凄絶な運命を背負ってしまったのだろうか・・・?
 十日ほどの月日が、さながら旋風のように過ぎ去っていった。マギ・ステライア帝国は、その歴史上、全く前例の無い危機に陥っていた。致死性の疫病が、おぼろにしか見えぬ死神のように国中をさすらい、骸の山を築きはじめたのだ。
 ある日の昼過ぎに、魔女スライザロウリアは、高級旅館の豪華客室で休憩していたイザベル王女を訪問した。
「イザベル王女よ、よく聞くがいい。おまえは、叛乱により肉親を破滅に追いやり、王位をさん奪し、最高権力を手に入れた禍々しい大罪人だ! おまえには、大罪人に相応しい惨たらしい死の運命が待ち受けている。おまえは、呪われた疫病から決して逃れる事はできない・・・ もし、疫病に全身を蝕まれた無惨な屍をさらしたくなければ、私におまえの魂を売り渡すがよい」
 イザベル王女は、そのように自分を侮辱するのなら、そなたにこそ、無惨な破滅を味あわせようと、魔女を挑発した。魔女は、寒気を覚えるような薄ら笑いを王女に見せると、悠々と踵を返して立ち去った。イザベルは、護衛の者に高名な退魔師であるマリゴウルドを呼び寄せるように命令した。
 マリゴウルド(マリゴールド)は花の名前だ。自らに花の仮名をつけた退魔師の女は、それから三日後に遠い異国の地からやって来た。
「この地に、邪悪な魔女が出没している。その名はスライザロウリアだ。その魔女は、事もあろうに、この私が疫病に蝕まれて無惨な死を遂げると予言し、私に脅迫の言葉を浴びせた。私に魂を差し出せと。王族に対する無礼は許しがたい」 
 と、イザベル王女。
「魔女は契約で人を狂わせます。契約者は、その魔法に人としての魂を蝕まれていきます。、最後は恐ろしい鬼となり果てるか、理性や意志を喪失した魔女の操り人形となり果てます。災禍をもたらす魔女は、必ずや私が倒してご覧にいれます」  
 と、マリゴウルド。
 マリゴウルドは、仮初めの契約により、王女を護衛する従者となった。
 魔女スライザロウリアに関する情報は、イザベルとルクレシアの間で共有され、魔女を倒すための戦士が集められた。東洋からは、独特の武術である東洋忍法や剣道の使い手である忍者ムサシ・サルトビが雇われてやって来た。
 戦士たちの総勢は七人。聖女グレンロウリア、退魔師マリゴウルド、忍者ムサシ・サルトビ、剣豪エメラルディア・スパロウ、ほか男の剣士たち三名。
 聖女グレンロウリアが自分の姉(魔女)の位置をはっきりと感知した時、イザベルにより総勢が招集された。イザベルとルクレシアは、自分達も魔女の討滅に参加したいと望んだが、聖女と退魔師に「危険すぎる戦いだから」と制止された。
 その夜、森の奥底にある小屋(魔女の隠れ家)は、討滅隊により囲まれていた。魔女スライザロウリアは、戸外の気配を敏感に察知し、堂々と外に現れた。(劇中では、戦場は、《森の奥底》から《森の中の草原が広がった場所》にその舞台設定が変更されている。樹々の数が多すぎると、豪壮な殺陣、すなわち大勢の役者たちでの大立ち回りができないからだ。)
「我が妹よ、すぐにここを立ち去るがよい。私はおまえを失いたくはない。おまえには私と同じ血が流れているし、私は、おまえをまだ愛しい妹と思っている」
「お姉様はもはや人ではありません。私は、お姉様の呪われた魔女の生涯に、私自身の手で終止符を打つために、ここまでやって来ました」
 そして、魔女と七人の戦士たちの熾烈な戦いが始まる。その時、眼をみはる速さで戦場に迫り来る馬の嘶きが響いた。その蹄が草や落ち葉を踏みしだく音も。
 それは、悪鬼の如き形相をしたロンバーンズ侯爵の登場だった。鬼侯爵の騎乗する黒鹿毛の馬にも異変がみられた。戦士の四人がその馬に矢を放ち、四本の矢が馬の肩や背中、脚に命中したが、馬は、それらをものともせずに突進し続けた。
 ロンバーンズの右手が振るう長剣の軌跡により、アッという間に三人の戦士が斬られていた。魔女討滅隊の残りは四人。聖女グレンロウリア、退魔師マリゴウルド、忍者ムサシ、剣豪エメラルディアだ。
「ロンバーンズ、グレンロウリアは殺すな!」
 魔女が鬼侯爵に右手を差し向けて命じる。しかしその命令は、鬼侯爵の耳には届かなかった。聖女グレンロウリアに襲いかかるロンバーンズ。しかしその前に、東洋の忍者が立ちはだかった。ムサシ・サルトビは、ロンバーンズの剣撃を《東洋の島国の刀》で受け流し、馬とすれ違いざまにその脚を斬った。本来は、馬を斬ったりはしないのがムサシの流儀だが、そうもいってはいられない。騎乗した鬼から振り下ろされる剣撃は非常に重く、その勢いを何度も巧妙に受け流し続けるのは不可能だ。
 馬がバランスを崩して横転し、ロンバーンズは森の大地に投げ出される。ムサシとエメラルディアが鬼侯爵に襲い掛かるが、鬼は、尋常ではない力を発揮し、二人の攻撃を全てはねのける。
 聖女グレンロウリアは、自らの銀製の剣に聖水を振りまき、魔女に斬りかかった。血を分けた姉妹同士の激闘が幕を開ける。魔女は、長さ七十センチほどの剣を一瞬で鞘から抜くと、悠々と聖女の斬撃を受け止めた。聖女は、なおも銀製の剣を振るうが、その悉くが、易々と魔女の剣さばきに受け止められてしまう。
 聖女の背後ではマリゴウルドが、持参の袋から幾つもの火薬玉を取り出し、次々とそれらをライターで着火していた。それこそが、《魔女を倒す真の切り札》だった。マリゴウルドが三つの火薬玉を夜空に投げ上げると、それらは爆発して照明の役割を果たし、森の大地に様々な影をくっきりと浮き彫りにした。
 「アッ!」と魔女が悲鳴をあげた。聖女の銀の剣が、魔女の《影》を貫いたのだ。その時、魔女は、眼前の聖女をその剣で斬り殺せたかもしれない。しかし魔女は、聖女を傷付けようとはしなかった。次の瞬間、異変が魔女の身体を襲った。その身体は、不思議な事に、硬い石像と化していった。(劇中では、ドライアイスの煙で魔女の姿をおおい隠し、魔女の石像とそっくりな木像と入れ替える。その木像は、予め舞台セットの雑草の陰に寝かせた格好で隠しておく。)
 マリゴウルドは、腰に佩いた長剣を抜き、魔女の石像に向かって走った。「やめて! そこまでは必要無いわ!」と、聖女が制止の声をあげたが、退魔師は、石像のみぞおちに長剣を突き入れた。不思議な事に、その長剣は、魔女の石像をその背中まで貫き通した。それが、魔女スライザロウリアの最期の瞬間だっただろう。
 その一方で、ロンバーンズ侯爵は、ムサシとエメラルディアをその怪力で圧倒していた。エメラルディアは後ずさり、そこをロンバーンズの強烈な突きの一撃を受けて後ろに吹き飛んだ。ムサシは腕に傷を負わされていて、更にロンバーンズに追い詰められると樹上に逃げた。それは見事なアクロバットだった! 鎖鎌の刃を樹上の高い枝に引っ掛け、それを手繰ってアッ、という間に樹の幹を垂直に走っていった。
 マリゴウルドがロンバーンズに剣先を向け、森の下草を踏み鳴らして彼の方に疾走した。しかしそれは無謀だった。彼女は、ロンバーンズに一撃で斬られて俯せに倒れた。聖女グレンロウリアが鬼侯爵に斬りかかるが、剣と剣とが激しく衝突した後、聖女の剣は、空中高くにはね飛ばされていた。
 グレンロウリアは、蒼ざめた顔でロンバーンズを睨みつける。
 「聖女様、お逃げになってください!」と、倒れたままのマリゴウルドが甲高い声で叫ぶ。しかし聖女が逃げ出せる隙は無さそうだった。
 「・・・その夜の獣のように禍々しい憎しみを込めた眼を、この私に向けるな! 
身の程を知れ、聖女を騙る愚かしき娘め!」
 ロンバーンズの長剣が振り下ろされ、聖女は森の大地に俯せに倒れた。
 その時、突如として大地震が起こった。森の大地が割れて、《地獄の審判者》が地獄の底から現れた。その男は大椅子に座っている。突如として夜空を稲妻が走る。ロンバーンズが、その《人外の何者か》に傲然と言葉を投げかけるが、その男は、彼に長剣の切っ先を向け、鳥笛で小鳥たちの群れを呼び、更に、四人の《地獄の剣士たち》を呼び寄せる。
 ロンバーンズは、三人の地獄の剣士たちに取り囲まれる。残りの一人が、《地獄の審判者》の前で剣舞の儀式を執り行う。それは、《地獄の審判者》が大罪人を裁く直前に行う儀式だ。
 そして、ロンバーンズは、死の裁きを受ける事になる・・・

 第五章 誰が≪地獄の審判者≫を殺したのか?

 魔術師ミラージュの話は、そこで一旦、中断された。なぜなら、演劇の上演は、その場面で突如として終わりを迎えたからだ。その場面で停電があり、その停電の十数秒ほど(あるいは二十数秒ほど)が過ぎ去った時、誰もが驚愕し、寒気がするような恐怖を覚えたはずだ。なぜなら、その短い時間帯に、舞台上の《地獄の審判者》が何者かに殺されていたからだ。
「《地獄の審判者》を演じていたのはファーガスだ。その眼前で剣舞を舞い踊っていたのが君だ。ミラージュ、君が被害者から最も近い場所にいた」
 セバスティアヌスが、魔術師の眼をじっと覗き込んだ。
「しかし、もし私が犯人なら、そんな風に自分が真っ先に疑われるような条件のもとで殺人を実行したりはしませんよ。しかも逃げ場の無い舞台の上ではなおさらです。なぜなら、もし血痕が少しでも私の舞台衣装に付着するような事があれば、それだけで私は殺人罪で逮捕されます」
「停電の時、誰かがあなたの脇を通り抜けたという事はありませんでしたか?」
 セバスティアヌスは重要な質問をした。
「ありませんでした。誰かが私のそばを通り抜ければ、私には、その気配が必ずわかったでしょう。殺人犯はかなり迂回して被害者に近付いたのかもしれない。時間的にも、それは不可能ではなかったでしょう」
「演劇の内容が、途中から急に魔法の世界のようなファンタジーに変わりましたね。それは、何を参考にして創作したのですか?」
 と、サウザンドアイズ。
「マギ・ステライア帝国の近隣諸国に生まれた魔女伝説をもとにして脚本を書いています。聖女グレンロウリアは実在したと主張する人々もいます。まあ、仮にそれが本当だとしても、もちろん彼女は、超能力などは持ち合わせていなかっただろうと私は思いますが・・・」
 と、ミラージュ。彼は、いつの間にか右手に白いハンカチを持っている。
「ケッ、ばかばかしい! 魔女だの聖女だの超能力だの! いい年した大人どもが、そんなくだらねえねつ造ファンタジーに熱狂しやがるのか! 世も末だね。知性の退廃した暗黒社会の到来だよ!」  
 と、スティーヴ刑事。彼は、あごを突き出して嘲笑の表情を浮かべている。
 この彼の無礼には、さすがにミラージュは顔をしかめた。
「《地獄の審判者》が地獄の底から呼び出した戦士たちがロンバーンズ侯爵に≪死の裁き≫を降して物語は大団円になる。でも、まだ劇にはその続きがあって、マギ・ステライア帝国が未曾有の火山噴火に襲われて滅亡してしまう。
 史実では、火山の溶岩流や森林火災に対して、マギ・ステライア帝国の人々は逃げ遅れてしまい、誰も助かりませんでした。なぜ、それほどまでに恐ろしい悲劇が、帝国で起こったのでしょう?」
 と、フランシス。
「その謎の解明は、歴史研究家の研究に委ねるしかありません」と、ミラージュ。
 マギ・ステライア帝国の滅亡は、魔女スライザロウリアの《最期の呪い》が原因である、と劇中では説明がなされている。魔女が帝国をその呪いで滅ぼした理由については、何も物語設定が無い。一つの仮定として、魔女の祖国が帝国で、魔女はそれを自らの道連れにしたのだろうと、ミラージュはいった。
「停電の時に舞台にいたのは誰なのか、整理してみようか」と、ハリスン警部補。
「≪地獄の審判者≫は、ファーガス・D・タイガが演じていた。悪役のロンバーンズ侯爵は、ジョージ・T・サントラね。魔女スライザロウリアに関しては、木像と入れ替わり、すでに舞台から退場していた・・・」
 と、フランシス。
 演劇の有料パンフレットに配役が載っている。
 
 魔女スライザロウリア        ロージー・F・ハモンド(すでに退場)
 聖女グレンロウリア         キャンパニュラ・ドリームランド
 退魔師マリゴウルド         ブルーマリン・W・リューズ
 東洋忍者ムサシ           ムサシ・ハギワラ
 偃月刀を携える剣豪エメラルディア  エメラルディア・チャン
 疾風の剣士アラン          アラン・パウダー
 烈火の剣士グリード         グリード・H・ストレイタス
 大地の剣士マイルド         マイルド・ロビンスン
 地獄の裁きを降す剣士1       ミラージュ・R・ドリームランド
 地獄の裁きを降す剣士2       ジャスパー・ブレイク
 地獄の裁きを降す剣士3       アンガス・ケイリー
 地獄の裁きを降す剣士4       ドンソング・S・リドルマン
 
「聖女グレンロウリアを演じたキャンパニュラは、《地獄の審判者》から二メートルくらい離れて、俯せに倒れていました。そして《地獄の審判者》と彼女の間には、地獄からやって来た剣士ミラージュがいました。彼は、凄いスピードで剣舞を踊っていました。停電の時には、彼は踊りをやめたはずですが、それでも、キャンパニュラには犯行は無理でしょう。そうとしか私には思えません」
 フランシスは、劇を観ていた時の記憶を呼び覚ましていった。
「退魔師を演じたブルーマリンは、《地獄の審判者》から三メートルくらい離れて、やはり俯せに倒れていました。やや横向きでしたが。彼女にはもう、暗闇での犯行などは絶対に無理でしょう。
 東洋忍者ムサシは、舞台セットの高木の天辺に上がっていました。樹上から短剣を被害者に向けて投げる事は可能でしたが、それを回収して、しかも別の木のうろの中に隠すのは不可能でしょう。
 剣豪のエメラルディアも、被害者から三メートルくらいは離れていました。彼女の場合も、剣士ミラージュが邪魔で被害者に短剣を投げるのは不可能でしょう。
 疾風の剣士、烈火の剣士、大地の剣士については問題外です。位置的に考えて、嫌疑の外に置くしかありません」
 フランシスは、首を傾げて左手を顎に添える。更に彼女は、
「結局、容疑者として残るのは、ミラージュ、ジョージ・サントラ(ロンバーンズ侯爵役)、そして、ジョージを取り囲んでいた≪地獄の剣士≫三人組ーーすなわちジャスパー、アンガス、ドンソングですわ」
「その三人組ですが、本日、急場しのぎに代行役者として来てもらった役者たちです。本来は、私どもの劇団員の三人が《地獄の剣士》三人を演じるはずでしたが、二日前に食あたり事件を起こして休んだのです」
 と、ミラージュ。
「(驚愕の表情で)まあ・・・! では、その三人は、この事件とは何も関係が無いんですね?」と、フランシス。
「そうですね。その三人を選んだのは私ですが、スケジュールの都合のつく俳優を何とかして探し出すのが私には精いっぱいでした」
 と、ミラージュ。
 魔術師ミラージュは、自分以外の容疑者の人数を減らす事を微塵も恐れずに、堂々と配役入れ替えの事情を語った。警察の嫌疑が自分に向けられる事を、彼は全く恐れていない。ミラージュは、実に威風堂々とした絵になる男だ。
「本日、俳優や演劇関係者で普段と様子が変わっていた人はいませんでしたか?」
 と、セバスティアヌスがきいてみた。
「いいえ。私も含めていつも通りでした。本日は新演目の上演初日なので、みんなが張り切ってはいましたが」と、ミラージュ。
「ファーガスに関係する事や事件に関連する物事について、もし何かを思い出しましたら、警察の方に連絡をください」
 セバスティアヌスは魔術師にそう告げると、ほかに質問はあるか、とハリスン警部補らに問いかけた。そこで、サウザンドアイズが魔術師に質問を始めた。
「ファーガスは右利きでしたね? 彼の握力は強かったですか?」
「右利きでした。彼の握力は強かったですね。スポーツマンタイプでした」
 確かにファーガスは、全身に筋肉の鎧をまとっていた。彼は、≪タフな格闘家≫という感じの男だった。サウザンドアイズは質問を続ける。
「ファーガスは右手に剣の柄を握り、左手には鳥笛を握っていました。それに何か意味があると思いますか?」
「ああ、彼は暗闇で短剣で刺されて殺されたのに、長剣を手放さなかった点ですね。彼は、犯人に反撃をする事を考えたのか、あるいは、長剣の切っ先を犯人に向けてダイイングメッセージを残そうとしたのかもしれませんね」
「ファーガスは誰を犯人だと考えて、持っていた長剣の切っ先をその人物に向けたと思いますか?」
「長剣の切っ先の方向には特に誰もいなかったと記憶しています」
「あなたは推理小説を読みますか?」
「読みますよ。特に本格推理小説と呼ばれている作品を愛読します。警察の地道な捜査を描くタイプやハードボイルドと呼ばれるタイプは読みませんね」
「ファーガスの視力はいかがでしたか? 暗闇の中で、彼は特別に眼が見えるという事はありませんでしたか?」
「彼の視力が良かったという類の話は、私はきいていません。仮に、彼が夜目がきく男だったとしても、あんな風に急に停電が起こってしまったら、誰にも何も見えるわけがないと私は思います。全ての照明が消えていましたからね」
 サウザンドアイズの質問は終わった。
「警察の事件捜査が終了するまでは、決して住所を変えないでください。旅行や移動も控えてください。万が一、それらがどうしても必要な場合がありましたら、必ず警察の方に報せてください」
 と、セバスティアヌス。
 (その後、この居場所に関する注意は、全ての事件関係者に言い渡された。)
 セバスティアヌスは、事情聴取は一旦は終わりですと、魔術師に告げた。

 ハリスン警部補が、次はミラージュの妻を呼ぼうと提案した。魔術師がその妻と何かしら口裏を合わせる時間を与えないように、という意味が込めてあり、それが≪捜査の常道≫のように思われた。
 スティーヴ刑事が、魔術師の妻、キャンパニュラを呼びにいった。
 談話室に現れたのは美しい女だった。プラチナブロンドの髪を腰の近くまで伸ばし、前髪は、弓形の眉の高さで切りそろえている。まつげの長いアーモンド形の大きな眼、鼻筋は通り、やや薄い優美な唇に微笑を浮かべている。肌はきめ細かく、抜けるように白い。
 セバスティアヌス警部とキャンパニュラの間に簡易な挨拶が交わされ、警部は、型通りの質問を彼女に投げかける。

 《職歴》魔術師の助手。また、アマチュア劇団『蜃気楼の童話』の劇団員。
 《趣味》魔術(マジック)の研究や鑑賞。演劇の練習、鑑賞。料理作り。編物。絵描き。美術鑑賞。
 《恋愛や結婚》二十歳でミラージュと結婚。おしどり夫婦。
 《家族》夫婦二人きり。両親や義理の両親とは別居している。
 《交友関係》夫とマジックショーのツアー公演で世界中をまわっているため、世界中に知り合いがいる。しかし親友といえる者はいない。夫のアマチュア劇団を通して劇団員と軽い親交がある。

 セバスティアヌスは、キャンパニュラにファーガスとの関係を尋ねた。
「彼とは一緒に食事をした事もありませんわ。正直に申し上げますと、彼の事は、私はあまり気に入りませんでした。彼は演劇を非常に軽くみていましたから」
「それはどういう意味ですか? 彼は、本日のこの劇が実は気に入らなかったという意味ですか?」
「それよりもなお悪いんです。演劇そのものを芸術だと認めていないのです。劇団の誰もが、真剣に演劇の稽古や準備に取り組んでいるのに、あの男だけは、薄ら笑いを浮かべてさぼっている事さえ頻繁にありました」
 キャンパニュラは、少し迷った表情をしてから続ける。
「ファーガスが≪地獄の審判者≫役を勝ち取れたのは、彼が鳥笛をきれいに吹けたからですわ。そうでなければ、オーディションで彼は落ちていたでしょうし、また、途中で劇団を追い出されていたと思います」
「劇団内の厄介者だったというわけですね?」
「そうです。でも、劇団員の誰かが彼を殺すほど恨んでいたとは思えませんわ」
「ムサシ・ハギワラやグレゴリー・メタルについてはいかがですか?」
「もちろんその二人も、ファーガスを舞台上で殺したりするはずがありません」
 更に、『その二人以外には、ファーガスと強くいがみあっていた者は劇団内には一人もいない』と、彼女は主張した。
「ファーガスは経済的にはどういう状態でしたか?」
「彼の身なりを見る限り、裕福でもなければ貧しくもない人でした。装飾品は一切、身に付けない人でしたわ」
「劇の上演を中止させた停電のあった時間帯を、どうか思い出してください。その時、誰かが動いた気配はありませんでしたか?」
「さあ・・・私は舞台セットの草原の上に倒れていましたから。わかりませんわ」
「本日、あなたの夫はどんなご様子でしたか?」
「いつもと変わらず静かでした。マジックショーや演劇の本番の前では、私の夫は、精神集中の状態に入るのです。例えば、夫に誰かが話しかけても夫は返事を返さない場合もありますわ」
「ほかの俳優や演劇関係者の様子は?」
「高揚感を覚えている人達が多かったですわ。様子が変な人はいませんでした」
 キャンパニュラからは、あまり事件の情報は得られないようだった。
 セバスティアヌスに替わり、サウザンドアイズが質問を始める。
「停電の時、ファーガスが倒れる音は聞こえましたか?」
「暗闇の中で、かすかな音が聞こえました。ファーガスが倒れた時の音かもしれません。停電になってから五秒くらいが経った時に音がしたと思います」
「あなたの夫は停電の時、何をしていたと思いますか?」
「夫は重い剣を持っていました。暗闇では危険ですからじっとしていたでしょう」
「停電の時に誰か動いた人はいましたか? 気配や物音はしませんでしたか?」
 さっきと同じ質問だわ、とキャンパニュラは思った。
「わかりませんわ。観客席の方から、観客たちのうるさい叫び声がしていましたから。観客席はパニックになったというほどではなかったけれど」
 キャンパニュラに対する尋問は一旦、終了となった。

 次はムサシ・ハギワラに対する尋問をしよう、とサウザンドアイズが提案した。
 スティーヴ刑事が、彼を呼ぶために、元気よく談話室を飛び出していく。
 談話室にやって来たムサシは、長い黒髪と精悍な肉体を持った男だった。濃いまゆの下には力強いが充血した眼。団子鼻に挑戦的な口もと。彼の年齢は三十二歳。その背は低く、百五十五センチくらいだ。
 セバスティアヌスは彼と挨拶を交わし、質問していく。
 《職歴》剣道道場の師範。剣道や忍法の腕を活かして演劇活動もする。
 《趣味》剣道。忍法の研究と修行。演劇の練習。様々なスポーツ。
 《恋愛や結婚》恋愛経験は一回だけでそれは破たん。未婚。
 《家族》両親および妹と一緒に暮らす。兄夫婦は家を出ている。
 《交友関係》剣道道場において友人が多数。道場の生徒たちにも慕われる。また、アマチュア劇団『蜃気楼の童話』の中では、エメラルディアと仲が良く、大道具方のマティルダ・ロンバードとも時折り会話する。

「ファーガスが美術商だった事はご存知でしたか?」と、セバスティアヌス。
「ええ、知っていました。でも、ヤツと美術の話をした事は、今までに私は一度もありませんね。私は、ファーガスとは仲が悪かったですよ。ヤツを殴りかけた事さえも何度かあります。ヤツは誇大妄想で、自分を何だか偉い人間だと思い込んでいた節がありましたね。それは彼の劣等感の裏返しだったでしょう。 
 ファーガスは、どうも時々、精神的に不安定になる様子でした。私は、まさかとは思いつつも、彼は覚せい剤か麻薬でもやっているのではないか、なんて風に、疑いの眼で見ていましたよ」
 と、ムサシは、自分の右肩を手で揉みながらいう。
「その点は、被害者の検死解剖の結果でいずれはっきりとわかるでしょう。さて、停電の時、あなたは舞台セットの高木の頂上にいましたね? その時に、あなたは何かを目撃しましたか?」
「いいえ、何も。私は木から落ちそうになって慌てましたよ。停電のせいで危うく大ケガをするところでした」
「ファーガスは演劇をバカにしていませんでしたか?」
「それはキャンパニュラにきいたんですね? 確かにそんな感じでした。その点も、劇団員の多くがヤツを快く思っていなかった大きな理由です」
 そこで、セバスティアヌスに替わり、サウザンドアイズが質問を始めた。
「あなたは鎖鎌を自由自在に操れますか?」
「ええ、まあ。でも、私は犯人ではありませんよ。あの停電の時、ファーガスの前にはミラージュ劇団長がいましたから、私の位置から狙うのは難しすぎます」
「鎌を迂回させればいいと思いますが?」
「あの鎌は人に刺さりませんよ。仮に刺さったとしても、どうやってそれを引き抜くんですか? 鎖を引っ張れば、それが一直線になって劇団長に当たります」
 それはサウザンドアイズも認めざるをえなかった。
 ムサシに対する尋問は、間もなくして一旦、終了となった。

 ムサシの次に彼らが尋問する相手は、誰が適切だろうか。ハリスン警部補は、エメラルディア・チャンが適切だろうといった。スティーブ刑事が彼女を呼びに行く。
 エメラルディアは、談話室に入って来るなり、右膝を床について一礼した。その様子に驚いたセバスティアヌスは、彼女にその理由を尋ねた。
「私は女優ですから。常日頃から女優として振舞いますわ」
 セバスティアヌスは、彼女と軽い挨拶を交わし、型通りの質問をした。
 《職歴》女優。学生時代は演劇学校に通い、本格的に演劇の勉強をした。
 《趣味》演劇の練習、鑑賞。映画鑑賞。恋愛小説を好んで読むが、そのほかにも様々な本を読む。ソフトボールでは投手をやる。テニスが得意。
 《恋愛や結婚》恋愛の経験は豊富。未婚。
 《家族》弟がいるが別居。彼女は一人暮らし。
 《交友関係》様々な俳優と浅い交友関係を持つ。アマチュア劇団『蜃気楼の童話』では、キャンパニュラとブルーマリンが友達。  
     
 セバスティアヌスはエメラルディアを観察した。彼女の髪は赤い。鮮かに輝くようなパープルレッドで、実に魅惑的だ。卵形の顔の輪郭。いたずらっ気のある顔の表情。手足はすんなりと伸びている。身長は百六十五センチくらい。彼女の年齢は三十三歳だが、それよりも遥かに若くみえる。
「ファーガスについて知る限りの事をお話してください」と、セバスティアヌス。
「彼は美術商でしたわ。私は、彼を村はずれの公園のあたりで見掛けた事がありましたわ。《コパーラン公園》近辺です。私は、彼とは親しい間柄ではなかったので、特に彼に声を掛けようとは思いませんでしたが・・・ 彼について私が知っているのはそれくらいです。他は何もありませんわ」
 と、エメラルディア。
 《コパーラン公園》のあたりには貧しい人々が住んでいる。かなり荒れた地域だ。セバスティアヌスは、彼女の言葉を聞き、初めて《手応え》を感じた。
「ねえ、警部さん。私は重要な話があるんです。この事件で、犯人がどうやって殺人を犯したのか、私には推理できますわ」
 その場にいた人々の表情が変わった! エメラルディアの言葉は、まわりの空気に衝撃波の波紋を拡げていくようだった・・・

 第六章 エメラルディアの推理

「あの暗闇の中では、劇団長のミラージュしかファーガスを殺す事はできなかったはずと、皆さんはお考えなのでしょう? でも、舞台と地下室の間を昇降する≪迫り≫を使えば、犯人は地下室にいながらファーガスを刺し殺す事ができますわ」
 エメラルディアの指摘に、セバスティアヌスは、アッ、と驚愕した。ハリスン警部補は、ピューッと口笛を吹く。スティーヴ刑事は、疑わしげに首を傾げる。サウザンドアイズも、スティーヴと同じ反応だった。
「興味深いですな。では、すぐに地下室を調べてみましょう。事件関係者に対する尋問も進めなければいけないが・・・ 二手に分かれようか。さてハリスン、君はどちらの役割を受け持ちたいかね?」
 と、セバスティアヌス。ハリスン警部補は、地下室の捜査に行く方を選んだ。サウザンドアイズとフランシスが地下室の方に行きたいと申し出た。
「鑑識係も連れていってくれ」
 と、セバスティアヌス。ハリスン警部補らは、警備員の一人ピックル・スカイラーの先導で地下室に向かう。
 
 《椿と山羊》公会堂には、地下は地下一階しかない。地下一階に移動するには、建物内の階段(内階段)か外階段を使う。公会堂にはエレヴェーターは一つも無いが、来年か再来年には、それが設置される計画がある。
 地下一階に続く内階段を、新たに誕生した捜査班が降りていく。警備員ピックル・スカイラーがその先頭に立っていた。主だった地下室は二つしかなく、遊戯室の方に演劇用の《迫り》があるという。ピックルは、階段の上り口から近くにある遊戯室の鋼鉄ドアの前まで行くと、警備員の制服の右ポケットから鍵束を取り出し、そのドアの鍵穴に鍵を差し込んだ。
「その鍵は幾つあるんですか?」と、サウザンドアイズ。
「警備員はみんなが鍵束を持っています」と、ピックル・スカイラー。
 遊戯室の鍵は《単純なつくりの鍵》だから、誰かが警備員からその鍵を借りて(鍵束からは一つ一つの鍵が取り外せる)遊戯室の合鍵をつくる事は、決して不可能ではないだろうと、ピックルはいう。
 すでに、ほかの警備員が《迫り》の装置に詳しい者を探し出し、地下まで連れて来る手筈になっていた。
 ハリスン警部補は、広い遊戯室を見渡した。フローリングの床。ビリヤード台と、その上には一から順に番号の入った九つのボール。カードゲーム用のテーブル。壁の方にダーツ用具。幾つかの棚や収納ボックス。食器棚もある。
 遊戯室のドアから左に二メートルほど離れた壁際に、≪衝立で囲まれて見えないスペース≫があるが、『そこに演劇用の《迫り》がある』と、ピックルは指さす。一行は、衝立をまわり込んでいき、それを見た。《迫り》の床板の表面は、六十センチ×六十センチの正方形だった。床板の厚さは十五センチほど。部屋の天井を見ると、その高さは三メートルと少し。
「《迫り》を動かして犯人が地下から舞台に上がり、ファーガスを刺した。そしてまた犯人は≪迫り≫を動かして舞台から地下に降りたわけだ。しかし停電になっていた時間は十数秒から二十数秒です。時間的に間に合いますかな?」
 ハリスン警部補は、肩をすくめて首を横に振り、やや冷めた口調でいった。ほかの者達も落胆した様子だ。そこに、《迫り》の装置に詳しい大道具方のマティルダ・ロンバードがやって来た。
「この《迫り》は電動式です。一階の機械コントロール室に≪迫り≫の昇降操作装置があります。今から私がそれを動かしましょう。皆さん、ケガをなさらないように注意してくださいね」
 マティルダはそういって、遊戯室を出て行った。二分後、《迫り》の床板が一階の舞台からゆっくりと降り始めた。地下まで降りるのに三十数秒が掛かった。
「≪迫り≫の動きが遅いのは、安全上の理由からでしょう。途中で《迫り》の昇降を止める事はできますかな? ああ、でも電動式装置だから、途中で静止させるのは無理でしょうな・・・」
 ハリスン警部補の顔には、落胆の色がありありと表れていた。今度は、ゆっくりと《迫り》の床板が上昇していき、天井に開いていた正方形の穴を埋めにいく。それは、驚くほどピッタリとその穴にはまり込んだ。
「高い脚立はありますか? 《迫り》の床板と舞台の床との間に隙間が無いかどうか、入念にチェックしてみましょう」
 サウザンドアイズが提案した。ハリスン警部補は、うなずくと、持参してきた公会堂の各階の間取り図を素早く見た。この遊戯室の隣には地下倉庫室がある。ハリスンと警備員ピックルはすぐにそこに向かった。地下倉庫室の木製のスライドドアは、施錠されていないので簡単に開けられた。照明はついていない。
 ピックルが壁の照明スイッチを入れた。ハリスンは室内を見まわした。この部屋は、長い間、放置されていたらしい。その奥には蜘蛛の巣が張っているヶ所があるし、床には濡れた部分がある。雨漏りか? 水道管の水漏れか? 室内には多種多様な体育用具があった。幾つもの跳び箱や幾つものハードル。たくさんの硬球が入った籠があるし、たくさんの軟球が入った籠もある。大きな木製の籠。その中には二つのバスケットボール。その奥にも同じ籠(バレーボールが一つ)。
 両側の壁には作り付けの棚があり、それぞれに雑多な物品が置いてある。部屋の奥を見ると、高さ一メートル半ほどの脚立が置いてある。
 ハリスンは脚立を持ち出す。ステンレス製の脚立は割と軽く、頑丈なようだ。
 ハリスンが、天井まで上がった《迫り》の床板の真下にあたる場所(床)に脚立をセットして上った。
「ああ、これは残念ですね。《迫り》の床板は、天井にピッタリとはまり込んでいます。隙間は全くありません。これでは細工を施す余地は皆無ですよ」
 ハリスンの次にサウザンドアイズ、その次にフランシスが脚立を上がったが、彼らもハリスンと同意見だった。
「無駄足でしたかね」
 ハリスンの声音には元気が無かった。サウザンドアイズとフランシスは、隣の地下倉庫室の中に入って行ったが、三分くらいで出てきた。
「何か気になる点でもありましたか?」と、ハリスン。
「いいや。普通の体育倉庫室になっているようだ」と、サウザンドアイズ。
「事件と関係のありそうな物は何もありませんでしたわ」と、フランシス。
「きっと一階にも倉庫室があるんでしょうね。そこは捜査していますか?」
 と、サウザンドアイズ。
「もちろんです。そこは舞台からそれほど離れていませんからね」と、ハリスン。
 彼らは、鑑識係の刑事たちを残して一階の談話室に戻る事にした。

 談話室で、ハリスン警部補らはセバスティアヌス警部やスティーヴ刑事と合流し、情報の共有をした。セバスティアヌスとスティーヴは、エメラルディアを尋問したが、たいした情報は得られなかったようだ。
 その尋問の内容を振り返ると・・・

「あなたは村はずれの《コパーラン公園》まで何の用事で出かけたのですか?」
 セバスティアヌスがエメラルディアに尋ねた。
「私の学生時代のクラスメイトがあのあたりに住んでいるのです。といっても、ほんの時々にしか私達は顔を合わせませんが」
 その同級生の名はマーシャ・シュテインだという。セバスティアヌスは、その女の住所を訊き出してメモ帳に記入した。
「その人が本日の劇を観に来ているという可能性はありますか?」
「さあ、私にはわかりませんわ」
「この事件について、ほかに何か気が付いた事はありませんか?」
「私が気になるのは、なぜ、犯人が演劇の舞台を殺人の舞台に選んだのか、という点ですわ。犯人は、とても《目立ちたがり屋さん》の性格をしているのでしょう。自己顕示欲がとても強く、おそらくうぬぼれの強い犯人ですわ」
 エメラルディアは、すでに十数分前に退室していた。談話室の中央付近にある机(事情聴取に使われていた机)の上には、チョコレートの銀色の包み紙が乗っていた。ピンポン玉サイズのチョコが包まれていた紙の屑だ。彼女が、自らの興奮を鎮めるため、ブランデー入りチョコを上着のポケットから取り出して食べたのだ。(上着の右側面のポケットだった。)
 ブルーマリン・W・リューズに呼び出しが掛かっていた。
 「遅いぞ、彼女はまだ来ないのか」と、セバスティアヌスは、その左手にはめた腕時計の時刻に視線を走らせ、不審の念をあらわにした。まさにその瞬間、彼女が、颯爽とした足取りで談話室に入って来た。
「随分と遅かったですね。いったいあなたは何をなさっていたのですか?」
 セバスティアヌスの声は厳しかった。
「まあ、そんなに怒る必要はないわ。お花を摘みに行っていただけですわ」
 それは、トイレで用を足していたという意味だ。ブルーマリンは、お腹のあたりを右手でゆるやかにさすっている。
 ブルーマリンは、背の高い女だった。短い金髪。端正な顔立ち。青い瞳には知性の光が輝いていた。退魔師の紫の衣装が、彼女に実によく似合っている。ゆったりとした紫の厚手のローブが細長い全身を包む。その首には厚手の赤いマフラー。その額には、銀のサークレット(頭の周囲にはめる飾り)の前部飾り。
「失礼ですが、腹痛か何かをわずらっておられますか?」
「そうね、さっきから少し腹痛がするわ。今朝から腹具合が悪かったんです。劇に出演している時は治まっていたんですが」
「食あたりですか?」
「さあ・・・それほど深刻な腹痛ではありませんから、私は違うと思いますわ」
 優雅な微笑を浮かべ、顔を左に傾けてみせるブルーマリン。女優の魅力がセバスティアヌスをまごつかせた。
 セバスティアヌスは、まずは型通りの質問から始める。

 《職歴》五年ほど高級クラブでの接客業。離職後は主婦。
 《趣味》絵画や彫刻の創作活動や鑑賞。演劇の練習。演劇の鑑賞。文筆活動や文化振興運動も積極的に行う。
 《恋愛や結婚》過去の高級クラブでの男たちとの付合いについては秘密。五年前に夫と出逢い、二ヶ月で結婚。貞淑な妻となる。        
 《家族》普段は、夫とその両親と共に暮らす。ただし、一週間前から夫と二人で別荘である《三つの棺》荘に住んでいた。
 《交友関係》文化振興運動を通して友人が多い。地元のお茶会クラブでもたくさんの友人を持つ。劇団『蜃気楼の童話』では、エメラルディアとキャンパニュラが彼女のお気に入りでよく食事を共にする。また、同じ大道具方のマティルダと気が合い、おしゃべりをする。
         
「ファーガスについて知っている事をお話してください。例えどんな些細な事でも、我々の捜査の助けになります」
「ファーガスは、情緒不安定な男でしたわ。時々、彼は、自分を何かとんでもない偉業をやり遂げる大物だと勘違いしている様子でした。私のきいた話では、彼はお酒を飲むと上機嫌になり、むやみやたらと大風呂敷を広げたと・・・」
 これはほかの劇団関係者もいっていた話だ。その偉業の正体に関しては、ブルーマリンも知らないという。演劇関係の顔合わせを除けば、彼とはほとんど何の関わりも無かったと、彼女はいう。
「今日はあなたの夫はこの劇を観に来ていましたか?」
「さあ、どうでしょうか。夫は、私の女優活動に対してはあまり快く思っておりませんので。来ていないと私は思いますわ」
 彼女の夫は大富豪だ。彼は、建設企業の会長だが、平日でも会社から悠々と自由に外出している。彼は地方の名士であり、その名はピーター・W・リューズ。その一方で、彼の動かす企業が村を汚していると、彼を敵視する村人たちもいる。
「あなたの夫ピーターは貴族でしたね?」
「ええ。でも夫は、そういう身分制度は嫌いなんです。貴族制度などは早く過去の遺物になればいいと、夫はよく私にいいますわ」
「外でもあなたの夫は同じような主張を口にしますか?」
「ええ、話しますわ。相手によりけりでしょうけれど。夫は他人についてあまり気に留めません。外でも遠慮なく好きな事を話すタイプですわ」
「あなたは演劇では退魔師の役でしたね? 停電の時、あなたは何か気配を感じませんでしたか?」
「いいえ、私には何も見えませんでした。急に真っ暗になったのですから。それに私は視力が悪いんです」
「本日、誰か普段と様子が変わっていた人はいませんでしたか?」
「さあ・・・みんな普段通りだったと思います。そういえば、ファーガスは妙に上機嫌で、ニヤニヤ笑っていたような気がしましたわ」
「ファーガスを村のはずれで見掛けた事はありませんでしたか?」
「いいえ。この近くでしか彼を見掛けた事はありませんでした」
 それからほどなくしてブルーマリンに対する尋問は終了した。
 その他の演劇関係者たちにも捜査班による尋問が行われたが、めぼしい情報は特に何も判明しないようだった。
 セバスティアヌス警部らは、舞台の東側西側それぞれにある舞台袖室を調べた刑事たちの話をきいた。しかしそこに《殺人犯を指し示す証拠の類》は、特に見付からなかったという。
 事件捜査は暗礁に乗り上げた格好だった。ファーガスを殺す動機を持つ者が、誰一人として見付からない。犯人が暗闇でどうやって被害者を殺したのかという方法も、未だに謎のままだ。
 《椿と山羊》公会堂にいた者は、警察官を除いて全員が簡単な身体検査(警察官が相手の身体を両手で軽くパンパンと叩いていく)を受けた。もちろん観劇の客たちもだ。しかし弓矢やクロスボウなどを所持する者は、誰もいなかった。
 午後三時になると、事件関係者に帰宅許可が出された。セバスティアヌス警部らは、ファーガスの住居を突き止めた刑事がいたので、そこに捜査に向かう準備が進められた。
「とにかく殺人の動機を見付けなければいけない。劇団員の中に犯人がいる可能性が高いが、動機は演劇の関連ではなく、もっと別の何かである可能性が高い」
 セバスティアヌス警部は、万年筆で談話室にあるデスクの上をトントンと叩きながらそういった。
 名探偵サウザンドアイズは、フランシスと話しあっていた。フランシスは、魔術師ミラージュを尾行したいと考えていた。
「私はミラージュが最も怪しいと考えます。尾行すべきですわ」
「本気で尾行をお考えですか・・・ しかし、彼が帰宅したら、あなたはどうする気なのですか? まさか、彼の家に侵入したりはできないでしょう?」
 と、サウザンドアイズは、ややあきれた顔をして訊いてみる。
「それはそうですわ。でも、彼は帰り道の途中で、何か証拠物を捨てたり隠したりするかもしれないじゃないですか」
 フランシスは、強気な声音で主張した。その真剣な表情をみるに、彼女は、かなり《魔術師が犯人説》にのめり込んでいる様子だった。
「私は反対ですね。今までの事情聴取などを思い返してみても、私にはミラージュが犯人とは思えませんよ。彼は、非常に頭の良い男に見えます。自分に嫌疑が掛かる方法で殺人は犯しませんよ。あなたの尾行は、きっと徒労に終わるだけですよ」
 サウザンドアイズは、確信めいた口調でいった。
「そうですか・・・ 残念ですわ。でも、あなたがそう仰るのなら、ミラージュの尾行はやめにしますわ」
「それよりもあなたは、ファーガスの居宅の方に行くべきです。そして、そこでの警察の捜査の内容を、後から私に教えてくれませんか?」
「それはもちろんOKですわ。あなたは一緒に来ないのですか?」
「私は行きません。疲れましたからね。難事件を解決するためには、何よりも休養が第一です。心身ともにリラックスしなければ、私の灰色の脳細胞は働きません。(本当に脳細胞が灰色をしているのかどうか、その点については、私は大いに疑問なのですがね!)私は自宅に帰って推理小説を読みます。『オリエント急行の殺人』。それに、『メソポタミアの殺人』も読みたいですね」
 サウザンドアイズは悠然という。フランシスは、この名探偵はエルキュール・ポアロに少し似ていると思った。サウザンドアイズは、知性的な小男で、安楽椅子探偵のタイプだ。
 フランシスはサウザンドアイズと別れた。
 その頃、朝は晴れていた冬の空は、次第に曇りはじめていた。
 《不可思議な殺人事件》は、まだその幕を切って落としたばかりだった。この村を襲った《第二の不可能な殺人事件》は、《第一の不可能な殺人事件》よりも、遥かに驚異的で恐ろしかった。それは、《悪魔の仕業》としか思えない凄惨な殺人事件であり、そして密室殺人事件でもあった。
 その密室殺人事件は、悪夢のように人々の記憶に残り続けた・・・

 第七章 椅子に縛り付けられ、喉を掻き切られていた男

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