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適応障害で退職→絶望→世界の日本好きと動物たちに囲まれた理想の暮らしが現実になるまでのお話 | 自己紹介

こんばんは、EIKOです。今夜は、なぜ私がnoteを始めたのかについてお話したいと思います。

今、もしあなたが、将来に不安を抱えていたり、心が壊れてしまいそうなほど辛い思いをしていたり、あるいは、いつか、静かであたたかな空間で、好きな暮らしや仕事ができたら、、と思っているのであれば、

もしよければ、
今夜は少しだけ、ここで立ち止まってみてください。

私は今、夫婦で営む小さな会社を経営しながら、オンラインで日本語を教える仕事をしています。

家族はヒト・ネコ、そしてヤギ。

仕事の合間に料理をつくったり、ヤギと一緒に裏庭の斜面を一緒にのぼって、遠くの山に落ちる黄金色の夕日を眺めたり、庭の木々に集まる鳥たちのさえずりに耳を澄ませたりしています。

1年に数回は、オンラインの向こうの世界に住む生徒さんたちが、国境を超えてわざわざ家まで遊びに来てくれます。

日本語、時々英語で、一緒にご飯を食べたり、ネコたちと遊んだり、ドライブしたり、プレゼント交換したり。

でも、この暮らしが現実になる前、「シニガミ」が常に私の横で牙をむいて立っていたように思います。


noteをはじめた「きっかけ」

まず、お話を始める前に、私に「書く」という勇気を与えてくれたのは、noteで2万人ものフォロワーさんを持つ「天豆」さんという方の言葉です。

2週間ほど前でしょうか?慢性的な過敏性胃腸炎に悩まされている私は、この日も外出先で急にお腹が痛くなってトイレにかけこみ、痛みで脂汗を滲ませていました。「がんばれ。大丈夫。もう少ししたら良くなる」と意識を失いそうになる自分を励ましながら、現実逃避をしようとスマホをカバンから出し、ここで、いつもならSNSチェックをするはずなのに、

なぜだか、 その時Googleを開き、なぜだか、このnoteの記事が目に入ってきたのです。

誰だろう?

タイトルをタップして、腹痛の波がひいていくまで約5分。

ひいていく痛みの波に変わって、私の中の何かが芽吹いたような、これまで封印していた感性が静かに開いたような不思議な感じがしたのです。

ー言葉で生きる力ー なんて夢のような響きだろう

わたしにも書けるだろうか。
そもそも私にそんな「価値」があるのだろうか。

トイレから出て手を洗いながら鏡に映る私に、気づくとそう心で問いかけていました。

そして、家に帰るとすぐに天豆さんのメンバーシップになり、メールマガジンに登録し、Udemyのコースを購入して、

気がつけば、夢中で学びはじめていました。


激務と心無い言葉たちに傷つき、適応障害へ

5年前、私はとある外資系のHR(人事)でした。本社からの強いプレッシャーの中で職場は常に殺気立ち、社員の苛立ちの矛先はいつもHRでした。組織開発に情熱を傾け、「誠意ある言葉」で社員を勇気づけても、焼石に水の状態でした。HR1人の言葉ではどうすることもできませんでした。

私の言葉は誤解され、悪意に満ちた言葉が噂となって私の耳に流れてくる

まさに四面楚歌そのものでした。

そして、ある日プツンと自分の中の糸が切れ、会社に行くことができなくなりました。

心療内科では、適応障害と診断され、3ヶ月の休職となりました。
しかし、復帰の目処は立たず、会社からは退職を促されました。

その頃の私から見る世界は、夫を含め、全てが恐怖の対象ー「敵」でした。

私は人を怒らせてばかりだという意識は、私をも「敵」とみなし、自らを攻撃し始めました。
生理は止まり、食事をすると腹痛に襲われ、朝目が覚めると回転性眩暈と頭痛で起き上がることもできませんでした。さらに原因不明の激痛で意識を失い、救急車に運ばれました。

不眠症となり、夜の帳が下りた闇の中、冴えざえとした意識でこのまま消えてしまえたらと祈る私がいました。


オンライン日本語講師、という仕事を偶然に見つける

そんな私の転機は、ふとインターネットで目にした「オンライン日本語講師の方が書いたブログ」でした。

なぜだか、その時Googleを開き、なぜだか、この記事が目に入ってきたのです。

誰だろう?

タイトルをクリックして、記事を読み終わるまで10分。

気づくと、無我夢中でその方が使っているというプラットフォームを探し、藁をも掴む気持ちで登録作業をしていたのです。


激務でしたが心ある言葉たちに救われ、理想の暮らしへ

それからは、「日本語教授法」に関する猛勉強&猛実践の始まりでした。

「日本語を無意識で使えること」と
「日本語を意識的に理解し、外国人にわかりやすく伝えること」は
まさに雲泥の差があることをまざまざと思い知らされました。

朝9時から夜の0時、1時まで、無我夢中で生徒さんと向き合い、レッスンの合間に「日本語」について勉強をし、教材をつくり続けました。
さらに、日本語を全く知らない生徒さんには英語で伝え合う必要があったので、英語を再勉強し、さらには言語を学ぶプロセスを私自身体験・理解したかったこともあって「韓国語」も学び始めました。

実は、勉強を含めた業務量だけで言えば、これまでのどの仕事よりも「激務」だったかなと思います。

でも。

適応障害の再発どころか、どんどん元気になっていったのです。

なぜか。

日本の文化が好き。
日本人の考え方が好き。
日本語という言葉が好き。

そう話してくれる海外の生徒さんたちと、言一言、英語と日本語で対話を重ねる日々。

最初は言葉が出てこなかった人が、少しずつ、自分の気持ちを日本語で語れるようになっていく。

「伝わった!」と目を輝かせる瞬間に、何度も立ち会いました。

そして不思議なことに、彼らの言葉の成長を見守るうちに、少しずつ、私自身の心と言葉も再び呼吸をし始めたのです。

「先生の言葉に救われました」

「EIKOさんの言葉を信じて勉強を続けて日本語能力試験にも合格しました!」

「先生のおかげで、日本がもっと好きになりました」

そう言ってもらえるたびに、

かつて「自分の言葉には価値がない」と信じ込んでいた私の中で

ああ、私の言葉に喜んでくれる人がいる
「ありがとう」と感謝してくれる

という「言葉たち」が命をふきかえしてくれたのです。

「自分には価値がない」と信じ続けると、人はその言葉どおりに、自分で自分を追い詰め、気づくと、「シニガミ」がそっとあなたの中に入り込んできます。

まさに、5年前の私がそうでした。
私は、私自身が作り出した「呪い」に苦しめられていたのです。

逆に、たった一つの言葉で、たった一度の対話で、私は、私の中にある「価値」に気づき、そして、生かされていったのだと思います。


改めて、なぜnoteを始めたのか

今、このnoteを書いている時点で、私は51歳になろうとしています。
適応障害を発症して退職を余儀なくされたのが46歳でした。
当時、「会社員」でしか収入を得ることができないと信じ込んでいた私にとって、この年で、しかもメンタルがポンコツになってからの退職というのは、

生きる術を失ったのも同然でした。

将来、どころか、明日生きるためにはどうすればいい?
生きるために、どうやって働けばいい?

毎日が不安という闇の中でもがいていました。

でも。

スピリチュアルでも、なんでもなく、
私が私の中の「価値」を心から信じた時、世界は私を救ってくれました。

そして、今、世界の日本好きに日本語で対話をするという仕事を作り、自ら作った会社の会社員となり、これまでの会社員時代と同じぐらいの収入を安定して得られるようになりました。

もし、今のあなたが

将来に不安を抱えていたり、
心が壊れてしまいそうなほど辛い思いをしていたり、

あるいは、

いつか、静かであたたかな空間で、好きな暮らしや仕事ができたらいいな、と、ぼんやりでも思っているのだとしたら——

ほんの少しでも、

その不安が安心に変わるきっかけになったり、

その辛さが、少しだけ軽くなったり、

「いつか」という言葉が、

現実の目標として輪郭を持ちはじめるような

  • 「自分価値」の見つけ方

  • HSP/内向的な方こそ、おすすめしたい仕事、働き方

  • お金の呪縛から解放されるための仕組みづくり

  • 50代からでも、女性でも、静かで豊かな暮らしと仕事を同時に育てていくための心の準備

についてお伝えするために、今準備を進めています。

かけがえのない、あなただけにしかない価値を、昔の私のように捨ててしまうのではなく、

その価値を育てていくために、あなたのエネルギーや大切なお金を使う!
と覚悟を決めた時

必ず、世界はあなたを救ってくれます。

きっと大丈夫。このnoteと縁ができたあなたは、きっと、新しい一歩への準備ができるはずですから。

読んでくれてありがとうございました。また会いましょう。


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EIKO|HSPの「感性」を「資産」に変える経済設計 サポートへの温かいお心に深く感謝いたします!クリエイターとしての活動費に使わせていただきます!