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映画『結局珈琲』感想

予告編
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下北沢

 下北沢に実在する喫茶店『こはぜ珈琲』を舞台にした本作。昨年新店舗へと移転したそうなのですが、旧店舗を映画に残したいということで映画化されたのだとか。

 個人的に下北沢へ行く機会は少ないものの、本作に関しては下北沢、ないしは下北沢周辺の映画館で観れば良かったかな、なんて。


 

 「下北沢」って、どこか特別な雰囲気がある。「文化」と呼ぶほどじゃないかもしれないけど、空気というか。飲食店にせよアパレルショップにせよ、何せよ「下北沢にある」というだけで見えざる付加価値が乗っかるような。ある種の聖域というかさ。
 下北沢で暮らす、或いは働く方々にだって、帰属意識みたいなものがあるんじゃないかな? いやもちろん、地元やその地域への意識ということでいえば下北沢に限った話ではありませんが、下北沢は特にそういったものが色濃いように思えてしまうのです。

 道ですれ違う人や店員さん、あとは電車の中で見掛ける人とか、「この人ってどういう方なのかな?」と思うことはないだろうか。無論、そこまで強く訝しむわけではなく、「カッコイイ人だなぁ。モデルさんとかかな?」とか、はたまたお喋りの内容が耳に入ってきて「この人は資格の勉強かなにかでもしているのかな?」とか。そんな程度の感覚。そういった想像(≒妄想?)が下北沢という聖域だと、他の町以上に捗る気がしてならない。


 

 前置きが長くなりましたが、本作はそういう映画。主人公の女性(藤原さくら)は、一人で喫茶店に訪れ、本を読んでいる……ようで読んでいないというか。何をするでもなく、近くに座った男性二人組のお喋りとか、常連さんと思しきお客さんと店員さんのやり取りに耳を傾けている……ようでいないような笑。
 たまたま近くに座った誰とも知らぬ人たちへ向けられる「この人たちってどういう方々なのかな?」感は、なにも彼女の心情だけに限った話ではない。観客にすら、それぞれの登場人物の素性が明かされない。もっと言えば、主人公についても明示されない。「この人ってどういう方なのかな?」感は、冒頭から漂い続けていく。
 それこそ、エンディング後まで。(なのでエンドロールになっても離席しないことをお勧めします。)

 


 そんな本作のエンディング曲もまた、以上までに述べたことを象徴しているかのよう。

これは映画のエンディングで流れてくるような曲
大切なことを言ってるようで、何も言ってない

いい曲に聞こえるけど それは多分に物語の力によってる
そりゃ、そういうもの

街のすみで待ち合わせしよう
チーズケーキを食べに行こうよ

10分後にはみんな歌のことなんかぜんぶ忘れて
太陽の下で冷たいものを飲んだりする

ひとりで自分の影が歩き出して
そして
「おーーい、先に行ってるよーー」
ってね。

曾我部恵一『エンディング』歌詞

 なんかもう、『結局珈琲』そのもの。

 55分という上映時間も相まって「『結局珈琲』という映画を観に来た」ではなく「ふらっと喫茶店に立ち寄った」とさえ錯覚させ得る。たまたま見掛けて「この人って…」なんて考えたりした見知らぬ誰かのことも、見聞きしたお喋りや音楽のことも、10分後にはぜんぶ忘れていることだろう。


 

 さて、ここまでの話だけでは、あまりにも無意味・無価値な時間だったかのように誤解されかねない(無論、僕の拙筆のせいではあるのだが)。「大切なことを言ってるようで何も言ってない」かもしれないけれど、何も無いわけでもない。


 ある時、いつものようにコーヒーを飲もうとする主人公。しかし、どうやらポーションミルクを入れ忘れていたようだ。ルーティンとまでは言わないまでも、行きつけの喫茶店、いつも通りのひととき。にも関わらず忘れてしまった。ポーションミルクって、そこまで重要な存在じゃないのかもしれない。とはいえ、無くなったら無くなったで、何かが違う

 仕事の合間、日常のちょっとした隙間。たとえば「55分」。一時間にも満たないけれど、一息つくだけで、また現実の日々に戻れる。その頃には喫茶店で過ごした時間のことなんてきっとどうでもよくなっていたり忘れていたりする。でもその小一時間があるのと無いのとでは、何かが違うのだ。



 結果として、主人公にとっても、他の常連客にとっても、『こはぜ珈琲』はそういう存在だったかのように描かれる。
 他方、そうやって特別な空間を共有していながらも、各々については「めちゃくちゃ他人」と提示されるのも不思議。

 そう、確かにめちゃくちゃ他人なのだ。なのに、一人ではない気にもなれてしまう。本項前半で「帰属意識」だとか「聖域」だなんて言葉を用いたのは、そんな理由から。


 『エンディング』が映画のエンディング曲っぽく聞こえるのは、物語のせい。「こう感じる」「こう思う」「気がする」には、無意識に働く「〇〇のせい」がある。それぞれが無関係で、各々で異なっていて、でもどこか共通していそうな、気がする。
 その集合が「下北沢」という聖域であり、帰属意識であり、そして最後に僕なりの言葉で落とし込むなら、至高の「ごっこ遊び」みたいなものなんじゃないかなと。

 もちろん、敬意を込めて。


 

 冒頭でこそ「下北沢の映画館で観れば良かった~」なんて述べましたが、下北沢以外で観たからこそ、こんなことを考えてしまったのかもしれない。

 たまにしか訪れない僕にとって下北沢はどこか特別で不思議な存在なのだと再認識もできた。日々の隙間に、小一時間、ちょっと喫茶店に寄ったような、そんな一本でした。


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