【天王山】天下分け目の代名詞を考察
天下分け目の戦いはどちら?
天王山山頂へと続く途中にある陶板絵図「秀吉の道」の解説読むたび気になっていたことがある。
実は「関ケ原」が天下分け目の合戦地だと思っていたからだ。
今回はどうして天王山が天下分け目の代名詞と言われるかについて触れてみたい。


中国地方を攻めていた秀吉は、家臣明智光秀の裏切りにより討たれた織田信長(本能寺の変)の敵討ちのため京都に引き返す。
光秀は山崎の戦いで秀吉(当時羽柴秀吉)に敗れる。
天下分け目の戦いは調べれば調べるほど、豊臣秀吉が明智光秀と戦った山崎ではないか?と思えてくる。
天下統一した武将といえば豊臣秀吉、その後継承したのが徳川家康。
家康は秀吉の継承なく天下統一を成し遂げることができただろうか。
というわけで、天下分け目の勝敗は、
徳川家康と石田三成が戦った「関ケ原」ではなく、
「山崎」に軍配があがりました。
あくまで個人的に😅
なお、天王山のある京都府大山崎町ホームページによると実際戦いがあったのは天王山ではなく東側の湿地帯とのことです。

記事最後に
山頂で足元に伸びていた白いきのこ
調べたところ「オオシロカラカサタケ」という毒きのこ?のようです。
見た目かわいいのにね。ただし素人のため断定はできません🙇

最後まで読んでいただきありがとうございました。
