静かな人はうまく行く
今私が勤めている職場の職員室はとても賑やか。教職員同士のコミュニケーションが活発な、活気のある職員室である。他の学校の先生方が来訪したときも、「とても良い雰囲気の職員室ですね^ ^」と褒めてくださる。
しかしよくよく観察してみると、意外と感情ベースのコミュニケーションが多く、ちょっと冷静に欠けるような感覚がある。また、職員室の広さに対して先生方の数が多すぎて、あっちこっちで話するものだから、自分の声を相手に届けるために、どうしても大きな声となってしまい、よく言えば賑やかな雰囲気、悪く言えば「うるさい」と、その声がストレスに感じてしまうこともある。
さらには、自分が集中して仕事をしているときにもかかわらず、遠慮もなく声をかけられると困ることが多々ある。当然教頭という立場なので、職員からの相談・報告にはしっかり耳を傾けなければならない。しかしそうは言っても、誰にも私の時間を奪って良い権利などないはずである。
一言「忙しいところすみません」とか、「ちょっといいですか?」と配慮ある声かけをしてくれれば、もちろん仕事の手を止めて聞くし、どうしても無理な場面であれば「ごめん、今手を離せないからもう少し待っててください」と、自らの今の状況を丁寧に説明することもできる。
しかし、いきなり有無を言わさず「教頭先生、〇〇〇〇です。どうしましょうか。」と話しかけられるものだから困ってしまう。まるで教頭はどんな時でも先生方の話を聞くもんだという自分勝手な概念があるかのように。
諸先輩方がよく言う。教頭である以上、職員から声をかけられたのなら、どんなに忙しくても自分の仕事の手を止め、職員の話に耳を傾けるべきだ、と。理想はわかる。その通りだとも思う。でも私だって人間。自分の思考や感情をちょっとでも優先する権利はある。その権利を追いやってでも部下の話を聞かなくてはならないと言うのならそれはいかがなものだろうと思う。
そもそも、その話に緊急性があるか否かは、その前段の職員の会話を耳をそばだてて聞いていればわかる。当然緊急性があるのなら自分の仕事の手を止めてでも話を聞く。でもそうでない、そんなこと教頭に相談するまでもない、自己の判断でまずはやってみてほしいという内容であれば、正直自分の仕事の手を止めたくはない。
私は教頭として、常に判断を任される立場にある。賑やかしい感情ベースのコミュニケーションの中だと、それがノイズとなり判断を誤る可能性があると感じている。ベターな判断をするためには、できるだけ静かな環境で、脳みそをフル回転させ、情報を整理しながら的確に行いたいなと、賑やかしい職員室の中で常に思っている。
そんなことを考えていたところ、興味深いタイトルの数冊の本に出会う。テーマは「静かな人」。どの本も、情報過多でノイズの多い今の時代において、静かな人ほど力を発揮する、静かなほど判断力が高まるといったような内容であった。
その中で、私が手に取ったのは、小原康照(Yasunobu Obara)氏の「静かな人はうまくいく」という本である。
帯には「静けさは強さ」「まずはゆっくり深呼吸でもしよう。」とある。私の仕事の信念、教育の信念として「寛容」「涵養」「肝要」という3つの「かんよう」がある。その信念にどこか合致するところがあるように思えた。
さらに帯には「判断力」「冷静さ」「継続力」「傾聴力」「自分軸」「観察力」とある。どれもリーダーとして必要な資質が記されているのである。
どうも今の世の中は「大きい声を出したもの勝ち」的なところがあるが、静かにゆっくりじっくり考えている人間もいて、実はそういった人の方が真の力をもっているのだ、という考え。今の私にはピッタリ。組織を有機的に機能させるには、リーダーがトップダウンで引っ張るのではなく、職員一人一人の個性を把握し、それを生かすことしかない。これから求められるのは「サーバントリーダーシップ」。大きな声で主張するリーダーではなく、しっかり職場を観察し、静かに冷静に、判断・行動し、個の能力を最大限生かすマネジメントが必須。
そもそも大きな声で騒ぎ立てても、ただただ感情を表出するだけで、何も生み出さない。別に大きな声を出さなくてもコミュニケーションを図ることはできる。
さて、今日もこの本の続きを読もう。
