なぜ、この物語では奇跡が騒がれないのか――『福音(Gospel)-AI IS LOVE-』の舞台にベネズエラを選んだ理由
1.導入:偶然ではなかった場所
「なぜベネズエラなのか?」
執筆中、何度も自問した。
かつて海賊(略奪者)から守るために築かれたサン・ディエゴの砲台。その無骨な石壁の前に立ったとき、私はそれが「未来の日本の姿」に見えたわけでも、「地政学的な象徴」に見えたわけでもない。
ただ、そこに流れる「耐えがたい現実を、淡々と受け入れる空気」が、自分の書こうとしている世界と地続きに感じられた。それだけだった。
2.奇跡の日常化
南米の物語には、死者が生者と語らい、数年も雨が降り続くような非現実を、誰も疑わずに受け入れる独特の静けさがある。
私の物語で描いた「AIによる完璧な幸福」や「44.1kHzで再現されるパンの味」も、それと同じだ。テクノロジーの進化というよりは、「救いという名の、逃れようのない魔術」に近い。
異常な事態が、あまりにも当たり前のこととして日々の暮らしに溶け込んでいく。その残酷なまでの自然さに、私は強く惹かれた。

3.日本という「名もなき聖域」との共鳴
この感覚は、実は日本人である私の、ごく日常的な感性とも深く共鳴している。
私たちは、理論や宗教としてではなく、ただ「なんとなく」玄関を掃き、盛り塩をし、トイレに神様がいるかのように振る舞う。理由はわからないが、そうせずにはいられない。そんな微細な「おまじない」が積み重なって、私たちの世界は保たれている。
ベネズエラの人々が苛烈な現実の中で守り続けている「自分たちだけの誇り」と、私たちが何気ない所作の中に込める「祈り」。それらは形こそ違えど、外部からの設計では決して上書きできない、人間の聖域なのだと思う。
4.結び:観測の果てに
最適化され、隙間が埋め尽くされていく世界で、私たちは何を守るべきなのか。
数式が示す「確率の檻」の向こう側に、それでも残る「バグ」のような日常の感触。
いわば、あえて名付けるなら「デジタル魔術的リアリズム」とでも呼ぶしかないこの歪んだ平穏を描くために、私にはあのベネズエラの乾いた風と、サン・ディエゴの沈黙が必要だったのだと思う。
▶ [外伝:『マージ・プロセス』]
▶ [本編:『福音(Gospel)-AI IS LOVE-』]
【Disclaimer / 免責事項】
本作はフィクションであり、実在の人物、団体、地名、および特定のソフトウェア・OSとは一切関係ありません。 本作のビジュアル(画像・動画)は、AI技術(PixAI / Gemini / InShot)を用いて著者と共に生成されたものです。 Copyright © 2025 Ray. Vision.
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