見出し画像

未来は与えられない──社会条件を扱うという考え方

──これは提言ではなく、問いとして書かれた文章です。──
  #思考実験 #社会 #倫理 #問い #枠


社会課題を前にしたとき、私たちはしばしば「予測」に期待します。犯罪、貧困、孤立、暴力、再犯──それらを事前に見抜き、未然に防ぐことができればよい、と考えるのは自然なことです。しかし現実には、個人の内面や将来の行動を正確に予測することはできませんし、仮にできたとしても、それを社会が扱うことには大きな副作用が伴います(O’Neil, 2016;Eubanks, 2018)。

私は、社会が個人の内面に介入すべきだとは考えていません。できないからではなく、してもメリットがないからです。人格を尊重する社会と、人々を危険や不安から守ろうとする社会は、しばしば対立して語られますが、私にはそれが「個人対社会」の問題には見えません。対立しているのは、同じ社会が同時に持つ二つの統治のあり方です(Foucault, 2004)。

短期的な是正や個別対応では、社会の負荷は減りません。むしろ制度疲労や人材不足、資源制約によって、問題は蓄積し、再生産されていきます。このとき問うべきなのは、「誰が危険か」ではなく、「どの条件が、その傾向を生み続けているのか」です(Clarke, 1980;Kelling & Wilson, 1982)。

私はこの考え方を、狩りの戦略になぞらえています。狩りとは、獲物を一人ひとり追い詰める行為ではありません。地形を読み、季節を見極め、通り道を押さえ、時間をかけて環境に働きかける行為です。同様に、社会ができるのは、特定の人を変えることではなく、特定の事象が起こりやすい条件を長期的に変えていくことです(Clarke, 1980)。

この発想に基づいて、私は社会条件を扱うシミュレーションツールを設計しています。そこで扱うのは、個人の属性や心理ではありません。施策や介入がどの程度の範囲に届くのか、どの程度の効果が見込まれるのか、そして何もしなかった場合に状況がどの方向へ推移するのか──そのような、社会の選択と配分に関わる最小限の変数です(Epstein, 2006)。

このツールは、未来を当てるためのものではありません。数値は命令ではなく、条件付きの推移を示すにすぎません。重要なのは、予測によって判断を免責することではなく、判断がどのような前提の上に成り立っているのかを自覚することです(Epstein, 2006;O’Neil, 2016;Eubanks, 2018)。

ここでいう「社会条件」とは、特別な制度や巨大な政策だけを指すものではありません。人が日常的に触れている「行動の前提条件」のことです。

例えば

・相談できる場所があるか
・孤立したときに誰かが気づく仕組みがあるか
・失敗したときに再挑戦できる余地があるか
・小さな逸脱が大きな破綻に連鎖しない構造になっているか

こうした条件は、法律の条文ではなく、社会の設計によって生まれます。つまり、未来とは「誰かが与える結果」ではなく、どのような条件が配置されているかによって生じる確率分布なのです。

未来を固定された結果としてではなく、条件によって変化する「確率の分布」として捉える視点は、実はデータ科学の分野でも重要な考え方になっています。

たとえば、コロンビア大学の統計学者David Blei が提唱した確率的トピックモデルは、膨大なデータの中から潜在的な構造を推定する方法です。

この手法では、一つの出来事を単一の原因で説明するのではなく、複数の要因の組み合わせがどの程度の確率で現れるかを考えます。

この発想を社会に当てはめるなら、未来とは一つの運命として与えられるものではなく、さまざまな条件の重なりによって生まれる確率的な結果だと言えるでしょう。

だからこそ重要なのは、結果そのものを後から裁くことではなく、結果を生み出す条件をどのように設計するかなのです。

もちろん、個人の選択や責任が消えるわけではありません。しかし、どのような選択肢が存在するか、どこに出口があるのかは、社会条件によって大きく左右されます。

個人を責めることと、条件を設計することは、対立するものではありません。むしろ両者は補完関係にあります。社会が扱うべきなのは「人の意思そのもの」ではなく、意思が働く環境条件なのです。

未来は、与えられるものではありません。どこかに既に存在していて、それを読み取ればよいものでもありません。社会の未来は、選択の積み重ねとして、あとから形をとります。だからこそ、私たちは「当てる」ことよりも、「どう選び続けるか」に責任を持つ必要があります。

ここで述べた考え方は、万能の解決策ではありません。しかし、無自覚な最適化や、判断を機械に委ねてしまうことに比べれば、はるかに誠実な立場だと考えています(O’Neil, 2016;Eubanks, 2018)。この文章は、その立場を共有するための、ひとつの試みです。

そして、その決定の場に、あなた自身は立っているでしょうか。

社会が条件を扱うという発想を採るとき、私たちは一つの選択を迫られます。それは、未来を「当てにいく対象」として扱い続けるのか、それとも、自らの判断と責任の所在を問い返すための鏡として扱うのか、という選択です。

あなたが今立っている社会において、未来は誰の前提の上で、どのように扱われているでしょうか。そして、その前提は、本当に引き受けるに値するものでしょうか。

—— ray.vision



参考文献
・Clarke, R. V. (1980). Situational Crime Prevention: Theory and Practice.
・Epstein, J. M. (2006). Generative Social Science: Studies in Agent-Based Computational Modeling.
・Eubanks, V. (2018). Automating Inequality: How High-Tech Tools Profile, Police, and Punish the Poor.
・Foucault, M. (2004). Sécurité, Territoire, Population.
・Kelling, G. L., & Wilson, J. Q. (1982). Broken Windows. The Atlantic.
・O’Neil, C. (2016). Weapons of Math Destruction.


[SYSTEM_LOG] 遡及的な観測を確認。パターンの一致は、必ずしも意図を意味しない。


いいなと思ったら応援しよう!

ray_vision 読んでいただきありがとうございます。 いただいたサポートは、執筆やデザインのスキルアップのために使わせていただきます!