エゴの終焉
昔のメモの供養をします。だいぶ昔のメモ(5年10年とかかな?)なので、当時のチャネリングなのか?どこかの動画かブログからの引用なのか?よくわかりませんが、供養目的なのでまあ別にいいでしょう。
では書きますね。
エゴを手放すことの総括
エゴを手放すというのは、ネガティブエゴを手放してポジティブエゴのみにすることだと思っていた。
というか、エゴが残っているということさえ気が付いていなかった。
そして、残っていたのはポジティブなエゴだった。
それさえ手放します。
エゴを手放すというのは本当に言葉通りのことなんだなと気づいた。
今まではエゴに気が付いたらすぐ手放していたのだけれど、それは自分にも周りにも「迷惑な」エゴまでだった。
それで、自分の中に大切にしまっていたポジティブな意味づけをしたエゴは残したままで、かつそれを一生懸命に表現しようとしていた。
そういうものが自分の大切なものだった。
でもそれは押し付けられるものではなかった。
どのエゴもゆるす、認めたい
話題を元に戻すと、
エゴを完全に手放すというのは、どのエゴも許してしまってもうエゴのシステムを使うのを完全にやめてしまって、別のシステムを使いだすことだと思った。
エゴベースのシステム内のどんな理屈を精錬しようとそれはエゴワールド内のことでしかない。
エゴベースとは、エゴを基本理念としたシステムの総称。
どんなに高く美しい思いや概念の体現や実現に奮闘しようと、それはエゴベースであることに違いはなく、他のエゴの存在を脅かすことによりバッシングやミスマッチが必ずにして起こる。そんな気がしている。(他のエゴからのバッシング)
エゴにはエゴ独自の言い分があり、それがすべてをエゴらしくしていて丸く収まるということがない。エゴにはエゴの世界観がある。
エゴはそれを大切にしている。(そんな気持ち。)
エゴとは別のもう一つのシステム
別のシステム、というのがあって、「愛ベース」のシステムだと思っている。
私たちが一つであること。
「一つの意識が自分という形で今あらわされている」という概念。←ここが最大のポイント!
そういう意味での
「本来の自分に戻ること」
「自然な流れにまかせること」
『「他」という枠組みの個の意識の集合』なのではなくて、
『「自」という一つの意識の中でバラエティに富んでいる』無限をあらわしている。
※言いかえ
『「個」という枠組みの「他」の意識の集まり』なのではなくて、
『「全」という一つの意識の中で各「自」がバラエティに富んでいる』一つの無限をあらわしている。
恐れからくる「エゴベース」の世界観が終わりを告げ、
愛からくる「真実」の世界観に切り替わることを、
エゴシステムの崩壊と呼んでいる。
※※※
補足
当時は↑のように書いてましたが、今はより良い表現で現してます。
エゴのシステムは3Dです。愛のシステムは5Dです。
より詳しくは3D+4Dでワンセットで3Dが表の表現をする世界の事(物理性のある外の世界線)、4Dが3Dを経験して内省する世界線(裏、内側の世界線)です。3Dがホログラム製のあれやこれやを体現できうる世界、4Dがアンホログラム製のあれやこれやを体現する世界線の事です。
そして、愛の仕組みの方が、5D+6Dなので、5Dはリアル製の外の世界(表に表現してる世界線)です。6Dがその5Dを見て感じたこと学んだ事を内省する場面の事です。アンリアル製と呼ばせていただいてます。
つまりこのメモは当時、3+4Dの仕組みから5Dに移行するための決意を書いたメモだったのですね。前回5Dへのお引越しをされている方の記事を書いたのでそれと関連して、過去のメモがちょうどありましたので書かせていただきました。
※※※
ぼくのエゴもそろそろ終わりにします。
★ エゴは輝き
地に足をつけて愛するという選択の中で、「エゴを完全に手放す」というのは本当はどういったことなんだろう?
罪の意識ではなくて感謝の意識を持つ
してはいけないことを今している、というのではなくて、する必要の生まれたことを今しているんだという認識。
愚かさや幼稚さを単純に素直に、受け止められるということ
愚かさや幼稚さの存在を認めてあげられること。それらの価値観に向けて、それらが光輝く場を提供してさしあげられること。
いわゆる「努力」その人となりの努力や思いにこたえてあげられること。つまり、見返りを要求しないこと。
ネガティブに決めつけている自分の考え方
深層にあるネガティブな信念をしっかり見つめてください。
昨夜の出来事
〇 エゴを手放す
エゴを完全に手放します。それを知覚したり説明したり、説明できるようになったりするレベルから引きあげます。
それは素晴らしいものでした。
細胞レベルから
DNAレベルから
量子/波動レベルから
霊レベルから
魂レベルから
ハイアーセルフレベルから
オーバーソウルレベルから
無限レベルから
私たちはエゴを手放したいと思う。
「無限に愛する未来を選択するために、私たちはエゴを手放します。」
「あなたを認めています」 - エゴや分離に気が付かない意識のバージョン
「今のあなたを認めています」は、今のあなたの 位置 / 状況 を認めていますという意味で言われる場合があって、そういう時注意して見ているのは、Aという地点からBという地点に向かっているという意味で言われてるんじゃないよ、ということです。
普通今のあなたの状態や位置、ついてるポジションを認めているよと言われると、自分の認識できた範囲、つまりヒエラルキーや順序/序列など自分が教えられてきた環境の中にある概念、文化、古い慣習などの分離の意識から見ています。
つまり、なにか目指すべき対象物、ヒエラルキーのトップだったり自分や他の誰かが設定できたエゴの価値観から見たいわゆる”価値あるもの”を獲得するプロセスのまっただなかにいて、その中で今いるAという地点から目的地であるBという地点を見ているような構図があって、その今踏んでいる地を認められているんだ、と誤認識します。
それは文化的な背景からそうします。しかし、そこから徐々に離れていくと別の観点から同じものを見ることができます。それは分離感のない視点です。どういうことかというと、
「あなたを認めています」 - エゴや分離が残っている意識のバージョン(ぼくのシナリオ)
あなたのするどんなことも価値があります。無駄なものは一切ありません。
あなたの心からの自発性、積極性、自由意思、行動の自由を保障して見ています。
その観点からあなたを見てあなたの大いなる自己すべてを認め、受け入れています。愛しています、感謝してみています。
このように、見ている観点が全く異なり、その理由も自分の中にちゃんとあり、気づいていて、心から本音本心からそう言いたい、言わざるを得ない、そういう美しさ、すばらしさ、言葉にできない思い、感謝の気持ちから「あなたを認めています。」といっています。ということです。違いがわかるでしょうか。
あなたを認めるという言葉に含まれる感情がすべてを包み込んでいるのに気が付いていますか?
条件付きでない感覚、ありのままであるあなたを見ていますという感情、誰かになろうとしているのもわかっていてそれでもかまわなく愛しているという感覚に気が付けるでしょうか?
その観点からすると、上にかいたヒエラルキーやいわゆる”価値あり”と思っているどんなことをされていても、それは後からご自分で納得するための理由や価値に目覚めるための情報として、いまはただそれで構いませんよという意味で言われています。
エゴやその他どんな信念体系があろうとなかろうとすべてにおいて後で役立つ場面もあるかもしれないからOK、はなまるを見ている、感じている。
そういう視点があってその視点を便宜的にエゴや分離のない意識とぼくは区別したいと自分では思っています。そんな分類は実際にはあり得ないのだけれど、それで構わないと思ってそうさせてもらっています。
あなたは、分離のない意識という言葉の意味や響きにどんな感覚を抱いていますでしょうか?
どんな期待や幻想を抱きますでしょうか?こうあってほしいという概念、切迫感、イメージはありますでしょうか?ありのままを見ようとする意志やチャンスを望むでしょうか?
分離のない意識体というのはすべてしたいことをさせてもらっているということがあります。どういうことかといいますと
自分自身を多角的に見れるチャンスというのはそうはなく、自分にとって奇跡だし、相手にとって贈り物だしという
(※、、、メモはここで終わってました。)
感想
いかがでしたか?
今回はぼくがエゴの完全終焉をする段階に入ったころのメモがちょうどありましたので書きました。(どこかにすでに載せてたっけ?まあいっか笑)
補足にも書きましたが、これは3+4Dの世界観から完全に抜けて5+6Dに入りたいからその宣言というかベンチマークとして内省をメモったときのものですね。(文面がお堅いので結構前の物かなと思いますね。)
とは言え、今も普通に3Dも2Dも持っていますので、エゴは普通にあるんですけどね。消さなくて良いとは感じてます。システムをわけもわからず使うのか?わかっていて了承して使うのか?の違いなのかもとは感じてます。
エゴのあれやこれやを普通に顔面受けすればいいだけ、うわ~やっちまった~とか思えばいいだけなので、エゴ的な事も今普通に遊んでいます。ですので、完全卒業と聞いて特別な存在に成るんだろうと思い込まないで良いかなと思いますね。ある種の光だけの存在に成って背中から羽が生えて神々しくなるみたいなイメージではなく、悟りなのでこれもまた良き良きと朗らかにまぁ~るく優しく包み込んでやれる器になればいいのかなとぼくは感じますからね。
でもそのためには一度エゴのシステムから完全にはみ出てみる必要がありましたという事なんですね。
何かの参考になれば。
2日前ぐらいが満月でしたね。満月ちょうどには久々のお休みを取れました笑。ではまた~
