その『一口だけ食べて』、本当に子どものためですか?
子どもの食事は、本当に難しい。
好き嫌いがある子。
好きなものしか食べない子。
遊び食べをする子。
口に入れても出してしまう子。
一口も食べずに終わる子。
毎日子どもたちと関わっていると、本当にいろいろな姿があります。
そして、その姿を前にすると、大人にもいろいろな思いが生まれます。
「栄養が偏らないようにしてあげたい。」
「バランスよく食べてほしい。」
「せっかく作ったご飯だから食べてほしい。」
「好きなものばかり食べさせていたら、この先も偏食になってしまうんじゃないか。」
「食べてくれないのは、自分の関わり方が悪いのかな。」
「他の先生や保護者なら、もっと上手に食べさせられるのかな。」
保護者も、保育士も、一度はそんなふうに悩んだことがあるのではないでしょうか。
私も保育士として、その気持ちはよく分かります。
だからこそ、給食の時間に気になる場面を見ると、考えさせられることがあります。
「口から出しちゃだめだよ。」
「好きなものばっかり食べないで。」
「一口だけでいいから食べて。」
「デザート食べたいなら、こっちも食べて。」
「泣いたら好きなもの食べられると思ってるでしょ。」
もちろん、その先生を責めたいわけではありません。
先生だって忙しい。
クラスにはたくさんの子どもがいて、限られた時間の中で食事を終えなければなりません。
「少しでも食べてほしい。」
その気持ちがあるからこその声掛けです。
だからこそ、難しい。
でも、ふと思うんです。
もし、自分が食事をしているときに、同じことを言われたらどうだろう。
まだ口の中に食べ物があるのに、「早く飲み込んで。」
自分のタイミングではないのに、「お茶飲んで。」
まだ食べる気持ちになれていないのに、スプーンを口元まで運ばれる。
きっと私は、食事そのものが苦しい時間になってしまいます。
もちろん、「一口食べてみよう」と優しく促すことまで否定したいわけではありません。
その一言がきっかけで食べられるようになる子もいます。
でも、その促しが子どもの気持ちよりも大人の都合を優先するものになってしまったら、それは援助ではなく、強制になってしまうこともあります。
私自身、食事介助に入るときは、できるだけ子どものペースを大切にしています。
「お茶飲んでみる?」
「これも食べてみる?」
そんなふうに声を掛けることはあります。
でも、「いやいや」と首を振られたら、それ以上は勧めません。
そんなときは、私も一緒になって大げさに「いやいや〜!」と首を振ります。
すると、「違う違う!」と言うような表情で笑ってくれたり、何度かやり取りをしているうちに、気持ちが切り替わって自分からスプーンを持ち始めたりする子もいます。

気持ちの切り替えが苦手な子どもは少なくありません。
だから私たち保育者には、「食べさせること」だけではなく、「食事に気持ちが向くように援助すること」も大切な役割なのだと思っています。
例えば、スプーンに食材を乗せて、
「ガタンゴトーン、ガタンゴトーン。」
「お口トンネルを通りまーす!」
そんなふうに声を掛けながら口元まで運ぶと、パクッと口を開けてくれる子もいます。
お話が上手な子になると、
「次は消防車にして!」
「今度は飛行機!」
なんてリクエストしてくれることもあります。
すると私も、
「消防車、出動しまーす!」
「飛行機、着陸しまーす!」
と、一緒になって楽しみます。

また、一口食べられたときには、
「まる〜!!🙆♀️」
と、頭の上で思いきり大きな丸を作ることもあります。
大人が本気で大げさにやるものだから、子どもたちは思わず笑ってしまいます。
その笑顔がきっかけで、「もう一口食べてみようかな」とスプーンを口へ運ぶ子もいます。

でも、いつも何かをするわけではありません。
あえて関わりすぎないこともあります。
子どものペースで食べ進められるように近くで見守り、必要なときだけ、
「お茶飲んでみる?」
「ゆっくりで大丈夫だよ。」
そんなふうに声を掛けるだけの日もあります。
子どもは、大人に急かされるよりも、「待ってもらえている」という安心感の中で、自分から動き出すことがあります。
もちろん、私のやり方が正解だとは思っていません。
食器を変えたら食べられる子。
座る場所を変えたら食べられる子。
介助する人が変わったら食べられる子。
本当に、一人ひとり違います。
そして、いろいろ試しても食べない子はいます。
本当にいます。
だからこそ、「どうしたら食べさせられるか」だけではなく、「この子はどうしたら安心して食事ができるかな」と考え続けることが大切なのだと思います。
保護者の方から、
「保育園では何でも食べるみたいなんです。でも、お家では全然食べなくて……。」
そんな相談を受けることがあります。
反対に、
「保育園では椅子に座って食べているのに、お家では遊びながら食べていて、私が後を追いかけながら食べさせています。」
そんなお話を聞くこともあります。
「保育園ではできているなら、お家でもできるはず。」
そう思ってしまう気持ちも、とてもよく分かります。
でも、子どもにも、その子なりの"外の顔"と"お家での顔"があります。
大人も、職場では自然と背筋が伸びたり、言葉遣いが変わったりしますよね。
一方で、お家に帰るとホッと力が抜けて、ソファでくつろいだり、だらっと過ごしたりすることもあります。
子どもも同じです。
保育園では、周りのお友だちが食べている姿を見て「自分も食べよう」と思えたり、みんなと一緒だから頑張れたりします。
一方、お家は一番安心できる場所。
頑張らなくてもいい場所。
素の自分でいられる場所です。
だから、お家では甘えが出たり、遊びたくなったり、「食べさせて」と頼りたくなったりすることもあります。
それは、お家が安心できる場所だからこそ見せられる姿なのかもしれません。
だから私は、「保育園ではできるのに、家ではできない」と考えるのではなく、
「安心できる場所だからこそ見せている姿なんだな。」
そんなふうに受け止めてもいいのではないかなと思っています。

そして、もう一つ伝えたいことがあります。
子どもが食べ物をこぼしてしまったとき。
どうか、すぐに怒らないであげてほしいんです。
子どもだって、わざとこぼしているわけではありません。
スプーンを持つことも、ご飯をすくうことも、お茶を飲むことも、まだまだ練習中。
大人にとって当たり前にできることでも、子どもにとっては毎日が挑戦です。
だから、こぼしてしまうのは当たり前。
歩き始めた子が転ぶように、
言葉を覚え始めた子が言い間違えるように、
食べ始めた子は、こぼします。
それは失敗ではなく、成長の途中です。
だから、もしこぼしてしまったら、
「こぼしちゃったね。」
「大丈夫だよ。一緒に拭こうか。」
そんな言葉を掛けてもらえたら嬉しいなと思います。
子どもは安心すると、「もう一回やってみよう」と挑戦できます。
でも、
「またこぼしたの?」
「ちゃんと持って。」
そんな言葉ばかり掛けられていたら、食べることそのものが怖くなってしまうかもしれません。
私は、食べこぼしよりも、「自分で食べよう」とする気持ちを大切にしたい。
子どもは、食べないのではなく、「今は食べられない理由」があるのかもしれません。
眠いのかもしれない。
疲れているのかもしれない。
遊びが楽しくて、まだ気持ちが切り替わっていないのかもしれない。
苦手な食感なのかもしれない。
その理由は、子ども自身も言葉にできないことがあります。
だから、一日だけを見て焦らなくてもいい。
一回食べなかったからといって、自分を責めなくてもいい。
もちろん、将来はいろいろなものを食べられるようになってほしい。
だから、少しずつ経験を重ねていくことは大切です。
でも、そのために毎日の食事が親子にとっても、子どもにとっても苦痛な時間になってしまったら、本末転倒です。
私が子どもたちに残したいのは、
「全部食べなさい。」
と言われた記憶ではありません。
「ごはんの時間って楽しかったな。」
そんな記憶です。
食べることは、一生続いていくもの。
だからこそ、食卓が安心できる場所であってほしい。
子どもにとっても。
保護者にとっても。
そして、毎日一生懸命向き合っている保育士にとっても。
みんなが少し肩の力を抜いて、「今日も楽しく食べられたね」と笑える食事の時間が増えていくことを、私は願っています。
今すぐ全部食べられるようになることよりも、『食べることって楽しいな』と思える気持ちを育てることのほうが、私はずっと大切だと思っています。
