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第15回:見える場所にいても、監視していいとは限らない。データ時代の「尾行」と国家の暴走


序:



これはSF映画の話ではない。

2017年3月まで、日本の警察は対象者の車に
GPS発信機をこっそり取り付け、
24時間体制で居場所を監視し続ける行為を、
裁判所の令状(許可)がいらない「任意捜査」として
実施しうると考えていた。

「公道を走っているのだから、
誰に見られても文句は言えないはずだ。
これは昔ながらの『尾行』を機械でやっているだけである」

それが、警察という強大な国家権力が持っていた
昭和的ロジック(古いOS)だった。

しかし最高裁は、その発想に明確な停止命令を出した。

今回は、新しいテクノロジーが
もたらした「監視の質の変化」に対し、
古い捜査感覚のまま暴走した警察OSを、
司法が冷徹にシャットアウトした記録である。

アナログの尾行と「量から質への転換」

刑事ドラマでおなじみの「尾行」は、
確かに任意捜査として認められている。

対象者が家の外(公道など)に出てくれば、
警察官が後ろから歩いてついていくことに令状はいらない。

警察は、GPS捜査もこの延長線上にあると考えた。

「人間が目で追う代わりに、機械が位置情報を送ってくるだけだ」と。

しかし、この理屈には決定的なバグがあった。

人間の刑事による尾行は、
人員も体力も限界があり、
24時間365日、
対象者の全行動を隙間なく記録し続けることなど不可能である。

一方でGPSは、疲れることも見失うこともなく、
数ヶ月にわたって対象者の立ち回り先、
滞在時間、移動ルートの「全履歴」を
網羅的かつ連続的にデータとして蓄積し続ける。

これは単なる手段の変更ではなく、「量から質への転換」である。

「見える場所にいること」と、
「国家に自分の全行動履歴を完璧に把握・蓄積されてよいこと」は
全く次元が違う。
警察は、テクノロジーの進化が
プライバシー侵害の規模を
異次元に引き上げた事実から目を背け、
古い解釈を強引に適用しようとしたのだ。

私的領域への侵入

さらに、端末を対象車両に秘かに装着するためには、
警察官が対象者の管理する領域(駐車場など)に立ち入る局面も生じる。

最高裁は、こうした手法を
「公権力による私的領域への侵入を伴う」と明確に位置づけた。

いくら犯罪捜査という正当な目的があっても、
国家が国民の私的領域に無断で侵入し、
網羅的な監視装置を仕掛けることは、
法治国家の根幹を揺るがす行為である。

当事者と弁護団は、
「これは任意捜査の限界を完全に超えた『強制捜査』であり、
裁判官の審査(令状)なしに行われた以上、違法である」として、
法廷で真っ向から矛盾アタックを仕掛けた。

司法の停止命令と、引き直された限界線

2017年3月15日。
最高裁判所大法廷。
最高裁は、令状なしのGPS捜査について、
個人の行動を継続的かつ網羅的に把握し得るもので、
プライバシーを大きく侵害し、
しかも機器の秘かな装着という私的領域への侵入を伴う以上、
強制の処分に当たると判断した。
したがって、令状なしに任意捜査として実施することは許されない。

そのうえで最高裁は、
こうしたGPS捜査を適法に行うための制度は、
現行法の解釈だけで処理するのではなく、
必要であれば立法によって整えるべきだという方向を示した。

「今の古いルールの拡大解釈でごまかすのではなく、
新しい監視技術には、新しい法律(ルール)を国会で作ってから対応しろ」と、国家の安易な運用に釘を刺したのである。

これは、単に「新しい道具は怖い」と言った判決ではない。

アナログ時代の尾行と、
データ時代の網羅的監視は別物だ――その断絶を、
司法がはっきり言語化した判決だった。

テクノロジーは、常に法律より先に進む。

国家がその新しい力を古い感覚のまま振り回そうとしたとき、
その暴走を止める「364日の民主主義」の回路が機能しなければ、
私たちはあっという間に、
全履歴を監視される社会へと転落してしまうのである。

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