あ、中1はまだグレていなかったはず。
私が中学入学前の春休み、我が家はまた引っ越しをした。記事のバックナンバー「殺したい男」に書いた、
あの高校生(といってもその時はいいおっさんになっていた)の家の隣が次に住む家だ。
一戸建てに引っ越したのできっと父は出世したのだろう。そんなことは当時の自分にはどうでもいい。引越し早々ものすごく不安だったのを覚えている
また「上田」に引っ越したので、「盛岡市立上田中学校」に入学。
まだ「中央病院」も建っておらず、家から中学まで徒歩15分。走れば10分の距離、近い。
午後の授業で忘れ物をしても、昼休みにダッシュで取りに行ける。
その時姉は高校2年生。今度は姉の通学路が遠くなったが、姉はもう自転車というアシを持っているし、高校生活もなれた頃だろう。相変わらず文武両道な姉である。
このあたりは姉妹喧嘩はあまりしなかったが、そもそも4歳差は話が合わないし家でも各自部屋に篭っていたので会話も少なかったけど、それはそれで苦もなく。お互い自分の事で精一杯だったと思う。
キン肉マンはいつしかモチベーションが自然消滅し買わなくなり、自作の「きっきマンガ」も描かなくなった。でも少年ジャンプ系の漫画は好きで「三年奇面組」とか読んでいた気がする。
絵は描いていたが思春期突入したばかりの私。
マンガより友達の顔や、友達が好きなアイドル、友達が好きな先輩。当時スマホなんか無かったし、カメラだってデジタルではない。故に「似顔絵屋」として繁盛したw(商売はしていないが)
そして中学生活はまた別な忙しさがあった。
入学早々一年各クラスに、竹刀を持った応援団が来た。
恐怖の応援歌練習が始まるぞとただお知らせすりゃあいいのに、応援団長が最前列の机を竹刀でガンガン叩いて怒鳴る。一年生がビビって黙っていると
「返事い!」
と、さらに怒鳴る。
必死で「はい!」という。
「聞こえねえ!返事い!」
最近まで小学生の私たちから見たら、中学3年生はずっと大人だ。背も高いし、下手すりゃ男子はうっすらヒゲも生えている。女子も大人っぽくて怖い。
先生もこの「洗礼」は当たり前のようにニヤニヤして黙認。
制服は男子は学ラン。先輩方は短ラン、または長ランにツータック(裾細め)またはボンタンの学ラン。
女子はグレーの吊りスカート、不良は長めのスカートに、上はブレザーは着ずに前空きチャックのジャージ。メッシュの靴下。中ズック(上履きのことね)のかかとは潰す。
通学ザックは芯を抜いてペッタンコ。
私の学年のひとつ上から(多分全校生徒)ジャージの上はトレーナー切り替えの時期で、その前は前チャック。色は小豆色で袖には白い二本線。
不良は前チャックがステイタスだったのか謎だが、ちょっと目立つ生徒はほぼ前チャック。
ジャージズボンは裾に太いジャージ生地の紐がついており、かかとに引っ掛けて履く。
まあ、いずれ2年生からひもを切って二つ折りに、つまりストレートにするのが流行り。
(今思うとクソダサい)そしてサイズは大きめ。
中には裾を縦に折ってから折り曲げ、今でいうバルーンスタイルにアレンジする。
(ダサい)
いわゆる絵に描いた不良と普通の生徒の差が大きい。
普通の生徒もザックの芯ぬきとジャージズボンの裾折りスタイルは流行りなのか三年生はほぼそれだ。
そして一年でもイキった奴もいた。まあ3年生に兄か姉がいる子(そこそこ兄姉が不良だと特に)はドヤ顔だ。
兄弟がいなくても目立つ子もいたが、ソッコウで先輩方数人に便所の前で囲まれ、正座させられて説教w w
一年生は校則に従い中途半端な長さの白いソックスだ。ずり落ちないようにソックタッチというノリみたいなもので固定する。
怖ーーーーーーーーーーーー!ダセーーーーーーーーーー!
まさにビーバップハイスクールが流行った時代。
まだジュニアハイスクールなのにな。
ほやほやの一年生は先輩に怯えながら、生徒手帳に書かれた数曲ある応援歌を全曲暗記しなければならないという過酷なミッションから始まる。平家物語の冒頭の方が簡単だ。
ちなみに高校でもあった。高校の方が怖い。姉も必死でコソコソ覚えていた。
いや、今ね、そんな状況映画やドラマ、または古い漫画で見るくらいでしょう?
一応上田中学校ってそれなりに進学校なんだけど、いたんです。不良&ツッパリ。腐ったミカンが。
まあ、近所の盛岡一高にもいましたし、あそこは応援団バンカラですしね。
と、ここまでを語ると「昔はあーだこーだ」とまるで中年あるある老害一歩手前みたいな昔語りみたいですが、単に自伝の時代背景の説明なので、一応私は実際はあまり若いモンの前では語りません。(まず現在22歳の娘に冷ややかに見られます)ご安心を。
ちなみに私も一回メッシュの靴下を履いたら囲まれたことがある。
だってそっちの方が可愛いじゃん
といっても私は一年生の頃は普通の部類で「ただの明るい中学生」と自称。
当時男子にスカートめくりをされたが、久慈市できたえた気性ゆえ、追いかけて飛び蹴りくらいはしていた。ライダーキックが得意だったのだ。
そして入った部活は姉の真似してバスケット部。
といっても一年生、当時の部員はスポ少上がりの方が少ない時代。中学デビューが多かったので、ほとんど基礎筋トレなのだ。腕立て伏せ、背筋、腹筋、そして空気椅子。
空気椅子は足を肩幅くらいに開いて中腰。かかとは上げる。両手は水平に広げ、数十分。
時々先輩が踵の下に爪先を入れてもっと踵を上げるように。と指導。
一番しんどかったのがそれ。
おかげで今でも細い足ではない。
先輩にタオルを渡す、コートのモップがけ、ボール磨きなどの雑用。
着替えも先輩の後。
さらに「バスケ部12ヶ条」ってのがあった。
「1、体育館に入る前に、お願いします!という」
「1、コートに入る前に、お願いします!という」
先輩には敬語など。まあ、挨拶は基本。
先輩方がバスケをしているコートの外側に一列に並んで
「ふぁいとーーーーがんばーーー!」
と連呼する。
もう恥ずかしい通り越して無。
「私は何をしていたのだろう?」
現在は少子化問題であるが、私の世代はベビーブームで、とにかく溢れていたのだ。
一年生はよっぽど上手くないとコートにすら入れてもらえない。
説教は連帯責任。上田中学校は体育館が2階にあり、1階は2階の体育館の半分くらいの広さの柔剣道場、もう半分は屋外ピロティと言って、砂利の敷かれたスペースがある。
そこに正座w w w w足が砂利でボッコボコになった。
他、先輩たちが部室に集まり、一年生を一人ずつ入れて、何かしらの説教またはアドバイスをするという謎の会も時々行われ、外で待っている一年生は強制空気椅子。誰かが長いと地獄。
私の番が来て部室に入ると、先輩たちは荷物を置く高い棚の上にズラッと座っていて、床に正座をさせられ色々言われる。
私は特に説教はなかった。先輩には逆らわないし、挨拶もしたし。まあ。当時はマジメな方。
中には棚の上からドリブルされ、ボールがあたった子もいたとか・・・
そんな恐怖のカースト制で鍛えられたわけだ。
冷静に考えたら「バスケ、してねえじゃん」と思うが。
まあ、おかげで丈夫な体にはなったので、隣のもやしみたいでちょっとハゲ散らかりかけたロリコンには負ける気はしなかったと思う。(というか本当に中学生には興味なかったようだ。話しかけられもしなかったし)ビーバップ先輩の真似してメンチの切り方を覚えたくらい。(当時はガン飛ばしと言った)
むしろもっと鍛えて不良になろう・・・とも思ったかもしれない。
なぜなら、そういう目立っている先輩方はなぜかイケメン、イケジョが多かった気もする。
優等生の姉の真似をして育ったはずだか、不良、かっこよ!と思ってしまった私は、だいたいここから道が違えたのかもしれない。
将来の夢、私は獣医さんか姉さんと同じお医者さん、または学校の先生。だったはずだが?
(まあ、漫画家になれたので良かったが)
そしておかげさまがもう一つあり、私はバスケよりマラソン方ができたようで、800mだけは学年女子で一位だった。
盛岡市内継走の選手を3年間やった。
中学校のバスケは3年間補欠だったので、陸上部に転進すれば良かったかもしれないが、先生が怖かったので入る気はなかった。(バスケ部の顧問もまあ、怖かったけど)
部活の後に継走の練習で、あの「高松の池」を10周走らされた。
飛び蹴りが得意なわけだ。
部活以外は楽しかったとは思う。親友もできたし。片思いもしたし
好きな人の似顔絵描いて
ニヤニヤしていた、陰なのか陽なのか二面性のある思春期がスタートした。
ここを読むと、単なる武勇伝自慢の序章のように思われるだろうが、大丈夫。
次からグレる。
