Edgar Allan Poe(1809ー1849)《leaves / livres》
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アッシャー家という【家系】の血統が絶える
("Fall" of the "House" of Usher)
その瞬間、
アッシャー家の【屋敷】そのものも崩れる……
("Fall" of the "House" of Usher)
"The Fall of the House of Usher"
……という題名そのものが、
小説のクライマックスを二重に暗示する、
『アッシャー家の崩壊』(1839年)

アラスター画「レディ・マドリーン」
『アッシャー家の崩壊』(ナルシス書房 1928年)
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《家系=屋敷》という、
【"イエ"に呪縛される"ヒト"の物語】は、
ゴシック・ロマンお馴染みの主題。
大樹の如くのびる尖塔…
廃墟となった城館…
要塞でもあった古い修道院…
地下納骨堂…
格子の嵌った地下牢…
長い階段…
先祖の肖像画…
ゴシック文学の舞台設定の特徴を挙げれば、こんな感じでしょうか。(註1)
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天上(あるいは土の下?)にいるはずの先祖の魂が、地上に生きるわれわれ人間たちを支配する……
死者 / 生者の奇妙な反転が、
人々のココロとカラダをむしばんでゆく……
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『犬神家の一族』はじめ、
同主題を扱ったミステリーは日本にもたくさん。
もっとも。
おなじ「イエ」でも、木造平屋建ての和風建築とは異なり、欧米では、あの天空へと垂直にのびる尖塔が聳える "ゴシック様式の城館" が舞台。

だからでしょうか。
ゴシック小説は映像化されると、その大掛かりな舞台装置で、観る者を幾度も魅了してきました。
たとえば、ヒッチコック監督『レベッカ』(1940年 米)。

人のための家でなく、家のための人。
まるで魂の抜かれた者達の住まう人形屋敷……
主体 / 客体の奇妙な反転……
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映画の原作は、英国の女性作家 Daphne du Maurier ダフニ・デュ・モリエの小説(1939年)ですが、ミステリーでありながら、イエ=家に仕え・憑(つか)かれたヒトを描いた本作も、ゴシック文学・美術の特徴をまんべんなく兼ね備えており、監督たるヒッチコックも、映画を撮るにあたって、ポーの存在を多少なりとも意識したのではないでしょうか。

イエ=家が崩壊するとき、
イエに仕え憑かれたヒトもまた……
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ポーの芸術作品に見出される「恐怖」。
それは"ゴシック趣味"だけにとどまりません。
たとえば、これまた代表作、
"Black Cat"『黒猫』(1848年)

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子どものころからわたしは素直で思いやりのある性格で知られていた。
(……)
とりわけ動物が好きで、それを知った両親はさまざまなペットを惜しみなく与えてくれた。(12頁)
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そう語る「わたし」は、大人になって結婚してからも、一匹の「黒猫」を「店で買い」ます。
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ある晩、わたしが町の行きつけの店から泥酔して帰宅したときのこと、どうもこの黒猫がこちらを避けているような気がしたのである。わたしはすぐさま捕まえたが、そのとき、あまりの暴力に驚いたのか、黒猫が手に噛みつき、かすり傷を残した。
その刹那、悪魔の怒りに取り憑かれたわたしは、我を忘れてしまう。
(……)
チョッキのポケットから折りたたみ式の小型ナイフ(ペン・ナイフ)を取り出すと、刃を剥き出して、この哀れな動物の喉を摑み、ゆっくりとその片方の眼球を眼窩からくり抜いたのだ! この激越なる残虐行為を記すべくペンを走らせていると、あまりのことに顔は火照り、全身が焼けるように熱く、震えが止まらない。
(……)
かつてあれほど自分になついていた黒猫があからさまな嫌悪感を示すのを見ると、当初は悲嘆にくれたものである。しかし、そんな気持ちもつかの間、苛立ちが募るばかり。
(……)
ある朝わたしは冷酷にも、黒猫の首に輪縄をかけ木の枝から吊るしてしまった。―吊したときには目から涙がつぎからつぎへとあふれだし、痛恨のきわみであった。—吊したのは、黒猫がわたしを愛しているのを知っていたから、わたしがそいつに危害を加えるべき理由をいっさい与えなかったからだ。—吊したのは、そうすることで自分がひとつの罪を犯すことをわきまえていたからだ。(14,15頁)
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新しい黒猫を探しては買い、
家で飼う「わたし」。
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わたしはといえば、すぐにもこの新しい黒猫への嫌悪感が湧き出してくるのに気づく。
(……)
この黒猫には絶対的な恐怖を感じさせるところがあったためである。
(...…)この新しい黒猫には、すでに述べたとおり、白い毛が混じっているところに特徴があり、それこそはかつて惨殺した黒猫との明白なるちがいだということであった。
読者はきっと覚えているだろう、この白い斑点が当初はずいぶんぼんやりとしたものであったことを。
だが、ゆっくりとではあるが徐々に―それもほとんど気づかないぐらい徐々に―長い間わが理性が妄想として片付けてしまおうとしたことなのだが、その斑点がついにはじつにはっきりとしたひとつの輪郭を帯びるようになったのである。
そこには恐ろしくて口にもできないようなもののかたちが浮かび上がっていた―(……)すなわち絞首台のかたちと化していた!(20,21頁)
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この、おぞましき「恐怖小説」の古典 "Black Cat"を読む際、合衆国(の歴史)における"Black"「黒人」の表象が、一瞬でも脳裏をよぎり、思わず、ハッと息を呑む...…
実際、小説「黒猫」発表後ほどなく、ストウ夫人による「アンクル・トムの小屋」"Uncle Tom's Cabin"(1852)がベストセラーとなり、白人、とりわけ北部の白人社会の間に、黒人奴隷社会の壮絶極まる非人間性の実態が曝され、やがて世論を二分した奴隷解放運動は、合衆国を南北戦争The Civil War(1861~1865)へと向かわせてゆくのは周知のとおり。
「ものいわぬ黒いペット」
「何年も続いた"友情"」
「わたしの残虐行為とその罪への苦悩」
「白い毛が混じっていることへの困惑と憎悪」
ポーの小説の行間からにじむ「現代性」。
そのアクチュアリティこそが、いまなおこの作家をして「恐怖小説、そしてアメリカ文学の古典作家」と呼ばしめる所以(ゆえん)なのかもしれません。
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(註1) デヴェンドラ・P・ヴァーマ『ゴシックの炎』(大場厚志ほか訳 松伯社 2018年)は、ゴシックなるものについて、文学史のみならず、美術史の視点も交え論じている。なぜなら、既述のように、ゴシック文学の舞台は、"廃墟のようなお屋敷"に代表される建築・美術の要素が極めて濃厚だからだ。
ルネサンス建築が、均衡ある古典様式によって、見る者に、高尚な美の感情、人間そのものの威厳をかきたてるのに対し、ゴシック建築は、人間を圧倒する自然の荒々しさ・野蛮さ・恐怖心をかきたて、人間をたじろがせ、人生のむなしささえ自覚させる、とヴァーマは指摘(24頁)。
そもそも、ゴシック文学の最大特徴"廃墟"からしてが、人間の手による創造<自然の力の象徴(エンブレム)である。
ゴシック文学は、18世紀後半~19世紀前半、盛んになるが、ゴシック作家らの廃墟への注目・廃墟屋敷の微細な描写を可能ならしめた背景に、先行する古典主義~ロマン主義時代、イタリア・ギリシャの古代遺跡物への鋭い鑑賞体験があったからだ、という指摘も興味深い(29頁)。
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