映画『国宝』を観て:記憶と芸の迷宮をたどる
2025年7月1日、ファーストデーに映画『国宝』を観てきた。
歌舞伎の物語 と予約サイトに書いてあったから、なんとなくクリックして予約したのだが、
なんと、その長さにげんなり。3時間 。そんな長い間、映画館で鑑賞するのか。
そう思いつつ、見たのだが、
鑑賞の記憶と、個人の思いを少しずつでもつづろうと思う。
映画『国宝』をみた、個人的な感想とその時の記憶をつづっています。
作品の展開や構成に触れる記述がありますので、未鑑賞の方はご注意ください。
文中、敬称を略している場合があります。ご了承ください。
第1幕:冒頭・長崎
── 雪の白に、血の赤
雪の降る中、長崎の茶屋。
宴会が開かれている席に、ひとりの客人が招かれる。
渡辺謙。
その瞬間、私は思った。
あっ、この映画は、当たりだ。
渡辺謙さんの作品は、『独眼竜政宗』に始まり、『ラストサムライ』など多岐にわたる。
けれど、何よりも彼は「目で演技をする人」だと私は思う。
目力で語り、所作で心を現す。そういう俳優だ。
そしてその喧騒の中、現れる少年・喜久雄。
「関の扉」を演じるその姿が、本当に美しかった。
首の位置を固定したままの足さばき──、舞いというより、“型の霊”が降りたようだった。
その演目の後、舞台裏で友に語られる「 刺青」の話。
「父親がいなければ、彫りができる」
この一言が、直後に劇中で“ある形”として実現される。最初の伏線がここで静かに提示される。
祝いの席は破られる。
招かれざる客が乱入し、防戦する手下たち。
そして逃げるのを拒み、刃で暴徒に立ち向かおうとする父親。
喜久雄は、渡辺謙に庇われる。──この瞬間もまた、後の繋がりへの伏線。
喜久雄の父親は、伝統的な刃ではなく、拳銃で撃たれて命を絶つ。
「よう、見とけ!」
それは、彼の死にざまだったのかもしれない。
喜久雄は、その姿をしっかりと見た。
私はこのシーンが、
もう、見たくない
と思ってしまった。
祝いの席、喧騒の中の舞。
親分の息子だから、みてやろうという拍手。
そこに現れる招かれざる客。
そして血。
正月の雪景色に、滲む赤い血。
この冒頭に、すでにこの映画の主題すべてが詰め込まれている。
親子関係
血縁
宴会舞台
刃と銃
型と破壊
芸と死
何が途切れ、何がつながり、何が壊れたのだろうか?
その後、喜久雄は 背中にミミズクの刺青 を彫る。
なぜ、その必要があったのだろう?
父の意志を受け継ぎたいのか。
それともただ、自分が強いと誇示したかっただけなのか──。
刺青を彫るときに流される血。
そこにもまた、“血”の意味が重ねられている。
長くなりそうなので、このあたりで筆を置こう。
続きは、また別の機会に。
👉 次回
第2幕:大阪・青春 はこちら
👉 「国宝」まとめ記事 はこちら
🎬 映画『国宝』予告編
映像で作品の雰囲気を知りたい方はこちらからどうぞ。
🖼️ アイキャッチ画像について
本記事のアイキャッチは、
1)Google Gemini でビジュアルのイメージと言語化を行い、
2)ChatGPT(DALL·E) による画像生成プロンプトを調整・実行、
3)Canva にてタイトル文字を加えて仕上げました。
この制作フローは、note企画「#AIとやってみた」に参加する形で実践しています。
今後も、AIの創作支援機能を活かしながら、表現の幅を広げていきます。
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