これが本当の地方創生?シニア詐欺から見えた、目指してないのに、たぶんうまくいってる町内の話
ふと考えたことがある。 昨今、ネットニュースのコメント欄などで、シニア世代が些細なきっかけから詐欺被害に遭う事件を頻繁に目にする。スマートフォンの普及により、誰もが高度な情報端末を手にする現代において、ネット社会におけるシニア層の脆弱性は看過できない課題となっている。 かつてのフィーチャーフォン時代は通話とメールが主体であり、操作範囲も限定的であった。しかし現在は、十分なリテラシーを備えていない層までもが、常に攻撃の標的となり得る「入り口」を携帯させられている状況にある。
送られてくる文面、「今しかない」「必要」「選ばれました」「ここに送金」。この一文しか目に入らんようになる。文章全体を読ませる気は最初からない。断片だけが目に飛び込むように、わざと飛び石みたいに置かれてる。
そして最後に「ここ押してね」。誰でも押すでしょって話。
リンクは踏むな、というのはネットを使う側の常識やけど、その常識自体がリテラシーの蓄積の上にあるもんやと思う。「次に進むには押す」を、テレビのチャンネルやエレベーターのボタンと同じ生活動作としてやってきた世代にとっては、「ここ押してね」は何の警戒も引き起こさない、ごく自然な指示に見える。
これ、簡単な詐欺の手口やけど、心理戦としてはちゃんと順番があるんやと思う。 まず「今しかない」「選ばれました」って不安や特別感を煽って、心の土台を揺らす。次に「必要」「ここに送金」っていう断片的な言葉だけを拾わせて、思考を絞り込ませる。そうやって周りが見えんようになったところで、最後に「ここ押してね」っていう単純な行動を提示する。 1で土台を揺らしておかんと2の断片に引っかからんし、2で断片しか見えなくなってないと3の「押すだけ」に警戒なく進めん。順番が逆やったら、たぶん機能せえへん。最初に「押してね」だけ出されても、誰も押さんやろし。
特殊詐欺の電話も同じ構造やと思う。動揺させて、情報を絞って聞かせて、指示に従わせる。媒体が電話からSMS、LINEに変わっても、心理戦の骨格は同じ。
自治体や警察も「気をつけて」とは言う。煽り文句に注意、不審なSMSは無視。それはもう回覧板レベルで言われ尽くしてる。でも、それだけやと足りない気がする。なぜその順番で出されると人は抗えなくなるのか、という構造までは、たぶん誰も言ってない。
問題は、手口そのものより、伝え方の方かもしれない。
遠方の家族が「気をつけて」と言えば言うほど、なぜか届きにくい。電話やLINEでの注意喚起は、それ自体が「不安を煽る一文」の形を取ってしまう。頻度が上がれば「うるさい」「自分は大丈夫」という反発を生んで、聞く耳を閉ざされる。一番心配してる人が、一番伝えにくい立場にいる、という変な話ですね。
そこで地域のつながりが生きてくると思う。
「家⇒会社⇒家」が今の普通やけど、「町内⇒会社⇒町内」になれば、少しは違うんやないか。スクールガードはあるのに、シニアガードはない。見守りパトロールのついでに世間話をするような、日常の延長線上にある見守り。自分の町内の自警団は、いわば「実質的なシニアガード」として機能しているが、そういう組織は全国的に見れば珍しい。150世帯ほどの規模の町内で30名以上が属しており、どこの地域でも自警団は衰退してるのが普通やのに。
なんでかと考えると、見守りを目的にしてるからやない気がする。運営のベースは町費・組費っていう、自治会が独自に集めてる会費で、そこに役場からの交付金が上乗せされてる。完全に行政任せでもなく、完全に自前でもない。年4回の懇親会、地域の人を交えたBBQなど。こういう親睦活動も交付金の正式な使い道の一つに入ってるくらいやから、行政側も「楽しさ」を制度として認めてるってことなんやと思う。目的より先に、楽しさがある。見守りはその後から、自然についてくるもんやと思う。
参加は自由。来なくても団員やし、来なかったことを陰で言われることもない。強制された楽しさは楽しくないし、義務感だけで集まる組織は長続きせん。「自由参加です」と言いながら、来ない人が裏で何か言われるような空気があったら、それは実質強制と同じになる。建前と運用が一致してるかどうかが、たぶん一番の分かれ道なんやと思う。
両隣、自警団、遠方の家族。近い順に、伝わりやすい。両隣やったらゴミ出しや回覧板のついでに、自然に言葉が交わる。自警団の懇親会やったら、目的を前面に出さん雑談の中で、情報が漏れ出る。遠方の家族は、伝えようとするほど身構えさせる。
何が言いたいんかと言うと、たぶん「気をつけて」と言うことより、言わなくても伝わる距離の関係を、どう保つかの方が大事なんやないかな、ということ。
これって、どこの地域にも当てはまる話やない気もする。自分の町内がたまたま例外的に機能してるだけで、よそはもうその土台自体がない。町費・組費を集めて、そこに役場の交付金を上乗せする仕組み自体は、たぶんどこの自治会も同じように持ってる。違うのは、その同じ枠を「楽しさ」に振り切って使えてるか、最低限の事務費だけで終わらせてるか、その差なんかもしれん。せやとしたら、市政がやるべきは、新しい制度を作ることやなくて、すでにある仕組みをどう活かすかを、もっと積極的に町内に伝えていくことなんかもしれん。
失われたのは、詐欺に対する警戒心ではなく、おそらく「町内の横のつながり」そのものだったのではないだろうか。 既存の仕組みを「楽しさ」という潤滑油で動かし直し、言わなくても伝わる距離感を再構築すること。それが、巧妙化するネット社会からシニアを守る、最も原始的で強力な防壁になるはずだ。
