「リハビリ卒業なんて、やめてください!」生活が安定した女性が、卒業の提案を拒んだ本当のわけ。
訪問リハビリという仕事をしている作業療法士・ケアナビゲーターの、りりーさんです。
他者貢献を目指しています。
私は、このnoteで医療や介護に直面している現場経験3〜10年の療法士さんに向けて医療・介護分野の出来事やケアをお届けしています。
私は、患者さんや家族さん、医療、介護職のスタッフさんとコミュニケーションを取る時に大切にしていることがあります。
それは、
「共感」
「肯定(否定しない)」
「リスペクト」
です。

訪問リハビリ卒業、定番の提案
「桜木さん。いまの生活のなかで、何か困っていること、ありますか?」
私の問いかけに、彼女は穏やかに微笑んだ。
「全然ないわね。体調もすごくいいですから」
桜木さん(仮名)、80代女性。
生活は極めて安定。歩く調子も申し分ない。
私は彼女の表情を伺いながら、訪問リハビリ職としての「定番のテンプレート」を、慎重に切り出した。
「桜木さん、生活が本当に落ち着いていますね。デイサービスをもう一日増やして、訪問リハビリは、一旦『卒業』してみませんか? 今の生活、きっと保てると思いますよ」
その瞬間、部屋の空気が凍りついた。
「リハビリ卒業なんて、考えられません! もう、そんな話はやめてください!」
興奮気味に、声を荒らげる彼女。私の胸を突いた、お断りの言葉。
桜木さんの気持ちと、私との温度差
彼女の意向と、私の提案。そこには、あまりにも深い溝があった。
私は、彼女の「真意」を何も聞いていなかったのだ。
「問題がないから、卒業」。行政や教科書が推奨する、冷徹な正論。
私はそれを、安易に訪問カバンから取り出してしまっていた。
自分の過去の経験値からだけの、独りよがりな判断。
冷静さを欠いた、浅はかなゴール設定。
「もう十分だろう」
そんな医療者側の判断を反省し、私は、怒っている彼女の前で、静かにノートを開いた。
卒業したくない、その裏にある彼女の心の声。
それを聴き取るための、新しい時間が始まった。
桜木さんのプロフィールとスコア
現状: 80代女性。右大腿骨頚部骨折から3年。
精神背景: 既往歴にうつ病あり。心が折れやすく、先の見えない不安がある。
生活状況: マンションで一人暮らし。
デイサービスを週2回利用中。買い物や受診はヘルパーと介護タクシーを併用。キーパーソンは遠方の姪。
課題: 強い不安感と、専門職への依存心。リハビリ担当者との目標のズレ。
強み: 物忘れなどはなく、認知機能は良好。リハビリへの意欲が非常に高い。屋外の歩行能力は、歩行器から「杖」へと確実に向上している。
崩れかけた信頼という「橋」を、整える
① 30分間の「人生の答え合わせ」
まずは、謝罪から。彼女に不快な思いをさせたことを、心から詫びた。
そこから、改めて彼女の「本当の希望」について、じっくりと耳を傾ける。
訓練の合間の世間話ではない。丸々30分を、その聴き取りだけに費やした。
これほど長い時間をかけたのは、私の臨床人生でも初めての経験。
彼女の人となりを知り、私自身がその人生を丸ごと受け入れるための、大切な手段。
生まれた故郷、学生時代の思い出、そして働いていた頃の話。
差し支えない範囲で、彼女の人生の軌跡をたどっていく。
元県庁職員。都市開発の部署で、経理関係のバリバリとした仕事をこなしていた過去。
出張も多く、アクティブに全国を飛び回っていた日々。プライベートでは、お姉様と何度も海外旅行へ出かけたという。
(ああ、元々これほどアクティブな人だったんだ……)
ストン、と腑に落ちた。
改めて、生活のなかの困りごとと、リハビリへの希望を聴いた。
彼女の口から溢れ出た、本当の本音。
「ひとりで歩いて、病院に行きたいんです。デイサービスの施設のなかでも、杖なしで歩けるようになりたい」
独り暮らしでうつ病を抱える彼女にとって、リハビリの卒業は「見捨てられた」に等しかった。
かつての輝いていた自分を取り戻したいという、気高いプライド。
その真意を知れば、彼女の怒りは当然のことだと、私は深く納得し、そのすべてを肯定した。
② ベテランの勘を捨て、カバンから「論文」を取り出す
しかし、本人の意欲だけで突っ走るわけにはいかない。どこまで回復するかという客観的な予測。ここには、根拠のある支援、エビデンスが必要だ。
私は自分の経験値だけに頼ることをやめ、自宅に帰って文献や論文を検索した。
先人の知恵を、借りるために。
「大腿骨頚部骨折」「認知症なし」「明確な目標と高い意欲」「現在の歩行状態」……。
いくつものピースを組み合わせ、最新の論文データと照らし合わせていく。
導き出された、科学的な見通し。
(彼女の歩く力は、もっと高められる)
可能性の証明。
③ コツコツと繰り返しの鍛錬
目標と回復の見込みが、きれいに整理整頓された。ここからは、迷いのない反復練習。
リハビリの舞台は、自宅マンションの敷地内にある広場から始まった。
そこから、マンションの周囲へ。さらに、彼女が「いきたい」と願った病院まで。
距離と練習時間を、段階的に、一歩一歩伸ばしていく地道なアプローチ。
④ 全肯定、励ましと称賛のリズム
「今日はふらつきが、本当に少なかったですね」
「いつもより5分も長く歩けましたよ、すごい!」
ポジティブな事実を、何度も彼女にフィードバックしていく。
「そんなことないですよ、りりーさんのおかげです」と、彼女は嬉しそうに謙遜した。
うつ病の背景を考慮し、決して無理強いはしない。彼女の背中を手のひらで軽く支え、「大丈夫ですよ」という絶対的な安心感を与える接し方を、徹底的に意識した。
積み上がった成果
粘り強い関わりは、桜木さんの生活を変えた。
5ヵ月後の生活: 洗濯物や部屋の掃除を、ヘルパーの力を借りず、ひとりでできるようになった。
10ヵ月後の成果: デイサービスの施設内を、杖を使わずに歩けるようになった。
1年後の成果: 念願だった病院の受診。今では、杖を使って、自分の足で、ひとりで通えている。
私たちが明日から、目の前の人にできること
独居高齢者が求める「家族の立ち位置」を理解する
特に精神的な疾患を抱えている方は、支援者に「安心感」を求めている。問題がないからと安易に切るのではなく、その依存心の裏にある不安を全肯定すること。
自分の仕事に「余白」を作る
冷静なアセスメントをするために、まずは時間を確保する。そして、自分の経験値とエビデンスという名の正論を、バランスよく組み合わせること。
「人となり」を知ることで、現状を受け入れる
すぐの結果を求めず、相手の人生の物語に耳を傾ける。そこにしか、リハビリの真のニーズや目標は隠されていないのだから。
最後までお読みいただきましてありがとうございました!!
