見出し画像

社会人の私の人生について≪①≫

こんにちは、サーモンです。sa1monと書いてサーモン。

前回は私の人生を≪前編≫≪後編≫に亘って記事にしました。読んでいただけましたか?

そうですね、社会人になってからも、私の人生は深い谷と標高の低い山でできています。そんな人生を赤裸々に書くつもりです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー※トラウマがある方、PTSDを患っている方はこれ以上読み進めることはオススメしません。覚悟のある方のみ進んでください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私は、自分の人生や「谷」を話すとき、『片棒を担がせる』とよく表現します。そう、その人の人生や思考に大きな負担を掛ける可能性があるからです。『聞いてしまった』と後悔されては、私も今後付き合いにくいので、基本は墓場まで持って行くつもりでいます。

ただ、せっかくのnoteですから。えらい長文やな、こんな人も居るんだな、世界は広くて狭いなと感じていただけますと幸いです。少しユーモアを加えて書いております。今回は≪社会人編①≫です。

【私の人生】

≪大学生・就職期≫
私は、無事「薬剤師」になれたら、当時、有名な調剤薬局の大手(全国職)に入社できることになっていた。

面接は実にチョロかった。
高校生から大学生4年目まで「映像製作」をしていたからだ。

なに?それだけでは採用理由にはならないって?
確かにそうだ。ただ、就活カウンセラーがこの話に食いついた。

全国職なんて男性のする働き方だと説教していたのも嘘のように…

企画立案・脚本執筆・演者集め・撮影場所の確保・撮影・編集・YouTubeでの投稿・公開などを一手に行っていたのが当時は珍しかったらしい。

こういう趣味は男子が抱くもので、率先して女子が行っていること自体が良いネタだと思ったのかもしれない。

それぞれを「構想力」「言語化力・構成力」「巻き込み力・交渉力」「リサーチ力・推進力」「自己表現力」「情報整理力・演出力」「継続力・責任感」だと言い、先頭を走る姿は「リーダシップ」、スケジュール管理は「調整力」だと褒め上げた。

しかし、こんな「強み」たちを全て自己PRに書いていられない。うまく、この作業の流れを表現するだけで、人事・採用課が「勝手に良く解釈」してくれるように構成を練った。

実は、奨学金について母から「自分自身だけの力で返済する」となっていたのをこの頃知らされた。

なので、
第二志望に大阪でちょっとだけ大きいドラックストア兼調剤薬局の会社。
第三希望に、自衛隊の薬剤官。

よもや、国試前の薬学生がこんな複数の会社を目指すなんて、時間も労力も足りるのか分からなかった。

「薬剤師」として勤務する2社はとにかくイベントに参加した。第一志望は「自己啓発・自己発見のセミナー」「自分の"望み"を引き出すセミナー」。第二志望は「地域ウォーキング大会の参加」「老人ホームのレクリエーションの参加」「リーダー会議の参加」「親睦会」など。

実は第二志望の方がよくイベントには参加した。社員とは顔見知りより深い顔なじみの方が入社後も動きやすいからだ。

しかし、それがアダとなった。親睦会の後、電車で社員と別れる際に「さようなら」と声を掛けたらガン無視されたのだ。大方の予想だが「コイツはもう何もしなくても入社するだろう」と踏んで、適当に扱ったのだろう。

それ以降、一切イベントに参加しなくなった私にとある社員が何度も連絡をしてきた際に、その事実を突きつけたら『正直、私も「もう来てくれる」ものだと思ってた』と言われた。ふざけるな、私を軽く扱った罰だ。

就活カウンセラーに、散々悪口を言っておいた。
『イベントにはそんなに行くものじゃないけど、その会社の本当のところを見るにはしつこいぐらいがちょうど良い。そのおかげで、私は人間関係で悩むことはなさそうだ』と。あと、『社内恋愛や社内結婚の人数が多すぎて気持ち悪い』と付け加えておいた。

それに比べて、第一志望は「自分とは」「就職とは」「人生とは」を考えさせる時間に充てるイベントが多かった。ゲーム感覚で自分の本音を引き出すのは「自己PR」や「志望動機」、相棒の就活の手助けにもなった。

で、問題の「薬剤官」だが。参考本を開いて、まず驚いた。まったく知らない科目がいくつも並んでいるのだ。「経済」なんてわざわざ受講する必要があるだろう。支所の担当者は『貴女なら簡単だ』と言っていたが、冗談じゃない。

薄っすらな記憶で申し訳ないが確か、こんな受験ルールだった気がする。
・防衛省が実施する「自衛隊幹部候補生採用試験(薬剤科)」に合格する
・20歳以上28歳未満
・大学の薬学の6年制課程を修めて卒業した者(卒業見込みを含む)
・一般教養として
大学卒業程度の「人文科学」「社会科学」「自然科学」「英語」などが出題
・専門知識として
薬学に関する専門知識が出題(大学最終学年レベル:国試レベル)
・小論文試験
医療倫理や自衛隊組織論、「医療提供と部隊運用の両立」などがテーマ
・口述試験
個人面接、またはグループディスカッション
・身体検査

かなり狭き門だ。陸軍を目指していたのと、貯蓄の利回りは2%だった。
ここだ、この点が「奨学金返済」において魅力に感じたことだった。

だが、もういい!薬剤師になる前にこんなことで時間を割いている余裕はない。早々に私は諦めて、第二志望の辞退といっしょに就活カウンセラーに終わりを告げた。

そうして、晴れて「薬剤師」になった私は新社会人としての第一歩を歩み始める。

≪社会人1年目≫
母は言う。『研修は一度これまでに培ってきた常識をコテンパンに叩き潰す機会だ』と。そうして『会社の色に染め上げる』。それが研修の意味らしい。

まさに、そうだった。毎日、社訓やどこかの著名人の名言集を読み上げ、課題にひたすら取り組む。国試の知識だけでは足りない。やはり添付文書を広げ調べる必要があった。それが、手書きなので時間が掛かって仕方ない。

社会人とは何か、薬剤師とは何たるか。
毎日の座学や実務に身体は疲れ切っていた。どんどん染め上げられていく。

班には受験浪人や国試浪人、留年生が多く、意外と人間関係において苦ではなかった。あまり年齢差を気にしない風潮はありがたかった。

しかし、私の真面目さがアダとなる。課題をそれぞれで担当しようとなった。私は時間ができれば、次々と課題に取り組んでいたので、一人一つのところを私だけ二つだったのだ。

これは些か如何なものか。結局、一つしかやらないのなら、それ以外の課題は白紙だ。どうするのかと問うと、『印刷すればいい』とな。そんなバカな。

私の苦労を1枚10円で解決しようと言うのか。そこから私は担当制には参加しないようになった。それでも、周りは『そうよな』と納得してくれたのは良かった点かもしれない。

しかし、『わいは出世するんや』と息巻いていた班長が『積極的に発言していこう。挙手する時は基本時計回りで全員が担当すること。分からんかったら助け合って、できるだけ目立とう』と。

なんという奴だ。それで出世できるのか。教育研修課だぞ、相手は。別に人事部が見ている訳でも、今後配属になる店舗の管理者が見ている訳でもない。それでも話題になれば、社内に広まりチャンスが巡ってくるかもしれないと信じてやまない彼は、ただただ突っ走った。

そんな彼は、2つの奨学金を抱えていて、総額は1000万円を超えていると言っていた。『どう返済していくのか』と聞いたら、『学生時代にバイトで貯めた分をまず充てて。それから稼ぐようになったら繰り上げ返済する』。

おい、待て、なんだ、その「繰り上げ返済」とは。

聞いたら、ドンッと大金で返すと利子が浮いて240回払いの予定額が少なくなっていくというのだ。

なるほど。勉強になった。毎月の返済金額は決まっているが、貯金がある程度貯まれば、一気に返していくのも手だということか。全国職は通常勤務の基本給より5万近くも高く設定されていた。基本給から違うのだから、この情報は有益だ。それにこの会社が推し進める貯蓄の利回りはなんと2%!給料から勝手に天引きされるため、知らないうちにジャンジャカ貯まっていくという仕組みだ。

そんな学びもありつつ、ついにOJTの店舗発表の日を迎えた。

もう全国職はファイルからして違う。そして、私は社宅を与えられた。それは喜ばしいことだ。しかし、OJT店舗が恐ろしかった。どこになったのかとファイルを覗く者たちの唾を飲む音が聞こえる。

その店舗はこの会社で最も稼ぎがあり、在庫数も膨大で、常に繫忙状態。
いろんな意味で「キツい」と噂の店舗だった。

何名か叫ぶ者がいる。どうやら私と同じ店舗のようだ。
自然と友が集まる。目配せをし、覚悟を決める。もう避けられない。

構成はこうだ。男子3名、女子1名、そう紅一点だ。

何がどう「キツい」のか知らないが、今まで学んできたことをぶつけるしかない。初めての社宅、レオパレスから飛び出した。

まさにそこは戦場だった。多くの患者に、事務員・薬剤師。
棚にびっちり並んだ医薬品。分包機も3台ある。

調剤室は常にガヤガヤしていた。怒号さえ飛び交う。

初日から私たちの教育担当を受け持つ先輩が挨拶をする。正直タメだ。
しかし、そんなこと関係ない。この店舗で少なくとも1年やってきている大先輩だ。どんな一言も聞き逃せない。

OJTはとにかく地獄だった。
まず先発名が分からない。成分名と一致しないのだ。
それに棚の位置も複雑で、カゴを持ったまま調剤できない。ときには『おい、○○が逃げたぞ』と逃走を疑われたこともあった。
患者の好みでメーカー名が変わるのもややこしい。

最初は初歩的なミスも多く、何度も叱られた。

何が分包できて、何が遮光が必要なために分包できないのか。
なぜこれは粉砕機が使えて、これは使ってはいけないのか。
この総量に対して乳糖賦形は何g必要か。
このg数だと分包紙の幅はどれぐらいが最適か。
この順番だとどの分包機を使うのが最適か、空いているのか。
この処方だとどれぐらいの時間を要するのか。
この新処方は難病指定の保険内に該当するのか。
本当にすぐに用意できるほどの在庫はあるのか。
他の薬剤師がどれぐらい動けているのか、何に取り組んでいるのか。
調剤待ち・鑑査待ちのカゴはどれぐらい溜まっているのか。

そんなことを常々考えて周りを見ながら、業務に取り掛からなければならなかった。その俯瞰できる感覚や思考を手に入れるまでに時間が掛かった。

ゆえに私はこう呼ばれていた、『役立たず』と。
(とある上司が平成でも考えられないぐらいのパワハラ野郎だった)

確かにOJT序盤はミスが誰よりも多く、パニックになることも多々あった。
それでも、なんとか食らい付いたのは「奨学金返済」があったからだ。

ここで辞めてしまっては、返済の術がなくなる。
せっかく関西圏から飛び出して「薬剤師」をできる可能性があるんだ。

どんだけ、担当を外されようと。大きなため息をつかれようと。舌打ちされようと。机を蹴られようと。カゴを金属ラックに叩きつけられようと。「おい!」と叫ばれようと。耳元で大声を出されようと。一人だけ先輩との食事会に呼ばれないようと。

自宅に帰っては今日できなかったことを振り返り、同じ過ちは繰り返さないと勉強の時間を必ず取った。

その努力を見ていてくれた先輩が、度々進言してくれたり、助言してくれたり、困っていたらすぐに助けに入ってくれたり。

こんな万能な人いるんだな、とつくづく思い知らされた。

同期同士の愚痴会にもできるだけ参加した。自分の悪口が言われていないか、内心怖かったからだ。あるとき、『○○のフォローする身にもなってよ』と言われたときは『やっぱりか』と思った。迷惑がられていたのだ。自分を責めない夜はなかった。

そんなパワハラ上司の問いには必ず答えられるようにした。『この処方の組合せは何でか分かる?』と聞かれたらできるだけ的確に答えた。もちろん初めて見る組合せもあったが、二度目の出題では言い淀まなかった。

それなのにミスを繰り返す同期の方が可愛がられていて、正直ツラかった。

毎日『今日こそ辞めてやる』『明日こそ辞めると切り出そう』と考えていた。立派な理由もある。『パワハラだ』と言えば良い。だが、周囲がそれを許さないだろう。一部では好かれ、一部ではとことん嫌われているという特殊の立場の人間だ。良いところ、有益なところしか見ない組織だと分かっていた。だから、押し殺した。

遂にその店舗での勤務が終わった。次の配属先が知らされる。

先輩がこう言う。『○○なら、もうちょっとできると思います。ここは…』と。影で流刑地と呼ばれているそこは、ただの工場だった。外来もあるが、ほとんどは施設や在宅。その件数はなんと20件以上。

社宅からは120分掛かる。バスも使わなければ行けない。
引っ越しが許されなかった私は、遅刻することもなく、ひどく長引く風邪を引こうとも、生理で体調が優れないとも、めまいや腰痛で立っていられないとも、毎日通勤した。

管理者のしょうもない会話に付き合わされて、これまた平成では考えられないイジり方をして店舗全体で笑い者にする。黙々と仕事をするのを好む私からしたら、最悪の環境だ。そのせいか、過誤が異常に多い店舗でもあった。

帰路について自宅に着くのは23時過ぎ、食事も喉を通らない。ただ風呂に入って寝る。そんな日々が半年続いた。

そして次の配属先が決まった。東海地方だ。
全国職の中では店舗間異動がある場合、大抵「引き継ぎ書」が作られる。
それをもとにどう店舗で動けばいいのか、予め把握するのが目的だ。

しかし、私がもらったのは到底「引き継ぎ書」と呼べるものではなかった。
何度か連絡を取って詳細について聞いたが、返答も書面と同じだった。

諦めてそのまま配属されたが、初日の挨拶後に管理者から『あの引き継ぎ書見た?この店舗のこと何も分からなかったでしょ?』と。

助かった、理解がある人だ。猛烈に頷く私の肩をポンポンと叩く。
『もう色々と経験してきているみたいだから、たくさん動いてもらうよ』
そう言って、店舗のすべてを叩き込まれた。

特に苦手なのは、散剤分包品の再分包だった。総量から、1日量が割り出せず何包バラせば良いのか分からなかった。私が数字に弱いのに薄々気付いていたのか、管理者も派遣さんも見守りつつ手伝ってくれた。

社内学会のテーマ決めや活動も温かく受け入れてくれた。とある商品を売りたいんだと熱弁したときも笑っていた。薬歴に追われて残業している中でも遅くまで付き合ってくれた。

途中から名古屋方面のヘルプにも出向くようになった。エリアマネージャーが身体一つではどうしようもないときに呼ばれるのだ。ただ、私にとっては最高の機会だった。外を見れる、違う店舗に行けるというのは経験値が貯まる。ヘルプ先での評判も上々で、仕舞いには管理者が『○○さんを、あまりヘルプに行かせないでくれ』と苦情を入れるぐらいだった。

出向が近くなると、事務員がご飯に誘ってくれた。『たくさん助けてもらったから』、その一言だけで救われた気持ちだった。

地域柄、湿気が多く風がベトつく中でのレオパレスは、私にとって居心地の悪い社宅だった。休日に体調が悪くなり、平日に回復するという謎の変化を繰り返していた。

母曰く、この湿気にやられていたんだろうと。

でも、この土地は好きだ。
店舗近くのカレー屋さんはサラダバーがつく。しかも1000円以内と安くて旨い。さらに言うとスーパー「ドミー」は良い。定期的に全国の駅弁大会が開催される。東海に居ながらにして全国を感じられるのだ。

最寄り駅まで徒歩40分というのも良かった。バスや自転車を使うのもアリだが、ひたすらに歩いた。このときの私は健康状態が良かったことだろう。先程の謎の体調不良は忘れてくれていい。

とにかく出向が名残惜しかった。
管理者が会社を辞めてしまったと聞いたのは、その何年後かだった。

≪社会人2年目前半≫

次の配属先が決まった。
私はまだ周囲からの「出来損ない」のレッテルを剥がせないでいた。
(東海では評判が良かったのだが)

商品名がとにかく覚えられず、計数ミスも多かった。これは薬剤師として痛手だ。「仕事ができない」と言っても過言ではない。

全国職の同期たちは、ステップアップしてとあるチームに所属していた。
仕事内容としては全国の直系列店舗や事業会社のヘルプ、管理薬剤師、新店舗の立ち上げ、店舗の課題解決など。

そんな中、四国に飛ばされた。私は『まだ経験が足りない』という理由だった。落ちこぼれだ。

店舗の方々は歓迎してくれたが、私の出来損ないが頭角を現す。徐々にクレーム電話の対象は「私」と決めつけられるまでになった。それほど、ミスが多かったのだ。

まず、
①在庫の分だけでも商品名を覚える
②鑑査システムを必ず通す
③鑑査方法の見直し

これでだいぶミスは減ってきた。それもその店舗で半年が過ぎようとしていたときだったが。

この頃、猛烈に彼氏が欲しい気分だった。出向期間は1年と決まっていたが、良い出会いがあればとマッチングアプリを使っていた。

だが、出てくるのは「下着の色なんですか」「1回ヤラせてくれませんか」など変態ばかりだ。どうせ長い付き合いにはならないのだからと、この手の男が集まってくるのだろう。

その中でも、かなりマシな人がいた。実際に会ってみたいと思える人だ。ドライブに連れて行ってもらったが、話のテンポが合う。妙な関西弁もまぁ許せる範囲だ。年齢は2つ上だが、私は気にしない。4回目のデートで告白された。とくに断る理由もなかったので受け入れた。

しかし、問題のある人だった。
・その人の家と私の家は車で1時間半掛かる。外でのデートを計画していても、『トイレを貸して欲しい』と言われて家に入れるとテレビの前から動かないことが増えた。『デート行くんじゃないん?』と聞くと、『家もデートやない?』と真顔で返す。
・何かにつけて、私物を私の社宅に持ち込むようになった。『ここにいっしょに住みたいなぁ』と言うが、どんどん増えていく私物を、乗ってきた車の後部座席に投げ込むのが日常茶飯事になった。
・よく社宅に泊まるようになった。『これが俺のありのままの姿やから』と真っ裸で過ごす。カーテンも開けられない。そのまま座椅子やダイニングの椅子に腰かける。トイレで拭いたかも分からない局部が私の生活圏を汚していく。布団にも裸で入るらしい。『次からは、自分の布団持って来て』と蔑んだ。
・私に、喫煙歴・飲酒歴・ギャンブル歴・借金歴を聞いてきた。『これから長く居るんやから、知っておきたい』とのこと。私は借金はないが「奨学金」があるため、正直に話した。その流れでつい返済方法も話してしまった。そこからだ、『給料を教えて欲しい』だの、『返済計画を俺が立てる』だの言い出したのは。その人のアプリでの職業は公務員だった。そこで『地方公務員なら自分も稼いでるんちゃうの?別に返済方法は私の勝手で良くない?』と返した。するとエラく笑う。『え、公務員って信じてたん?俺プールの監視員やで』、冷たい空気が流れる。張り詰めている。そうしたのは相手だ。『嘘ついてたんや。じゃ、もう何も教えることはないね。終わり。これ以上話すこともない』、そう言う私に『じゃ言うけど。ヤリモクやったから。今まで付き合ってきた女で一番面倒臭かったわ。なかなかヤラせてくれへんし』、そう言い放つとしばらく沈黙が流れた。コイツもそうか。
・『もう別れよう、今すぐ。今日はお酒飲んでないし、今すぐ荷物まとめて車で帰って』、相手の身体を押しながら玄関に向かわせる。『いや、ちょっと待って。別れるのは良いけど、今日中はカップルやろ?』、呆気にとられた。泊まる気でいる。その立ち振舞いが恐ろしい。意地でも帰らないので、早々に寝ることにした。自分で持参した布団の中から何か話し掛けられていたが、何も聞こえなかった。
・翌朝、すべての荷物を車に積んであることを確認して、『じゃ』と別れた。もう二度と会うことも、遊ぶこともない。私は私で仕事に出掛けた。帰宅後、何気にスマホを見た。まさか、その人からLINEが来ている。『昨日はごめんね。ついつい演技に付き合っちゃったけど、この前話してた映画いつ観に行く?』、イカれてる。そこからは既読もつけず、常識がない深夜の電話も無視し続けた。
・数日が経った頃、『そっち行っちゃおうかな』『今、車で向かってるからね』などのLINEが増えた。実際に車を見掛けたりする訳ではなかったが、あまりにも頻度が高いため、とある事務員に相談した。そしたら二つ返事で『うちの兄弟に任せて』と言われ、夜間の警備をしてくれるそうだ。その人の発言を本気にしていいものか悩んでいたが、『本気でそっち行くことにした』とLINEが来た。すぐに事務員へ。『家から出ないでね』の連絡から途絶えてしまった。
・翌朝、その人から『もう二度と連絡しません』とLINEが来ていた。何か起きたのかと事務員に聞くと、口に人差し指を当てて『ナイショ』と言われた。LINEもブロックしていいと言うので、素直にブロックした。想像力豊かな人なら、もしかしたら何が起きたのか分かるかもしれない。だが、それを探るのはオススメしない。

コロナという言葉をニュースで聞くようになった頃。忘年会が開かれた。
事業会社の社員が集まって、『おつかれさま』と言う会だ。私の左隣は管理者が座っていた、お酒がだいぶ進んでいるのが分かる。私の右隣は製薬会社のMRや卸の担当者が座っていた。さすがの営業力、初対面でもガンガン話し掛けてくる。私が関西出身だというのに興味を持ったのか、名刺交換までした。

そして忘年会のメインイベント。「ビンゴゲーム」、景品はかなり豪華だ。数字が次々に発表されていく。穴は開けど、リーチ止まりだ。どんどんビンゴ者が出てくる。諦めに入っていた私は、管理者と喋っていた。
景品として残っているのは、「たまごっち」と「美顔器」だった。

すると、右隣の人が私のことを呼ぶ。『見てください!ビンゴです!』。良かったじゃないかと、微笑みかけると『あげます!』と手渡された。見事に斜めに穴の開いたビンゴカード。でも、これはズルだ。『いやいやいや』、しばらく押し問答が続いた。

『もうビンゴの人は居ませんか?』、司会者が呼びかける。右隣の人が手を挙げた。『ここにいます!』、私に立つようジェスチャーする。周りが注目しているのが分かる。もう出ない訳にはいかない。ノロノロとステージに向かう。どうやら、最後のビンゴ者は3名のようだ。景品を賭けてジャンケンで決めるらしい。

1回目、知らない社員の独り勝ちだ。「美顔器」を持って行った。
2回目、あいこが続いたが、私の負けだ。「たまごっち」を持って行った。

やっと茶番が終わったとステージを下りる私の腕を持つ司会者。
まだ何かあると言うのか…仕方なくとどまる。

『この残念な女性に、どうでしょう!もう一度チャンスをあげませんか?』
謎の盛り上りだ。みんな酔いが回っているんだな。
無駄にスポットライトを浴びている。私は部外者で、出向組だ、こんなに目立つ訳にはいかない。早くステージから下りたい。

司会者『副社長、この女性に何か景品を用意していただけませんか?』
副社長『そうだね?』
司会者『○○さん!お金だったら、いくら欲しいですか?』
なんてことを聞く。お金?これはフリか?なんて答えるのが正解なんだ。
眉間にシワを寄せて考えていると耳打ちで
司会者『1万円ぐらいが妥当かと』と助言してくれた。

危なかった。フリかと思って『100万円!』とか言うところだった。
私『じゃ、1万円が欲しいです』
なぜか盛り上がる会場。副社長の財布から出るピン札の1万円。
副社長から手渡される1万円。
司会者『1万円いただいた感想は?』
私『…まいどおおきに!』
ドッとウケた。まさかだった。こんなにも頭が冴えているなんて。

ステージから下りて、1万円を管理者に見せていると司会者が話し掛けてきた。『めっちゃ良かったっすよ!』、なら良かった。まったく知らない社員と1万円を手に写真撮影会が始まったのは、本当に謎だった。

そんなこんなで、1年が過ぎようとしていた時、異動が決まった。

いろんな意味でお世話になった店舗だ。とくに管理者の鈍感力はたまらなく、ありがたかった。飲み会をセッティングしたら来てくれると言うので遠慮なく誘って、2時間ほど話した。今までのミスでかなりの迷惑を掛けたことを謝ったが、『はて』という顔だ。『そんなミスしてた?』とな。
施設調剤で粉砕やら分包のほとんどを担当していたからか、その印象が大きかったようだ。あと、私がいると雰囲気が柔らかくなると言っていた。

本当に嬉しかった。
四国の社宅は雑魚寝なら20人ぐらいイケる広さで7万円という破格設定だった。自転車で店舗にもスーパーにも飲食店にも行ける距離で、確かに街灯は少なかったが、『住めば都』だと初めて感じた。

四国は電車ではなく、汽車だ。ディーゼルエンジンで動いている。座る位置を間違えるとひどく酔う。約1時間半掛けて、やっと市内に出れる。

定期的に広場でやる豊漁祭はとにかく楽しかった。珍しい名前の魚や貝と出会えた。足が早いからと県外に出回らないと知ると余計に美味しく感じた。野菜もそうだ。珍しくて美味しいものがたくさんあった。

コロナで拍車も掛かったが、おかげで自炊以外にも「お取り寄せ」をするようになった。自分へのご褒美だ。あと、上記の件でストレスが半端なかった。みるみるうちにブクブクと太っていった。きっと60kg台はあっただろう。新卒で買ったスーツはどれも入らなかった。

異動が決まったのは、この土地の魅力をやっと全身で感じ始めた頃だった。
とあるリーダーから『ステップアップでチームに所属してもらうから、待たせたね』と言われた。

ついに、ついに私も。やっとみんなと肩を並べられる。出遅れたが、その分経験ができたと思えば良いだろう。

私はこの会社では珍しく最初で最後の中途採用者のような昇進の仕方をした。

これからどんな仕事が待っているのだろうか。とにかく期待に応えられるように頑張ろう。

そう気持ちを新たにした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

≪社会人編①≫は以上です。大学の就活~社会人2年目までお話ししました。

プロフィールにも書いた通り、私は30代です。
ってことは、まだまだ先は長い。
前置きでも言いましたが、私は深い谷と標高の低い山でできています。

また、≪社会人編②≫を読みにきてくださいね。

では、また次回。

いいなと思ったら応援しよう!