劣等感と劣等コンプレックスは違う〜嫌われる勇気より〜
読書嫌いな私、最近また少し本を読むようになりました。
ネットの情報ではなくてわざわざ買って物質的な本を手で開いて指でページを捲り活字として読むということですが。
最近読んでいるのが
嫌われる勇気
というとても有名な本です。
青年と哲人が対話を行いアドラー心理学とは何かというのを紐解いていくわけですが
とても目についたのがこれでした。
劣等感と劣等コンプレックスは違う
という内容です。
劣等感については
劣等感は主観的な思い込み
言い訳としての劣等コンプレックス
という順での区分けの流れでした。
哲人は言います
アドラーは「優越性の追求も劣等感も病気ではなく、健康で正常な努力と成長への刺激である」と語っていますと。
青年は言います
劣等感が強ければ誰だってネガティブになって「どうせ自分なんて」と思うに違いありません。だってそれが劣等感というものでしょうと。
哲人はフロイトの唱える「エディプス・コンプレックス」を引き合いに出しながら言います。
本来コンプレックスとは、複雑に絡み合った倒錯的な心理状態を表す用語で、劣等感とは関係ありませんと。
倒錯的とは
青年は納得しましたが私は倒錯的がよくわかりませんので調べました。
「倒錯的」とは物事の順序、位置、状態が通常とは逆にひっくり返っている様子や、社会的な規範・正常とされる基準から異常な方向へ逸脱している様子を指す言葉
心理・行動が歪んでいる様子を表す際によく使われる。
(Google検索:倒錯的 意味)
私なりに解釈すると
「劣等感」自体は誰にでも感じ得る感覚で
「劣等感コンプレックス」はその劣等感を歪に捉えて言い訳や口実に使っている様子
と考えました。
そもそも哲人は
健全な劣等感とは、他者との比較の中で生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものとも言ってました。
なので劣等感があることは良いことですが扱い方に差が出るということですね。
劣等感コンプレックスは悪いものとは思わない
私は別に劣等感コンプレックスが悪いものとは思いませんでした。それが安定や自己完結型・内省完結型の自己防衛につながっていればそれはその人にとっては良いことですし他者に迷惑はかかっていません。
ただチャレンジや変化を必要とする時には枷になるので、この考え方が顕在化、気づいていないと変化を起こすことが難しいなと思いました。
この本に出てくる青年は、劣等感の塊で平々凡々という印象があり、私はまさにこの青年です。
この青年にも劣等感の話にもとても共感出来ました。
ここまで読んだシンプルな感想
変わる勇気を持つこと
それが持てたら苦労しないよと思いますが
あぁなんかやらなきゃな
そう思える本でした。
まだ読んでいる途中なので、しばらく読み進めてみようと思います。
アルフレッド・アドラー
人生に革命が起きる100の言葉
というキラキラした赤い本は読んだことがありますが、こちらはこちらで読みやすくておすすめです。
